(2003年7月24日の日記に加筆修正したもの)
今、私が担当している仕事の1つ(他にもいっぱい担当してる仕事はあるの、ぐすん)に関する会議で、英語の教育サーヴィス提供も懸案になっており、その中で、 「英語が読めるようになるにはどうすれば良いか」という話が出ました。TESLと言う、「外国人に英語を教える方法」の研究の中でも、実はリーディングの分野ってとっても遅れているそう。リーディングの上達がどのようなプロセスでなされるか、ということは実は「ブラックボックスなのだ」とさえ言われているそうです。
で、その会議で出た話によれば、「自分の能力より低い(!)ものを多読」するのが重要・・・とのこと。そっか!と、目からウロコが落ちた気がしました。
私は仕事で英語をかなり読まなければならないのですが、どうも読んでる割には上達が感じられないんですよねぇ。それに、仕事を離れてもミステリーなんかもよく読むし、メアリー・ヒギンズ・クラークのものなんかは、出版さているものすべてを英語で読んでます。この会議で検討している方法では、100万語読めば相当読めるよう
になるっていうんだけど、私、メアリー・ヒギンズ・クラークのものだけでも100万語読んでると思うぞ~!
で、「私、ミステリーなんかも良く読むのに、あまり上達感がないんだけど、それって、自分の能力以上のものを読んでるってことかしら?」(辞書なしでも筋は分かるけど、どうも細かいところでよく分かってない)と聞くと、「そうです(きっぱり!)」というお返事。
確かに、日本語が読めるようになったプロセスを考えてみるならば、一方で、読書している時に分からない言葉が出てきたとして、何となく「こういうことかな?」と思って読み進め、何度かその言葉に出会ううちに、「そうだこういうことだ」とその言葉の意味がインプットされていった、というのがあると思います。
他方で、国語の時間に教科書の分からない言葉を辞書でひいてノートに書いていくっていう宿題があって、また、授業の中で細かくテキストを精読する、という作業をする。
結局、この2つが合わさって、日本語の読解能力が身についてきた、と考える時、前者の「乱読」の部分が、英語については圧倒的に欠けているかもしれません。私の場合、量はそれなりに読んでいるけれど、自分の英語能力より「高い」ものを読んでいるので、結局、知らない単語、分からない単語に出会って、文脈から類推したとしても、それが「身についていかない」のだと思います。
で、推薦されている方法としては、グレード分けしてある英語のテキスト(gradedreading)の一番低いところから沢山読む・・・ということ。
最初、この話を聞いた時には、「いまさらなぁ」と抵抗があったんです。たとえ簡単なものでも、「英語の勉強用」のものじゃなくて、実際にイギリス人が読むもの・・・そういうのを読みたいっていうか。(英語を母語とする子どもが英語の読みを習得するためのstep readingのシリーズもあります)
でも、よくよく考えてみれば、実際自分の英語の実力は「不充分」なのだし、その現実を認めてとにかくやってみようかな・・・と思い、何冊か、グレード付きのテキストの1番簡単なのを買ってみました。う~む、良いかもぉ・・・。一番下のグレードだと分からない単語はほとんどないですが、でも、その分、英語の自然な流れとか、そういうのが感じられるかも・・・。
リスニングについて「シャワーをあびるように聞く」、というのがあるけど、読むのも「シャワーをあびるように読む」ってのが大事なのかも・・・。
ま、どうなるかは分かりませんが、しばらくこの方式を続けてみようかな、と思っています。興味のある方、私と一緒にやってみません?
この方法を推賞しているグループのHPがあります。アドレスは以下。
http://www.seg.co.jp/sss/
また、参考文献としては、酒井邦秀『快読100万語! ペーパーバックへの途 』 (ちくま学術文庫)。