「バーナビー警部」のDVDを見ていたら、どの話だったかに、「あれ? これって、The Wind of Willowsからの引用というか、その中の話にたとえて推理をすすめているよなぁ」と思う場面が出てきた。恥ずかしながら、The Wind of Willowsは読んだことがなくて、なんとなくとても有名、ということだけをおぼろげに知っていたのだが。
最近思うことは、GRのリトールド物を読むということは、(イギリスで出版されたものについて言うなら)イギリス人が「これだけは読んでおいて欲しいんだよねぇ」と思うようなもののセレクションであるということだ。まぁ、アメリカ物も入っているけれど。クラッシックスに分類される古典(>名作?)にせよ、コンテンポラリーに分類される現代物にせよ。
文学にせよ、何にせよ、本というのは「読みつがれて」生き残るものだ。誰も読みつがなくなって「死んで」しまった本は現在生き残っている本より多い。もちろん一度「死んだ」本も、だれかが発見し、「おぉ、なんだ面白いぢゃん!」となれば、また息を吹き返してその後生きながらえることも出来るのだが。
イギリス人のすべてが文学好きな訳ではないだろうが、イギリス人は自分の国の文学を大切にしているなぁと思う。それはイギリスで本屋に入ると、ペーパーバックの棚に、必ず「クラッシックス」の棚が別に分類されていることだ。かなり小さな本屋とか、あるいは駅のキオスクみたいなところでも、たいていはある。しかも、けっこう「目立つ」感じで。
日本の本屋の文庫のコーナーに夏目漱石や芥川龍之介が「必ず」置いてあるか?と問われれば、それは、必ずしもそうではない、と答えるしかないのだと思う。赤川次郎はあっても芥川龍之介はない、ということは、その逆よりずっと多いだろう。いや、赤川次郎さえ、「今は昔」になりつつあったりするのかも・・・。
その昔、イギリスで「日本人ですか?」と声をかけてきた、かつて日本人の女の子とつきあっていたことのあるらしい男性は「自分がトマス・ハーディの『テス』が好きだ」と言っていた。で、『テス』の文章の繊細さとか、そういうのについて熱く語っていた。
私の勝手な推測ではずれているかもしれないけれど、その男性は「階層的」にはそんなには上の階層じゃないと思うし、多分、大学も出ていないと思う。別に「学歴差別」や「階級差別」をしたくてこういうことを言っているのではないのだが、「あぁ、イギリス人って、かなり幅広い階層の人が文学を読むんだなぁ」って、そう思った。
・・・という訳で、「バーナビー警部」のような、大衆娯楽番組も、「みんなが知っているお話」というののフレーズが使われる訳である。なので、11のThe Wind of Willowsを読んでみることにした。
こんな風に私の多読は、その時その時の「出来心」で、あっちに行ったり、こっちに行ったり、フラフラと寄り道(>って「楽しんで読むこと自体」が目的なのだから、これが本道なのだろうが)を楽しみながらゆっくりと進んでいる。
ここまでの総語数、80901語。
11.6月3日:The Wind of Willows:PGR2:8000語:レベル2:☆☆☆(+):有名な本だけど読んだことなかった。日本では『楽しい川辺』で知られている(?)。イギリス児童文学におけるいろいろな動物の性格づけっていうのの原型がここにあらわれてるのかな? 日本では、むかし話にヒキガエルってあんまり出てこないと思うけど、イギリス(>というかヨーロッパ?)では、けっこう出てくる。日本にもカエルはいるのにね。そんなところにも日英文化の違いってのがあるんだろうか。
12.6月4日:LLL4( Ben and the Pop Starを除く8冊):1451語:☆☆☆:サクサクサク。
13.6月4日:LLL5(9冊):2474語:☆☆☆:サクサクサク。
14.6月4日:LLL6(6冊):4858語:☆☆☆:サクサクサク。