親子で英語快読100万語 (3)-「日々力がついてくね」(ようやく本題)

まずは、私が自分の「100万語」で使った児童書の中から、Nina, Nina, a Star Ballerina を読ませてみました。フォニックスをやってるので、Qに音読させて、Qが何か質問したら、それに答える、という形でやってみました。知らない単語の方が多いような状態ですが、でも、知っている単語が「本物の英語の本」に使われている、というのもあり、それなりの感慨もある様子。

色々おしゃべりしながら読み進めました。

まだ学校では習っていない”say” “tell”などが繰り返し出てくる…。学校で「say=言う」と習って覚えるより、多読の中で覚える方がいいですね。

ORT1も手元にあったので、こちらも読ませてみました。これは、反応はいまひとつ。
ORT1の6冊はストーリー性があんまりなく、このシリーズの登場人物の「紹介」という位置づけであるというのもあるでしょう。

「ニーナ」の本と、ORT1の6冊をほぼ2日で読んだのですが、この時点で、「学校の英語より面白い」「たった2日やっただけでも学校の英語の1月分以上英語が出来るようになった気がするよ」と言っていました。

単語の意味なども、全く教えないで進むというのも、我が家の場合ちょっと難しく、とりあえずは、「これってどういう意味?」と聞かれたら答えるようにしてます。文法的なことも、多少説明しながら進めています。

ORT2になると、過去形がじゃんじゃん出てきます。私自身これまで気づきませんでしたが、よく使われる動詞って不規則動詞が多いのかな? もう、“went” ” couldn’t”とか、しつこいほどの続出です。Qは、「何でgo がwentなの~? 英語ってめんど~!」とか言ってます。「でもさ、日本語だって、「歌う」は「歌った」だし「歌いました」もあるし、「する」は「した」だよ。外国人には訳分からないと思うよ。英語は規則動詞は”ed”つけるだけだもん。英語の方が楽な面もあると思うよ」などと対応しております。

(ふと思いましたが、「外国語」として日本語を学ぶ場合、「過去形」の作り方って案外難しいんじゃないでしょうか。「何で『食べる』→『食べた』なのに『くる』→『くた』じゃないのぉ???」とか思うよね、きっと。)

で、「とにかく大事な単語はどうせ何回も出てくるから、いずれ自然に覚えるよ。大丈夫!」と励ましておきました。「よく使われる単語」って、本当に何度も出てくるんですよね。(>当たり前か! 何度も出てくるから「よく使われる」なんだもんね)

何回も、何回も、「よく使われる単語」に出会って、自然にその単語が定着していく…。いやでもそういう単語は覚えて行く。それは、「多読」ならではの、自然な言語の身につけ方でしょう。

私自身はGR中心にやってるけど、「親子で多読」をやってみて、こうやって「原点」まで立ち戻って、「よく使われる単語」を「積み木を重ねるように」「身につけていく」ことの「すごさ」っていうのを改めて認識しました。GRでも、同じ効果はあるんでしょうが、「そうか、wentはこんなに使われる単語だったんだ!」というようなことを、ここまでハッキリと認識することは出来なかったように思います。

「親子で多読」は親にとっても、一人で「多読」をやってるだけでは気づかない、多くの発見をもたらしてくれます。

Qは、多読を始めてほぼ1週間経ち、ORT2の6冊を読んだ段階で、Qは、「日々力がついていくね」と言いました。

進歩が実感できるって、素晴らしいですね。

1~6:2004年9月9日:Who is it? Floppy Floppy  Six in a Bed  A Good Trick  Fun at the Beach  The Pancake:ORT1:16+10+19+11+27+16=83:83:YL0.1:レベル0:中学1年のQには、何となく物足りないみたい。ストーリ性もないし。これ、実は、ORTのシリーズの登場人物紹介だってことが、あとで分かるんですが…。

7.2004年9月9日:Nina, Nina, Star Ballerina:AAR1:620:703:YL0.5:レベル0:3日間かかって少しずつ読みました。これは「100万語」の方でも紹介した本ですが、ニーナとお母さんの寛嬢の交流がとてもほほえましく心にしみる作品です。お母さんがニーナをいとおしく思う気持ち、ニーナを抱きしめた時にお母さんが感じているニーナの体温が伝わってくるような、そんなストーリーであり、挿絵です。私の方は「親の立場」からも読んでいるかもしれないですが。発表会で「星の役(a star)をやる」って友達に言ったら、その友達が「主役(? the star)」をやるって勘違いして、その勘違いの話がどんどん広まっていってしまって、収集がつかなくなり、ニーナは困ってしまいます。Qと私は「冬ソナ」にはまっていて、今、ビデオを借りて見ているんですが、「あ~あ、「冬ソナ」(>ちょっとした「生返事」なんかから話がどんどんすれ違っていく)状態だねぇ」と言いながら読みました。

8~13:9月12日:Presents for Dad, What Dogs Like, Top Dog, Go On, Mum,
Look After Me, Go Away, Cat: ORT+1: 49+34+42+44+41+33=243語:946語
:YL0.1-2:ORT1には興味を示さなかったQ…。でも、このORT+1の、Go Away Catのオチで爆笑! 内心「お、しめた」と思いました。「Floppy よえ~!」と、ゲラゲラ笑い、「そういえば、ハッピー(私の叔母の家の犬)も弱虫なんだよね」なんて言ってました。そして、Go On, Mumでは、「イギリスの障害物競争って激しすぎない?」なんて、これまた、「どひゃ~」などと言いながら読んでました。
   あと、ORTの絵を書いている人が、そこここで「遊んで」いるのも「発見」して気に入ったみたい。あちこちに「あやしいおじさん」が覗き見してたり、メガネが落ちてたりするんです。「ねぇ、またメガネ落ちてるんだけど、この人無茶苦茶遊んでるね~」なんて言ってました。
  私自身、「なんだかな~」と始めた「多読」、ちょっとバカにしていたGRにはまったキッカケはAgatha: Queen of Mystery でした。「多読」にはまるには「キッカケ本」が必要なんだと思う。ORT+1のこのパックはQにとって、キッカケ本の「決定打」ではないけれど、「序曲」にはなったかも…。早く、キッカケ本の決定打に出会わせてやりたいな~と思いました。

14~19:9月13日:Kipper’s Laces, The Wobbly Tooth, The Foggy Day,
Biff’s Aeroplane, Floppy the Hero, The Chase: ORT2: 63+70+67+63+74+81=418語
:946語:YL0.2~0.3:ストーリ性は増すのですが、「過去形」で苦戦。Q「“Went”って何?」母「“Go”の過去形。これは不規則動詞って言って、普通は過去形って動詞に”ed”つければいいんだけど、例外があるんだよね」、Q「“Couldn’tって何?」母「”Can’t の過去形」Q「”Looked”(ルックド)」母「あ、”looked”はルックトって読むの」Q「何でよ」母「えっと、ノドの所に手をあてて、ノドが震えない音で終わってる動詞に“ed”をつけた時はトって読むことが多いかな(ちょい不正確ですね)」Q「あ、無声音ね」母「そうそう」(>なんだ、Qの方が物知りぢゃん)と延々とやり取りが続き、Qは「英語ってうざ~い! 超めんどくさくない?」と言ってました。いちいち分からないことが多くてちょっといらつき加減。ORT2はまだ無理かなぁ…と思いました。

20~22:9月16日:The Berenstain Bears Go Up and Down, The Berenstain
Bears Ride the Thunderbolt, The Berenstain Bears Catch the Bus:SIR1&2:100+100+300=500語:1446語::面白いクマの一家のお話し。ジェットコースターに弱い父親、朝なかなか起きられずいつも遅刻ギリギリに学校に出かける息子、息子が遅刻しないようにと気配りしない母親…。「なんかこれって家ぢゃん!」とQ。最後のものはYLが1.5でしたが比較的楽に読めました。このシリーズはけっこうQに気に入ったみたいなので、今後書店で見かけたら買ってこようと思います。

23~28:9月17日:Hide and Seek, Look at Me, Go Away, Floppy, Red and
Blue, Big Feet, Kipper’s Diary:ORT+1: 35+35+27+33+41+35-206語:1652語:
前にORT+1を読んだ時に比べて「楽になった」「読むのが速くなった」という実感があったみたいです。

親子で英語快読100万語 (2)-英語というトラウマ(長い前置き その2)

保育園の先生からは、「子どもにもプライドというものがあるから、英語が話せない子どもは数ヶ月何も喋らないということがよくあります。でも、少しずつ英語は理解できるようになっていきます。そしてある日、「自分の英語は充分話すに足るものだ」という自信が出来ると、突然話し出します。だから心配しないで」と言っていただきました。

よく、子どもは適応能力があるから、外国に行ってもすぐ慣れるとか、すぐ英語が喋れるようになる…とかいいますが、それは、そういう子どももいるだろうけれど、実は子どもにとってはとても負担が重いものです。特にQの場合は、子どもながらに「完璧主義」なところがあって、英語の方は徐々に理解出来るようになり、自分でも話すようになり、保育園での生活は一応とどこおりなく過ごせるようになったのですが、いつまでたっても「自分の英語は完璧ではない」という思いが自分の中にあったようです。彼のプライドは傷ついたままだったんです。

私はと言えば、Qの英語の心配よりは、「日本語を残すこと」の方に心を砕いていました。思考は「言語」によって行うので、「考える」言語がしっかりしていることがとても大切だと本で読んだことがあります。それは日本語でも英語でもスワヒリ後でもかまわないのだけれど、とにかく根幹になる言語が「しっかり」していること…それがすごく重要。

Qは2年経てば日本に帰ることはハッキリしていたので、Qの人生にとっては英語よりは日本語が大切…。なので、私はQが日本語を忘れないように、家では日本語を使ったし、日本語の本も読んでやるように心がけていました。

今思えば、英語の手助けも平行してやってやれば良かった…と思います。まぁ、絵本を読んだり、英語の歌を聴いたり、アルファベットを教えたり、一緒にビデオを見たり、それなりに「多読」状態ではありましたが、私のプライオリティが「日本語のキープ」にあったので、Qの置かれている辛い状態への理解が不足していたように思います。

保育園児だったので、学校のように「勉強」がないだけ気楽…という面もありますが、反面、「勉強」の場合、言葉全体が出来なくても、「勉強に必要な言葉」で対処したり、「勉強は」出来る…ということで自分をアピール出来る面もあるんですよね。たとえば、息子の通っていた保育園は、保育園ではありましたが、私立だったということもあり、「プレ・スクール」的な側面があって、たとえば「数」だの「色」だの「形」だの「お勉強」があるんです。息子は、”What colour?” →“Pink”とか“What shape?”→”Semi-circle”のように一語で答えられる質問には自信を持って対応できていたみたい。だから、言葉が出来ないということを、「お勉強」によって「補う」というか、そういうことは実は可能な面があります。

だけど、たとえば、「この先、ジャックとベティはどうなったでしょう。自由に続きを考えてごらん?」みたいな質問には、多分、自信を持っては対処できてなかったんじゃないかと思うんですよね。

当時の息子の英語は、「状況」と結びついて覚えた英語です。だから、「こういう時にはこういう風に言う」というように「フレーズ丸ごと」で覚えた英語です。よく、「ほぉ!」と感心することがありました。たとえば私が運転してる時に、”Watch out!“といったり・・。彼は、watch とoutをバラバラに覚えて、これはphrase of verb だ、なんてことは全然知らずに、ただただ、危ない!とか気をつけて!という「状況」では”watch out!”と言う、と身体で覚えていたのです。

私の目から見れば、うらやましい「英語感覚」や「発音」を身につけていたのですが、彼は「自分では」英語コンプレックスを持っていて、日本に帰ってきて、私の母に「日本の保育園はどう?」と聞かれて、「おばあちゃん、日本の保育園は楽でいいよ。日本語でいいんだもん」と言ったとか…。小さいなりに「英語で苦労」していたんですね。

…という訳で、日本に帰ってから、「こんな辛い思いをさせたのだからせめて英語だけでもキープさせてやろう」と、留学生のベビーシッターさんを頼んで、少しだけ英語を教えてもらい、細々とでも英語に触れさせようとしました。しかし、これは「失敗」でした。もし英語を習わせるなら、小さい子どもほど「プロ」を頼むべきだったんです。

Qの英語への拒絶反応もあり、途中でどうもうまく行かなくなり、某英会話学校の子ども用の個人レッスンに通わせ始めました(>合うクラスがないと言われて)。そしたら、あ~らびっくり! すっごく楽しく通うようになりました。ここでは、ゲームを取り入れたりして、楽しく英語を教えてくれます。

ところが!!! 今度は私の方が忙しくなってしまって、しばらく通ったんですが、Qを連れていけなくなり、そのまま何となく立ち消えになってしまい、そうこうするうちに小学生になったら、今度は小学校の生活が忙しく、そしてまた、そうこうするうちに中学受験のための塾に通いはじめたりして(>結局公立に通ってますけど)、英語までは手が回らず、今や英語は「すっかり忘れてしまった!!!!」という状態です。

Qにとっては、英語は「底無しの恐怖」を感じるもので、「自分の英語」へのコンプレックスは彼の心に深く深くトラウマを残してしまったみたいです。

ある時、「沖縄に行こうか?」と言う話になったんです。そうしたらQが「だめだよ。僕沖縄の方言話せないもの」と言うの。彼の心の深い亀裂を見た思いをしました。

「言葉」という「道具」をもぎ取られることは、人間にとって、いかに恐ろしいことなのか…。

その後も私はイギリスに行く機会が何度もあり、「一緒に行こうよ」と誘っても「英語が出来ないからダメ。中学になって英語を習うようになったらね」と拒絶され続けました。

そして、小学校も卒業間近になった時、当時通ってた塾で中学入学にそなえて「フォニックス」の講座があるというので受けさせてみました。イギリスの子どもにとって、「あ・い・う・え・お」と一字に対し一音の対応の日本語と違い(>最初に「読む」を覚える時は「ひらがな」ですから)、リーディングを覚えるってとっても大変なことなんですよね。小学1年生と幼稚園児を連れてイギリス留学した友人が、「イギリスではフォニックスを教えるから息子は意味が分からなくても、音だけは読めちゃうんでびっくりしちゃう」と言っていたのを聞き、「フォニックス」はやらせてみたいなぁと思っていたんです。「びー・おー・おー・けー→ぶっくじゃなくて、ぶっ・おっ・おっ・くっ→ぶっくと読むんですよね~」って、友人の奥さんが感慨深そうに言っていて、学校時代、いちいち発音記号を辞書で調べては単語帳に書き込んで発音を覚えていた私としては、いいな~、私もやってみたいな~と思いました。

という訳で、息子は、昔の英語はす~っかり忘れ、フォニックスをちょいとかじった状態で中学校に入学しました。小学校の時から英語を習っている子も多い中、英語は「ほぼゼロ」の状態からのスタートです。

たまたま、夫が長期海外研修で9ヶ月間イギリスに出ていて、この夏(2004年)は、父親を訪ねてイギリスに行くことになりました。私は、何とかQの英語への恐怖を取り除いてやりたいと思い、渡英前に少しだけ英会話のレッスンを取らせました。Qは「学校の英語より面白いよ」と喜んで通いました。

そして、実際にイギリスに行き、最初はこわごわと、自分で買物したりしてましたが、帰る頃には、「ちょっとトイレに行ってくるね」とさっさと自分でトイレの場所を聞いて、トイレに行ってくる…というような状態になりました。

イギリスにいる間に、「やっぱり英語が出来ると人生お得かも…」というのを実感したらしく、帰ったら英語頑張ろうっと!という気持ちになったみたいで、帰国してからも英会話に通い続けたいと言います。

帰国してしばらくしたある日、「ねぇ、ハハ(>Qは私をハハと呼ぶ)、英語の勉強しようよ。一緒にやって」と言うので、「じゃあ、何をやる? とりあえず教科書持ってきてごらんよ」と英語の教科書をじゃんじゃん読ませてみました。そしたら、なんか教科書って面白くないのね~。色々工夫はされてるんだけど。

で、じゃあ、いっそ「多読」はどうかなぁ、と思って、息子に「やってみる?」と聞くと、「うん」と言う。私自身が「多読」を始めていて、家にGRがゴロゴロしていたので、「多読」という方法自体は、Qも何となく知っていました。

そんなふうに、私達の「親子で100万語」はスタートしましたた。

長い前置きですみません。

親子で英語快読100万語 (1)-子連れ単身留学(長い前置き その1)

息子のQは今中1。ご存知の方も多いと思うけど、彼は2歳半から4歳半まで、母の「海外研修」にくっついて行ってイギリスで暮らしました。まだ日本語もおぼつかない状態で、「国」というものがあり、「よその国」では人々は違う言葉を喋っているというような「知識」が皆無な状態で、いきなり外国暮らしをすることになったのです。出発直前、1~2度、留学生に家に来てもらって、英語で遊んでもらったけど、準備と言えばそれだけ。

しかも、世の海外駐在員の子どもというのはたいてい「父親」が働いていて「母親」は家にいるという状態で海外に行くのに、Qの場合は「父親」は日本に置いて、「母親」と2人で海外に行き、しかも「母親」が働いている(>勉強している)という状態。通常なら、2歳半であれば、子どもは幼稚園にも行かず、外に出ればみんなが訳の分からないこと喋っていても、1日の大半の時間は母親と過ごしている訳です。

私が昼間大学で勉強している間は、Qは保育園で過ごしていました。齢4ヶ月の頃から保育園に通っていたQではありますが、右も左も分からない外国で、頼りになるのは母親一人という状態で「保育園に置いて行かれる」という恐怖は、それはもう、とんでもないものがあったようです。保育園への曲がり角の所で立ち止まって、「おうち帰ろう」と私の手を引っ張る…。その光景は今思い出しても胸がつまります。今もイギリスに行くと、そこの曲がり角の所をバスで通ることがあるんですが、その曲がり角を見ると、思わず涙が出ます。私の仕事や勉強は、子どもにこんな思いをさせてまでする価値があるのか…と思いました。でも、イギリス政府から奨学金もらっちゃったし、職場からも給料もらいながらの留学だったから、そう簡単に「じゃ、帰ります」とも言えず、留学は続行してしまいました。

Qにはかわいそうなことをしました。

私にとっては、この2年間は、勉強はもちろん大変だったけれど、それでも、日本での勤務状態に比べれば、ずっと「ゆったり」な時間の流れの中で(>「金を払ってやること」は「金をもらってやること」より楽である)息子と過ごせ、とてもとても「幸せ」だったんですが(>せっかく産んだのに一緒に過ごせないんじゃね~)、息子の方は、「母と一緒に過ごせる時間が長い」ことの幸せより、「母と過ごせない時間の恐怖」が大きかったみたいです。

「言葉が分からない」ということは、とんでもなく恐いことです。日本の保育園だったら、もし何かあって私のお迎えが遅くなっても、保母さんが何とかしてくれるだろうし、保母さんの言ってることが分かるから何とかなるだろう…という安心感があるけど、イギリスの保育園じゃ、もしも「母が迎えに来なかったらどうしたらいいんだ!!!!!」というのは常にあったと思う。

そして、そういう状況は起こり得た訳です。幸い何事もなく2年間過ごせましたが、私は車で通学してましたから、途中交通事故にあう…という危険だってあった訳です。そして病院に運ばれて保育園にお迎えに行けない、意識を失っていて連絡を取れない…そういう状況が生じる可能性は、充分にあったのです。それを思えば、Qの底知れない恐怖というのは、もっともなことです。

無理矢理決行、無理矢理続行の単身子連れ留学でした。