「600万語」で「(うんと)易しいもの」をしこたま読んだら、なんだかふっと肩の力が抜けたような感じがする。600万語はある意味「易しいものを読むこと」に「縛られた」多読になっていたかもしれないと思う。
600~700万語の100万語は、なんとなく、淡々と進行し、気づいたら100万語通り過ぎていた・・・という感じ。PBはなるべく読むまいとか、YLの低い物も入れなくちゃとか、あまり考えずに、とりあえず目についたものや食指が動いたものを手に取ってきた。
「700万語」は、私の人生にとっての「波乱」の時期だったので、どんな風に多読を進めるか・・・というようなことを考える余裕がなかったというのもあるかと思う。
2006年のクリスマス・イブに「700万語」に突入してからほぼ1ヶ月後の2007年1月末に.D論の締切りがあったというのもあって、多読を計画的にやるというような余裕はなく、しかし多読は良い気晴らしにはなってくれた。提出してからも、事務関係の連絡がうまく行ってなかったりでハラハラすることが多く、a distant studentの悲哀を味わった。
そして、いよいよ口答試験があって、その準備があって、口答試験でminor correctionsということでパスはしたけど、「手直し」はしなくちゃならなくて・・・と、なかなかに大変だったのだ。
この口答試験に備えて細々と英会話のプライベート・レッスンを取っていたのだけれど、結局のところ試験の3~4ヶ月前にはほぼ開店休業状態となっており、でも、なんとか英語での質疑応答が出来たのは、ひとえに多読と多聴のおかげだ。(>酒井先生 ありがとうございます)
なのだが、やはりリスニング・コンプリヘンションは、いまひとつだったらしく、実は英語の間違いだけ直せば良かったものを、「今後の研究の発展のために」してくれたアドバイスも取り入れて直そうとやっきになっていた。(>これじゃ、minor correctionsじゃないぢゃん! 要するに「オマケ」で通してくれたのね。ありがたや、ありがたや。とは言え、大変だよぉ!・・・と。)
700万語の最大の成果は、「(今の)私に一番合っているのは5~8歳向けの児童書」と言うのが分かったことだろう。この年齢層をターゲットにしたものだと、英語力的にも内容的にも一番抵抗なく入っていけるのだ。
「親子で多読」を始めた時にはwentも知らなかったのに、たった4年間で、今や、『ゲド戦記』をほぼ全巻読破し、オーウェルやサリンジャーを読み、旧約聖書を英語で読んでいる息子からは、”How old are you?”と言われてしまうのだが。(>多読の成果は息子に著しいです。自分の英語人生を振り返るとなんと無駄に苦しんで努力してたのか・・・と思います。しかも英語力は「楽しく多読」の息子の方が100倍以上の速度で身につけているし・・・。私ももっと若い頃に多読に出会いたかったなぁ。TOFLE-ITPも高1ですが、日本の大学入学者の平均くらいは軽くあります。酒井先生に感謝!!!)
最近多忙のため、どんなものを何冊読んだかのリストは省略します。
私の600万語から700万語にかけての100万語をまとめると以下のような感じです。
①600万語で絵本やLRをいっぱい読んだら肩の力が抜けた。
②「5~8歳向け」が自分の英語力と精神年齢に合っていると発見した。
③①と重なるけれど、PBは読んでもいいし、読まなくてもいいし、その場その場の出来心でいいや・・・と思えるようになった。(>以前はPBを読むことに「読むと疲れるかな?」とか「今はまだ読まない方がいいんじゃないか」という警戒があった。あるいは「難しい物を読むんだぞ」という構えのようなものもあった。)
④多読のおかげで、D論の口頭試問を切り抜けた。(>感謝!)
⑤SAにはまった。特に、リトールド物。
・・・という訳で、700万語は以下のようにやりたいと思います。
①「5~8歳向け」の児童書をいっぱい読む。
②が、それにはあまりこだわらず、引き続き、肩の力を抜き、自然体で楽しく読書する。
あれれ、なんか超シンプルな目標になっちゃった。