英語快読100万語 (12)-『嵐が丘』&小説を「身体で」感じる

エミリー・ブロンテの『嵐が丘』をGRで読んでみました。この作品は昔翻訳で読んだことがあります。でも、細かいことはみんな忘れてしまっていて、NBTのワークショップの時も「あぁ、そんな場面があったかも…」という感じでした。

逆に、NBTのワークショップを受けた後にGRで『嵐が丘』を読んで見て、「あぁ、そうだったんだ!」と納得することがいっぱいありました。NBTのワークショップでは3つの踊りを習いました。一つはヒースクリフが荒野(ムーア)でキャサリンのことを思い、その亡霊に出会う場面。ヒースクリスの「ワイルド」で「動物的」な面を織り込んだ踊り、と説明がありました。

もう一つはヒースクリフとキャサリンがリントン家を覗きに行って、そこで、お金持ちのお坊ちゃま、お嬢ちゃま達が「バカやってる」場面。これは、小説の方では、エドガーとイサベラがふざけあってる場面になってましたが、リントン家に集った若者がふざけある場面となっていました。

で、3つ目は、キャサリンがケガしてリントン家に泊まり、エドガーと結婚するかも…ということになって、朝目覚める。で、豪華な部屋の中を見まわして、「あぁ、これもあれも、みんな私の物になるのね~」って思う場面。

キャサリンには、そういう所があった…。でも、キャサリンとヒースクリフの愛は不動の物。お互いそのことを知りながら、反発し合ってしまう。で、キィ・フレーズは「ヒースクリフは私以上に私なの」(He is more myself than I am)である、という説明が指導の先生からありました。そのキャサリンのセリフもそのままGRの中にあったのでうれしくなってしまいました。

これらのことを念頭に小説の方を読んでみると、たとえばヒースクリフの野獣っぽいところを「身体で」表す練習をしたので、ぐっと、深くそのことが感じられる。キャサリンの亡霊に出会って、それを恐れる気持ちとキャサリンの思い出にひたる気持ち、それが激しく自分の中でぶつかりあう…。それも、「身体で」表す練習をしたので、なんというか、小説を身体で感じられるというか…。

バレエをやって、「音楽を身体で感じる」ようになった気がするけれど、小説もそれを踊ってみると「身体で感じる」ようになるんですね。

42. 1月29日(木):Wuthering Height (OBW5):1800語:21000語:461800語: ☆☆☆☆☆:
☆いっぱいですが、上にも書いたように、個人的にこの小説(の一部)を「踊った」ため、面白さが増したという側面があります。

43 2月1日(日):David Bcckam (PG1):300語:700語(?):462500語:☆☆☆☆:
ペンギンは個人的にはあまり「好みじゃない!」と思ってましたが、これは、まぁまぁでした。オクスフォードの実話物に比べ、ペンギンの物は「お行儀よく、あたりさわりなく」まとめてるところが、私的には物足りなかったりするんですが。私はベッカムのサッカーすごく好きです(ベッカム個人が好きな訳ではない。>って別に言い訳する必要もないが)。ブルックリンちゃんが熱出してベッカムが病院に行かなかった時のファーガソン監督とベッカムの確執なんかは、丁度仕事でイギリス出張中だったので、リアルタイムでニュースを見てたし、ベッカムが『マイサイド』を出した時もちょうどイギリス出張中だったので、これまたリアルタイムで新聞記事を毎日読んでました。なので、「あぁ、そうそう」って、なつかしい気持ちで読めました。

44 2月3日(火):The Eye of the Storm (CER3):1300語:14000語:475500語: ☆☆☆☆:
日本人とアメリカ人のダブルの女性が日本人である父親からアメリカ人の青年との交際を禁じられます。父親自身はアメリカ人女性と結婚してたんですが…。父親は釣に出るのですが、思わぬ大漁についつい天気予報を聞き逃し、ハリケーンが向かっているのを知らずに海に留まってしまいます。アメリカのハリケーンの破壊力って日本の台風の比じゃないみたいですね。このあたりの描写、迫力あります。で、父を心配してパニックになってる娘のために、その青年は飛行機(水上に着陸できるタイプ)を出すんです。その青年は航空学校に通ってるんです。なかなか面白く読めました。でもさ、娘の名前がIkemiなのはまぁ許せるとして、父の名前がHiruってのはどうかなぁ。「蛭男」とかいう名前?(>ちょっとありそうにないが。でも食いついたらはなれない蛭のような粘り強い男に育つようにっていうのもアリかもしれない) それとも、これ、「ひろ」とか言う感じに発音するのかな? 「ひろなお」とかそういう名前の愛称? 

45 2月5日(木):The Lahti File (CER3):1300語: 13832語:489332語: ☆☆☆☆:
フィンランドが舞台の(国際?)サスペンス。フィンランドは、シベリウスのピアノ小品(とても美しいの。良かったら聴いてみてね。組曲の「樹」と「花」がお薦め)にはまってから一度は行ってみたい国です。これを読んでさらに行きたくなりました。ヘルシンキだけじゃなくて、ラハティにも足を伸ばし、そして、パイエンネ湖を船で縦断してみたい(そういう船があるって書いてありました)と思います。さらにはラハティにもシベリウスの博物館があるらしいことがこの本を読んで分かったので、そこにも行ってみるつもり。サスペンスとしてより「ご当地物」として読んでしまったかも…。

英語快読100万語 (11)-英語圏の「子ども向け」の本

オックスフォードやペンギンのうんと簡単なヤツ(PFR0やOBW0)を読むんだったら、ネイティブの「子ども向け」の本を読む方がずっといい…と私は思います。「大人向け」に「簡単な英語」で「無理に」「何かを読ませよう」とすると、ストーリー展開が「不自然」になる。

むしろ、ネイティブの子ども向けの本の「自然な」英語のリズムを体感し、ネイティブの子どもが「順を追って」難しいものを読めるようになっていくプロセスを追体験する方が英語的な感覚が身につくんじゃないかと思うのです。

ただ、「子ども向け」の本というのは、これはこれで難しい。だって日本語の子ども向けの本、外国人の大人が読んだらすごく難しいと思うよ。松谷みよ子さんの、『いないいないばあ』は、Qが小さい頃大好きだったけど、「いないいないいないいない」(でページをめくる)「ばあ」って、これ外国人に理解しろって言ったって「理屈」じゃ分からないよね。

イギリスにも「いないいないばあ」はあって、顔を手で隠してその後、”peek-a-boo!!” って顔を見せると、イギリスの子も日本の子どもと同じく大喜びをしますが、日本語を勉強するイギリス人に「ピーク・ア・ブー」のこと日本では「いないいないばあ」と言います…と教えたとして、じゃ、「いないいないいないいない」「ばあ」って、何よこれ?っていうのを上手に説明しろって言われてもとても難しい。

「いないいないいないいないいない」っていう語感やリズムの楽しさって、「外国語」として「日本語」を学ぶ「大人」の「外国人」にはとても分かりにくいと思う。

でも、こういうのを子どもの年齢を追ってある程度の数読み重ねていくと、英語の自然なリズムや語感っていうのが、すこ~しずつ分かっていくのかもしれないなぁと思うのです。

…という訳で、酒井先生も紹介されていた、“Step into Reading”のシリーズを読んでみました。

読んでみて、”duck an apple”なんていう”duck”の使い方を初めて知りました、これ、2つの違う本で使われてました。そうやって、「よく使われる表現」に「出会う」ことが大切だと思います。そして、そういう自分にとって新しい表現が、「出会った」と気づける程度に1冊の本の中に「少ないこと」が大切だと思います。

単語数は数えるのが大変なので、全部まとめて2000語にしときます。本当は最後のレベルなんかはかなりの語数があるので、もうちょっとあるかな?と多いと思うけど。

37. 1月18日(日):I See, You Saw(IRB:My First):?語:?語:438800語:
学齢前のかなり小さな子ども向け。言葉遊びの面白さがあります。単語は100語弱かな?

38. 1月19日(月):Mrs. Brice’s Mice(IRB:Step 1):?語:?語:438800語:
学齢前から1年生向け。ブライス夫人は25匹のネズミと暮らしてます。でも、1匹のネズミは他の24匹とはちょっと違う行動をするんです。

39. 1月20日(火):Small Pig(IRB:Step 2):?語:?語:438800語:
1~3年ってことは、5~7歳ぐらい向け? どろんこが好きなブタさんの話。

40. 1月22日(木):The Drinking Gourd:: A Story of the Underground Railroad(IRB:Step 3):?語:?語:43880語:2~4年向け。この辺りになると読み応えもあるし、考えさせられたりします。奴隷が逃亡するのを手助けする白人達がいました。実はいたずらっ子トミーの父親もそうだったんです。納屋で遊んでいたトミーはひそ
んでいた黒人奴隷の一家と出会ってしまいます。彼らには懸賞金がかかっており、追っ手が迫ってきます。トミーは父親を手助けして彼らの逃亡を助けることに…。アメリカの歴史と密接に結びついた少年少女向け小説。正直に生きることの苦しさも、子ども向けだけどよく描かれています。

41. 1月25日(日):The Drinking Gourd:: A Story of the Underground Railroad:?語:?語:440800語(という訳で4冊まとめて積算ページです):3年以上:3人姉妹の魔女の末っ子が主人公。魔女として優秀なお姉さん達からはみそっかす扱いを受けてます。しかも、魔女にとって大事な箒をなくしちゃうの。ハロウィンの日、新しく出来た「人間の」友達と、「トリック・オア・トリート」をしに出かけます。「人間の」友達は、彼女のこと「魔女の扮装してる」って思ってるんですが…。

英語快読100万語 (10)-「なさぬ善より、なす偽善」

荷宮和子『声に出しては読めないネット掲示板』(中公新書ラクレ)の中に、2ちゃんねら~が2003年夏、「折鶴オフ」をやった時のカキコミとして「なさぬ善より、なす偽善」という言葉が紹介されていました。就職活動がうまく行かず大学生が腹いせに原爆記念公演の折鶴に火をつけて「燃やした」のに対し、高校生の2ちゃんねら~
の呼びかけで、折鶴を折って届ける…という試みがなされた時のこと。

途中、「そんなの偽善ぢゃん?」という声が何度もあがったけれど、この「なさぬ善より、なす偽善」という言葉に、「とりあえずやってみようか…」という方向に議論が流れていったそうです。

私で言うなら、さしずめ、「読まぬ古典より、読むグレーディッド・リーディング」でしょうか。(>全然違うような気もするけれど)

正直に言えば、自分の仕事やっていく上で「これくらいは読んでおかなくちゃね~」っていう(イギリス)文学の作品はいっぱいあるんですね。でも恥ずかしながら読んでなかったりする…。

本物はいずれ読むとして、とり急ぎグレーディッド・リーディングで「あらすじ」とそのエッセンスとなる「香り」(本物の香りをなるべく損なわないようなリライトがされている)を味わっておくのも、「読まぬ古典」よりはいいかなぁ・…と。

しかし、「古典」の「難しさ」というのは、「英語」(が古い)にではなく、当時の「状況」を知らない、当時の「常識」を知らない…という点にある…というのがあるようです。昔英文学専攻の同僚に「トマス・ハーディなんて大衆作家だったのに、何で読めないのかしら。現代のミステリーとかだったらもっと読めるのに…」と聞いた時に、そのようなことを言われました。

ギャスケル夫人なんてのは、正直に告白すれば「と~ぜん!」読んでなきゃいけないんですけど、読んでなかったりして(ペーパー・バックは何冊も持ってたりする)、お恥ずかしい限りであります。

今回、オックスフォードのシリーズにあったこのギャスケル夫人のCranfordというのを読んでみて、この「昔の文化を知らないから読めない」「自明なこととして書いてない部分があるので理解できない」っていうのは、確かにあるなぁ…と改めて思ったのでした。

19世紀前半において、「社交界」というか「中(の上)・上流のソサエティ」が構成される時、「商売」に手を染めている・…ってのは、それだけで×なんですね~。ふむふむ。で、昔商売してても今は「引退」して「金利」とか「年金」で暮らしてるんなら○なんです。

このクランフォードという小さな町の「ソサエティ」には、実はそんなに裕福じゃない人もいるのですが、みんなはそれを見てみぬふりをする。裕福じゃない人もみんながそれを知ってることを知っていて、気づかれていないふりをする…。まぁ、ちょっといやらしいっていえばいやらしいんですが。

で、私が分からなかったのは、そういう「裕福じゃない人」の1人のところにご婦人方がお茶に招かれるんですが、その「裕福じゃない人」はお菓子のトレイをメイドが持ってきた時に「それがなんのお菓子だか全然知らないふりをした」けれど、みんなはそのご婦人が手づからそのお菓子を「午前中かかって焼いた」ってことを知ってい
て、でもそんなことにはみじんも気づかないふりをしたっていうのがありまして、これって、どこが「まずい訳?」ってのが良く分からなかったんですね。

もちろん、まぁ、今でこそ「家事が出来る」は「女性の能力」として評価されますが、昔は日本でも「家事が出きる」=「いやしい家庭の出身」だった訳で、そういうことなのかなぁ? で、メイドが1人しか雇えなくてお菓子を焼かせることが出来るほど人手がないってこと? それは確かにあるとは思う。

でも、メイドの監督は主婦の大事な「仕事」だったので、「何のお菓子をメイドが焼いたか、あるいは買ってきたか」知らないってのはまずいんじゃないのかなぁ…とか、その辺りがよく分からなかった。今度英会話に行った時に先生に質問してみようと思ったりしてます。

もう1箇所、メイドが「ティー・トレイ」を「ご婦人方が座ってるソファーの下から出さねばならなかった」のだけど、みんな何事もなかったようにおしゃべりし続け、見て見ぬふりをした…というのだけれど、これがどう「貧乏」と結びつくのか…。これもネイティブか英文学の専門家にに聞いてみないと良く分からないですね。

36. 1月10日(水):Cranford(OBW4):1300語:15000語:432200語:☆☆☆☆:
 あらら、酒井先生のリストじゃ、これ★だよ。私はけっこう面白かったんだけどなぁ。まぁ、それは私がこの時代のイギリスのことに興味があるからだったりするのかしらん。お互い助け合いもするが、牽制し合いもする「女の世界」がよく描けていると思うんだけどな。ある意味、どこにでもいそうな女性ばかりで、その意味でも、人間の普遍性のようなものがよく出てたりすると思うんだけど。評者が男性だと、あまりにも「小さな世界」っていう感じでつまらないのかしらん。

37. 1月15日(木):Murders in the Rue Morged(OBW2):700語:6600語:438800語:☆☆☆☆:
  ポーの有名な『モルグ街の殺人』であります。これ、やっぱり簡単バージョン(多分)で、中学生の頃読んだなぁ…。これも古い時代(19世紀前半)に書かれた物ということもあるのでしょう、700語レベルの、本来簡単な物のはずなのに、「あれ?」っていう単語がいくつかありました。”agile” “lightening-rod”は脈絡で分かったけれど、“latticed”は今一つピンと来ない。後は、「密室のナゾ」を最初に解く時の「窓のカギ」のトリックの叙述が(これは英語の問題というより、科学的想像力の問題?)今一つピンと来なかったのと、そのトリックと、最後に真犯人
の行動が明らかになった時にこのトリックとの関係はどうなっとんじゃ?というのがなんか今一つ不明だったなぁ。後でもう1回読んでみようっと。名探偵コナン君もミステリーは二度読みするらしいけど、タネが分かってもう一度ミステリーを読むのって、また別の味わいがあるんだよね。

38. 1月18日(日):British Life (PGR3:1200語:7100語:445900語:☆☆:
  ペンギンも「食わず嫌い」は良くないんじゃないかなぁと手を出してみたが、やっぱりあんまり好きじゃない。多分、これ「対象年齢」が中学・高校生ぐらいだからかなぁ。で、なんかねぇ、「お勉強臭い」のね、このシリーズ。同じ「お勉強物」でも、たとえば、オックスフォードの歴史物なんかは、ある種の「主張」があるんです。でも、ペンギンのシリーズは知識をニュートラルに書こうとして平板になってしまっている。著者の個性が見えてこない。なんか「教科書的」。1200語も使える単語があるのに、なんか深みがなくて表面的。『モルグ街の殺人』なんか700語しか使ってないけど、ずっと読み応えがあると思います。