英語快読200万語 (11)-停滞期&人生の辛さ

100万語の時もそうだったのだけれど、「最後の10万語」って、「あと○万語で100万だ!」というのを意識してしまって、なかなか「自然体」で読めなかったりします。70~80万語くらいまでは、語数を意識しないで読んでるんですけどね…。

さて、CERをほぼ読み終えて停滞気味だったのですが、私が思うに「停滞期」というのは、第一に仕事が忙しくて多読をする時間的精神的余裕がない、という時に必然的に訪れるものではあるが、第二に、好んで読んでいたシリーズを読み終わってしまって、次に「○○を読みたい!」というハッキリとした「意志」が芽生えていない時に訪れるものでもある。

で、今、ちょうどそういう「狭間期」なのですが、たまたま買ってあったジャクリーヌ・ウィルソンの少女向けの本を読んでみて、読み終わった後で、「あれ? ひょっとしたら?」と思って調べてみると、これが、彼女の本は実は大変な人気があることをSSSのHPにて発見。おぉ、そうだったのか…。

ローティーンからミドル・ティーンくらいの少女向けの本だけど、これがなかなかビターです。「生きる」ということは、どんな年齢の「人間」にあっても、なかなかに辛く切ないものなのだなぁと思わされる。

だからこそ、バレエが私の人生に与えてくれる「彩り」に感謝しなくては…と改めて思ったのでした。

65. 2005年:1月3日:Lizzie Zipmouth: 児童書:レベル2.5~3:7000語:
916273語:☆☆☆☆☆:母親と2人で暮らしているリジーは、母親の3度目の夫(>あるいはパートナー?)および義理の弟と同居することになります。でも、本当はリジーは母と2人暮らしがいい。リジーの母親の2度目の夫(>あるいはパートナー?)は、最初のうちは優しいフリしてたけど、そのうちリジーのことをどなったり、体罰を与えたりするようになったから。
  で、リジーは「絶対に口をきかない」と決めます。母親の新しい夫はまぁいい人そうだけど、「でも、だまされない」とリジーはガードを固める。ある日、夫の祖母の家に一家して訪ねます。このおばあちゃん、なかなかの頑固者。でも、このおばあちゃん、人形のコレクションをしていて、リジーとこのおばあちゃんは次第に心を通わせるようになります。
そんなおばあちゃんもある日脳梗塞だか心筋梗塞だかで倒れて、言葉が出なくなってしまいます。身動きも不自由になってしまい、リハビリ生活に入ります。「年を取ること」の残酷さも、子ども向けの本だけれど、隠さずにストレートに描かれている。

あぁ、子どもにとっても「人生というのは辛いのだなぁ」と思う。イギリスの児童書って、けっこうリアリズムで貫かれていてビターなんですよね。子どもにとっても「生きにくい」人生(>子どもは「逃げ場」や「逃げる手段」がない分、不幸な環境にある場合大人以上に辛い試練に耐えねばなりませんが)、大人ならなおのこと…。色々思うにまかせぬことが多いけれど、人生ってそういうもんなのかもね…。そんな「辛い」人生に、バレエという「彩り」を持てる私達は幸せなのだと言えるでしょう。「これをやっている時は楽しい」という物を持っているっていうのは、やっぱりとても幸せなことですよね。

66. 2005年1月4日:Bad Girls: 児童書:レベル5:31000語:947273語:
☆☆☆☆☆:胸がつまるようなお話です。子どもも色々な悩みを抱えながら、しかし、それをどうしていいか分からず、苦しみながら生きているんだなぁ…と思う。主人公のマンディは学校でいじめにあっています。しかも、そのいじめグループの1人は、ちょっと前まではマンディの友達だったメラニー。いじめのタネはマンディの両親が年取ってること。マンディは、両親が長い間不妊治療を重ね、ようやく授かった子どもだったのです。だから、マンディは両親からとても愛されている。 でも、マンディは自分の両親が他の子の両親みたいに「若くないこと」を恥ずかしく思ってしまう…。母親がマンディに「可愛い格好」をさせたがるのも内心うっとおしく思ってしまう…。 いじめはエスカレートして、母親は学校に訴えたりもします。しかし、学校側も適切な対処が出来ない。そんなある日、隣の家にターニャというちょっと年上の女の子が来ます。隣の家の奥さんは、里親をやっているんです。マンディとターニャは仲良しになり、マンディはようやく心の安住を得ようとします。でも、ターニャは万引き常習犯。マンディは
そのことでも苦しみます。
学年も変わり、最後の方で、新しい担任の先生が、クラス討論(サークル・タイムと彼女は読んでクラスを丸く座らせる)で「いじめ」をテーマに取り上げます。みんなぎょっとするのだけれど、彼女の手腕によって、みんなだんだん色々発言したり考えたりし始めます。 先生は「誕生日でみんなが祝福してくれてプレゼントをくれてとってもはっぴぃな時、あなたは人をいじめたいと思う?」と問う。「人をいじめたくなる時」はどんな時か、「いじめる子」も「かわいそう」なんだ…ということを、生徒たちに考えさせる。
まぁ、現実はそんな風にうまくは進行しないのかもしれないけれど、大人が適切な場所で適切な処置を取ってやれば、子どもの人生の苦しみの8割は解消できるはず…。前の担任の先生にも校長にもその「手腕」がなかった…。
マンディの母親もマンディを本当に愛しているけれど、マンディの微妙な心の揺れや、マンディの悩みを分かるだけの「知恵」というか、「感性」というか、そういうのが足りなかった。父親は割合マンディの心のありように近いところにいるのだけれど、仕事もあるし(>母親もパートで働いているけれど)、いつもマンディのそばにいられる訳ではない。
親も教師も、みんなが新しい担任の先生のように「知恵」も「感性」も「力量」も備えている訳ではない。熊沢誠先生が『女性労働と企業社会』で「中学の先生に必要なもの」としてあげている「人間力」をみんなが持っている訳じゃない。
大人も子どもも色々な「限界」を抱えながら、「人間力不足」のために、自分で自分を「生き苦しく」しているのかもしれないです。「中学の先生」以外の大人も、子どもと関わる立場にある人には「人間力」が必要だなぁ…としみじみ思う。親や教師に「人間力」があれば、どれだけ多くの子どもが救われるだろうに・…と思う。
大人も欠点や能力不足に悩みながら「自分の人生」であっぷあっぷしている訳なので(>私もその筆頭)、自分の子どもや自分の生徒の「危機」に、適切な時に適切な対処が出来ない。子どものサインを見逃さず、適切な対処が出来るよう、大人は「知恵」と「感性」を磨く必要があるなぁ…としみじみ思いました。

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