英語快読300万語 (4)PGRが読めた!

実は、PGR、最初に読んだ何冊かの本(>「捨て技」使ったものも含め)の印象が悪くて、な~んとなく「読まず嫌い」でした。PGR0は、割合好きで、OBW0よりも好きだったりするんですが、それ以上になると、ちょっと手は出すが、なんとなく読み進まず、意図的にというより、「立ち消え」的な「捨て技」になってしまってました。

私は、不定期に超細々、英会話の個人レッスンを取っていますが、先日、教材に、オルダス・ハックスリーの『島』(Island)からの引用が載っていました。で、先生から、「『島』より『素晴らしい新世界』(Brave New World)の方が面白いんだけど、読んだことある?」聞かれました。

私、そもそもSFってあんまり読まないので、ハックスリーの名前も知りませんでした。(>無知)とっても有名な人なんですね。

で、「多分、図書コーナーにあると思うよ。貸し出し手続きすれば借りられるよ」というので、一緒に行ってみると、ありました。PGR6でした。「君なら別に原作でも読めるとは思うけど」と言われましたが、とりあえず借りて帰ることに。

「ペンギンはちょっと苦手なんだよなぁ…」と思いながら「でも、ペーパーバックで読むのはもっと大変だしぃ」と読み出してみると、あらま、面白いわ、これ。

この小説で描かれる未来社会では、人間がアルファからガンマまで5段階に分けられていて、ぜ~んぶ試験管ベビーで(>胎内にさえもどさない)、身長や体格も「どこまで成長させるか」決められている。「将来自分が就くべき仕事」に合わせて、幼い頃から「条件づけ」がされる。肉体労働者は美術や文学に興味を持たないように、そういう美しい物や絵本に近づこうとするとショックが与えられる。

それは「幸福」が「真実」に「優先」する社会。それぞれに「合った」仕事をして、後は、趣味を楽しんで帰宅する。

「結婚」という制度はない。人間は試験管から「製造」されるので、その社会では「母」という言葉は最も忌み嫌われる、ダーティーな言葉で、口にするのもはばかられる。人はみんな一人暮ししている。恋愛(?)の相手はしょちゅう変わる。変えないと「ヘンな人」と思われる。

辛いことがあったら「ソマ」という薬を飲めばたちどころに気分が明るくなる。1日の仕事が終わったら、そのストレスに見合った「ソマ」を飲む。この社会ではみんなが「はっぴぃ」なのだ。

為政者は、この社会の「まやかし」や「ごまかし」は充分知りながら、それでも「社会の安定」を最優先に考え、「最大多数の最大幸福」じゃないけれど、「みんながはっぴぃ」だと思える社会を維持するために、システムを維持し続ける。人々はみんな「自分がはっぴぃだ」と思いながら暮らしている。

自由で規制のない社会より、こういうシステム化された社会の方が、たしかに「より多くの人」が「安定して」暮らせるのかもしれない…とは思う。「適性な」管理があれば、人は「範」を越えて無謀なチャレンジもしないだろうし、「能力」に見合った「与えられた」生活の中ではっぴぃに暮らせるのかもしれない。

作者は、1894年生まれ。1963年に亡くなっている。フォーディズムの誕生、2つの世界大戦、冷戦と、めまぐるしく変わる時代を生きて来て、現代社会を批判しつつ未来社会への警告を発していたのだろう。

まぁ、現実には、世の中は規制緩和・自由競争・弱肉強食の方向に進んでいるけど。これって、こういうSF作家達の警告によって、「軌道修正」されたってこと?

私はSFって、「科学礼賛」のものが多いのかなぁ…と何となく思ってたのだけど(>SFってあまり読まないので)、「科学批判」「現代文明批判」の小説が多かったりはするんですね。(>無知)

考えて見れば、オーウェルの「1984年」だってそうですよねぇ。

ペンギンが読める!と分かったので、とたんに目の前の道が開けた感じ。PGRは冊数が多いですからね。

13.2005年2月11日:Brave New World:PGR6:6:34000語:175117語:☆☆☆☆☆:内容については上に書きましたので省略。

14.2005年2月18日:American Pie:PB(?):?:11000語:186117語:☆☆☆☆:実は私、ひょんなご縁で、著者とカラオケに行ったことがあります(>あちらはお忘れでしょうが・・)。とっても素敵な方です。アメリカよりもイギリスになじんでいる私としては、アメリカ人の著者の視点がなかなか面白く感じられました。

15.2005年2月19日:Strange but True:OFF3:5600語:191717語:☆☆☆(+):エジプトのピラミッドやイギリスのミステリー・サークルなど、さまざまな「不思議」を扱ったもの。

英語快読300万語 (3)-胸が痛くて休み休みじゃないと続きが読めない・・

「200万語」の最後の局面で、ジャクリーヌ・ウィルソンにすっかりはまった私…。「300万語」でも、彼女の作品を引き続き読もう!と思ったのですが、8のThe Story of Tracy Beakerは、胸がつまって、途中で何度も本を置きました。辛くて先が読めなくなる・…。

私には、かなり「重たい」本で、英語の問題というよりは、ストーリーのシリアスさ、リアリズムのすごさに、休み休みでないと読みとおすことが出来なかった。もちろん、とてもユーモラスに書かれてはいるんです。むしろ、「コメディ」なのかもしれないです。

だけど、映画『グッバイ・レーニン』がそうであったように、喜劇は悲劇であり、悲劇は喜劇というか、あまりの悲しさの中には突き抜けた「おかしさ」があったり、あまりのおかしさの中には、どうしようもない「かなしさ」があったりする。

ジャクリーヌ・ウィルソンは、児童文学界のリアリズム作家ということになってるらしく、こないだ英文学を専門にするイギリス人に「ジャクリーヌ・ウィルソン読んでるの」といったら、「おぉ、リアリズムね!」と言ってました。たしかに「リアリズム」だ…と思う。

私の精神年齢はまだ8~12歳くらいなのか、そのあたりの年齢の子が主人公の話の方が読みやすい…というのも、ちょっとした発見でした。

いや、これは英語のレベルの問題かな? 中学生が主人公の話も読みかけたのですが、なんとなくすんなりと話に入っていけず、そのままになってしまったので、「捨て技」を使い、また、小学校中・高学年(>イギリスだとどういうことになるのかな? コンプリヘンシブ・スクール入学前? つまり、11歳までって感じ?)が主人公の話にもどってきてしまいました。

とりあえずは、主人公の年齢がこのあたりのジャクリーヌ・ウィルソン本を狙って読んで行くつもり。

中学生以上の子が主人公のものだと、読書のスピード感が落ちるんですよね。今の私には児童書だったら、小学校4~5年生向きっていうのが、英語力の上でも精神年齢の上でも合ってるのかな? 

8.2005年1月22日:The Story of Tracy Beaker:児童書:Y.L.5.5: 25000語:67117語:☆☆☆☆☆:トレーシーは施設で暮らしている。母親は目下、トレーシーを施設に預けたまま、行方知れずだ。トレーシーは、「母は女優で今ハリウッドで撮影に忙しいから、だから私を迎えに来られないんだ。でも、いつか母がきっと迎えに来てくれて超豪華な暮らしをするんだ」、と思いながら暮らしている。本当は施設じゃなくて、誰かにフォスター・ペアレントになってもらって、一般家庭で暮らしたいと思っている。でも、トレーシーみたいに10歳にもなった子を引き取ってくれる家庭はなかなかない。トレーシーは自分を「セル・バイ・デートを過ぎた」と表現する。つっぱって生きているが、本当は、「誰か私を受け入れて!」と心の中で叫んでいるトレーシーが痛々しい。
 トレーシーは時に同じ施設の子ども達とケンカもする。トレーシーの「論理」に立ってみれば、トレーシーの行動は「もっとも」なことだ。乱暴だったり、他の子どもにすぐ手を出してしまう子どもは、その子どもの「論理」をきちんと聞いてやることが出来れば、きっと、「なるほど、もっともだ」と思うことだろう。ただ、現実には、大人たちには一人一人の子どもに対し、そこまで目線を下げて相手をしてくれない。だから、たまたま親に気持ちの余裕がある家庭に生まれれば、自分の中の粗暴な気持ちややるせない気持ちを「抑制」することを覚えていけるけど、そうじゃない家庭に育つと「乱暴な子」になってしまう。そして、自分の子にさえ余裕をもって接することが出来ない大人たちは、よその家の「乱暴な子」の横にしゃがみこんで話を聞いてやる余裕はない。せめて、自分の子どもが「乱暴な子」の被害を受けないように、と予防措置を取るくらいだ。で、「乱暴な子」は、そうやって「避けられる」から、ますます「乱暴」になっていくのだろう。
 イギリスでは要保護の子どもたちに「担当ソーシャルワーカー」がつく。トレーシーにも「担当」の人がいる。トレーシーは彼女たちが、自分たちのような子どもを世話することで「お金をもらう」ということを知っている。また、もしフォスター・ファミリーの世話になるとしても、その家庭が「支払い」を受けることも知っている。
 最初、「だって、あの人たちは私の世話を見ていることでお金をもらってるんだし」とトレーシーが思うこと、「自分の世話」を「他人」が見てくれるのは、「愛」のため「のみ」ではなく、「金」のためだ、と知っていることが痛々しく感じた。しかし、これは、大事なことなのかもしれない。つまり、「愛」のような「うつろいやすい」ものじゃなくて、国や地方自治体から支払われる「費用」によって自分が養われていると「知る」こと、そのことが、要保護の人に「プライド」を与えるのかもしれない。「愛」のみで世話をしてくれる自分より「強い」相手に、弱者はこびへつらわねばならないかもしれないからだ。
 友人が障害者のボランティアをしているのだが、障害者への金銭的援助は「家族」へではなく、「本人」に支払われるべきだと主張していた。そして、障害者自身がそのお金を使って、自分の気に入ったボランティアさんを「雇う」。そのことによって、自分は「権利」として「補助」を受けている、という「プライド」が保てるのだと。「助けていただいている」みたいな卑屈な気持ちにならなくてすむのだと。
 だから、10歳の子どもでも、「あんたは、お金もらってるんでしょ!」というようなことを思ったり出来るってことは、すごく痛々しくも感じるが、他方で、さすが福祉国家!とも言える。
 トレーシーの心の中の葛藤が見事に描かれていて、人生というのはなかなかに辛いものだ、生きにくいものだ…と思わされる。大人が、自分の子どものみでなく、子ども全体にどんな風に接していくべきなのか…ということについても、考えさせられる作品である。

9.2005年1月31日:Moondial:OBW3:レベル3:11000語:78117 語:☆☆☆☆:幻想的なお話。おばさんの家に行った主人公は、庭にある日時計(月時計?)にさわるとタイムトラベルできる。そして、それぞれ別の過去の時代で1人の男の子、1人の女の子に出会う。一方、主人公の母親は交通事故で意識不明に。主人公は母親に自分のタイムトラベルの経験をテープに吹き込んで聞かせる。

10.2005年2月7日:The Dare Game:児童書:Y.L.5.5:40000語:118117語:☆☆☆☆☆:ジャクリーヌ・ウィルソンの8の作品の続編。前作で、「どうなるのかなぁ」と気をもませましたが、結局トレーシーは、里親のもとで暮らすことに。里親はつましい暮らしをしており、トレーシーの希望どおりにはいかないのだけれど、2人は仲良く折り合いをつけながら暮らしています。でも、新しい学校はあまり好きじゃない。で、トレーシーは時々学校をさぼって空き家で時を過ごします。その空き家には別の男の子も時々来るようになり、2人は友達になります。さらに、身体が大きく強い男の子とも友達になり、3人はしょちゅう一緒に過ごすようになります。他方、トレーシーの実母が、ついに連絡をつけてきました。トレーシーは週末を実母と過ごします。実母はきれいでゴージャス。里親は複雑な気持ちででも、黙って彼女を見守る。しかし、何度か母親の所に泊るうちに、母親は最初のステイの時ほどはトレーシーの思う通りにはしてくれない。パブに出かけて遅くまで帰ってこなかったり…ということすらある。自分を本当に無条件で受け入れてくれる人が欲しくて、トレーシーの心は揺れます。これまた切ない話ですが、前作よりは「安らかな気持ちで」(?)読めたかな? それはやはり、彼女を引き取ってくれた里親が現れたり、実母が現れたり、友達が出来たりしたから?

11.2005年2月9日:The Cat Mummy:児童書:Y.L.3.5:9000語:127117語:☆☆☆☆☆:恥ずかしながら、mummyってミイラだって知りませんでした。その昔、Mummy Trap 2 を見た時にも(>字幕なし)、ず~っと、考古学者のママが活躍するから、Mummyなんだと思ってた(>おいおい。リスニング能力のレベルが知れますね~)。可愛がっていた猫が死んでしまい、丁度学校でエジプトのことを勉強している主人公は、その猫をミイラにすることを思いつきます。

12.2005年2月11日:The Werepuppy:児童書:Y.L.4.5:14000語:141117語:☆☆☆☆☆:こわがりの男の子が主人公です。父親はそんな息子がふがいなく、息子のこわがりを克復させようと、犬を飼うことを提案します。ところが、主人公が気に入ったのは、実はオオカミ?というような、狂暴ちっくな犬。主人公とこの犬の間には友情と絆がめばえていきます。

英語快読300万語 (2)-イギリス史の語り口

イギリス史は、我々にとって「外国史」だけど、やっぱりそれは「人々の過去の経験」であって、「生身の人間」がやったこと、感じたことの集積な訳です。だけど、「歴史を語る」時に「何を」重視して語るか…というか、そういうのの重点が、日本人の書いたイギリス史とイギリス人の書いたイギリス史とは「何となく」違うような気がします。

イギリス人の書く歴史は、ちょっとしたエピソードや、その時々の「人の気持ち」やその出来事についての「著者のスタンス」が、日本人の書くイギリス史(>の入門書)よりも、「強く」出ているような気がします。

そこに、「人」が登場するというか、「登場人物」が固有名詞で語られる度合いが高いというか…。それによって、歴史がより「立体的」に感じられるというか…。

4.2005年1月10日:Titanic! OFF1:レベル1:3200語:30117語:☆☆☆☆:昨夏、イギリスでタイタニックのエキジビションを見た。海に沈んでいたタイタニックからひきあげたさまざまな乗客の遺品などが展示されていた。それらの遺品は乗客たちのそれぞれの人生の断片だ。現在とは異なり、レーダーやら、24時間の無線の体制などがない中で、「なにもここまで」というくらい、さまざまな「不運」が重なって、あそこまでの惨事になってしまったのだなぁというのがよく分かった。

5.2005年1月25日:Food and Drink in Britain:OFF3:レベル3:5600語:35717語:☆☆☆☆☆:『イギリスは美味しい』という本が流行ったことがある。イギリスは「美味しい」のか「不味い」のか? 
 私はイギリスは「素材」は美味しいと思う。野菜なんかは日本の野菜より、「味が濃い」という感じがする。肉も「肉くさい」けど、味がしっかりしている。食パン(>とくに茶色いやつ)なんかも美味しい。だけど、「パンもハムも美味しいのに、そのパンにハムをはさんだだけのサンドウィッチがなんでこんなに不味いの?」というような出来事にもよく出会う。
 息子は保育園の給食が不味くて、それまで、何でも良く食べてくれて、食事で苦労したことなかったのに、すごく「食わず嫌い」になってしまった。まぁ、「マッシュポテトのカレーソースがけ」なんかは、たしかに見ただけで食べたくないかも…(>好きな人は好きなんだが)。ライスプディングも好きな人は好きだが、息子は「米が甘い」というのが許せなかったらしく(>息子は米は米だけで食べられるくらいのご飯好き)、不味いものの筆頭にあげていた。サンドウィッチも「保育園の給食でよく出た」というのがトラウマになっていたのか、ずっと食べたがらなくて、小学校高学年になってからようやく食べられるようになったぐらいだ。でも、今でも、お弁当サンドウィッチにしていい?というと、絶対ダメと言う。
 息子がイギリスでサバイバル出来たのは、魚が好きだったのと、イモが好きだったおかげだ。保育園の給食でもチップス(>ポテトフライ)はOKだったみたいだし。外食の時はたいていフィッシュ&チップスでしのいだ。 日本に帰って、家では「食べたことのないもの」を食べたがらない日々が続いたが、日本の保育園と小学校の給食のおかげで、ずいぶんと「食わず嫌い」が治ってきた。
 食べることが大好きな息子の食生活の幅を、2年間のイギリス生活のために「犠牲」にしてしまったのは、心が痛む。イギリスに行く前はカニが大好きだったのに帰国してからは、「いらない」と手を出さず、最近になって食べるようになって「え~! こんなに美味かったのか~!」と恐がってカニを食べずに過ごした「失った日々」を惜しんでいる。
 私はと言えば、「ソーセージ&チップスのグレービーソースかけ」なんてのもけっこう好きで、「イギリスは不味い」派からは白い目で見られていたりする。イギリスの素朴なビスケット類なんかも私は好きだ。
 
6.2005年1月22日:Animals in Danger:OFF1:レベル1:3200語:38917語:☆☆☆:絶滅の危機にある動物についての本。また、それを防ごうとする人間の努力についても触れられている。私は文科系なので、こうやって理科系の知識を英語で入れていくのもいいなぁと思う。

7. 2005年1月22日:Kings and Queens in Britain:OFF1:レベル1:3200語:42117語:☆☆☆☆☆:イギリス史のおおまかな流れが分かります。概説は概説なんだけど、あんまり「お勉強」くさくなくて、楽しく読めます。日本語で書かれた、イギリス史概説の類も読んだことはあるのだけれど、それよりも、使っている語彙も語数もずっと少ないのに、生き生きした感じがあります。それは、「感情」が描かれているからなのかな? たとえば、ローマ皇帝がイギリス侵略を試みようとした時、日本語の本だったら、「ローマ皇帝クロウディアスはイギリス全土をその領土とすべく」という感じで書くところを、「ローマ皇帝クロウディアスは、イギリス全土の皇帝となりたかった」と、クロウディアスの「なりたかった」感情を書く。あるいは、日本語の歴史では、あんまり語られないけど、多分イギリス史の中ではヒロインであろう、これに対抗した女性、ボディシアについての記述も、「ローマの兵士たちは、「女のお前に何が出来る!」とせせら笑った」(超意訳)という感じに書かれているので、話に引き込まれていきます。あと、そういう人物にまつわる銅像なんかがどこにあるかが書かれているのもいいです。ハイドパーク・コーナーにボディシアの像があるそうです。私はハイドパークは何度も行ってるし、この像も見たり説明も読んだりはしたことがあるんだろうけど、印象に残ってなくて、次回、ロンドンに行ったら、是非、この本に出て来た銅像を見て回ろう!と思っています。