111のBallet Shoesはとても読み応えのある本でした。
1930年代のロンドンを舞台にしたお話。主人公の3人の娘は孤児。化石収集のために世界を飛び回っている道楽者(>と言っていいのかな?)のマシュー大叔父さんが、「拾ってきた」女の子たちです。
彼女たちは、マシュー大叔父さんの姪と乳母やら使用人やらと大叔父さんの家で暮らしていますが、またもや旅に出た大叔父さんが予定を過ぎても帰ってこない。そうこうしているうちに、大叔父さんが残していってくれたお金が底をついてきます。
広い家ですから、下宿人をおいたり色々しますが、それでも「やりくり」が難しくなってくる。そんな訳で、3人の娘はthe Children’s Academy of Dancingという学校に行くことになるのです。舞台の仕事なら「12歳から」金が稼げるのです。
彼女達は、自らの名字をマシュー大叔父さんが集めているFossils (化石)と決め、いずれ歴史の本に名を残すような人になろうと誓いをたてます。自分たちは孤児であり、もし、名を残すようなことがあれば、それは自分たち自身の力によってであり、祖父の七光りだとか、そういうことではない、というのです。
驚くべきことに、この物語がの初版は1937年のこと。しかし、読んでいて「古さ」は全く感じません。何世代も読みつがれてきた、児童文学の「名作」であり「古典」なのでしょう。生き残ってきた文学の「強さ」と「普遍性」を感じさせます。
1930年代のイギリスにおいて「舞台芸術」というものが占めていた位置というか、「芸人」の社会的ポジションというか、そういうものもシビアに理解することが出来ます。イギリスにおいては、舞台人は決して「お譲様芸」などではなく、「食っていかねばならぬ家庭の子女」のものなんですね。そして、また逆に、舞台芸術は「食ってくことの出来る道」なのです。この差は現在にいたるまで、続いているとも言えます。少なくともバレエの世界では。
あと、もう一つ印象に残ったのは、3人姉妹(>といってもそれぞれ違うところから「拾われて」きたので血はつながってない)の2番目の娘は、機械好き。でも、当時は女性には、その機械好きを生かす仕事がないんですね。長女は演劇に、三女はバレエに、それぞれ天分があるんですが。
次女は「食ってく」ために舞台芸術の勉強をし続けますが、本当は、下宿人の自動車修理工場で機械いじりしてるのが彼女にとって最も幸せな時間。でも、こういう機械好きで当時の社会の中では(>あるいは現代においても?)「居場所のない」女の子を登場させているところもこの小説の作家の先見性のようなものが現れているのかもしれません。
SSSの書評では、「ユー・ガット・メール」の中でメグ・ライアンがこの本を薦める場面が出てくるというので、これ、一度飛行機の中で見てるんだけど、ビデオを借りて見てみました。
そしたらね、これ、字幕が悪いわね~。
メグ・ライアンは「ステンフィールドはスケーティング・シューズやらシアター・シューズやらダンシング・シューズを書いている」と言ってるのに字幕は「スケート靴の話もあるのよ」となっている。「バレエ・シューズ」にしても「バレエ・シューズの話」とされている。これさ、靴の話じゃないよ! シアター・ライフの話だよ。「バレエ・シューズ」という本」「「スケート靴」という題名の本」とすべきだと思うわ。字が足りないんだったら「「バレエ・シューズ」「スケート靴」などを書いている」(>まぁ、これじゃ字幕として固すぎるのかもしれないけど)としたらいいのに。
ステンフィールドの本を読んだことのない人が字幕を書いているのでしょうが、このステンフィールドの本が、「これだけ長きにわたって愛されている」ということを知っていれば、あるいはステンフィールドの本を1冊でも読んでいれば、もっと違った訳になっただろうに…と、彼女の本を読んでからこの字幕を見ると、すご~く残念に思います。だって、本当に良い本なんだもん。アメリカにおいては「バレエ・シューズ」というだけで「話が通じる」んでしょうね。「赤毛のアン」みたいな感じで。それだけ読みつがれている本なんでしょう。
「残念ながらバレエ・シューズもスケーティング・シューズも絶版」と、この映画では言っていたけれど、「バレエ・シューズ」が2003年に再版で出てるのは、これは、ひょっとしてこの映画のおかげかしらん。
「ダンシング・シューズ」も「シアター・シューズ」も復刻されてるようだけど、「スケーティング・シューズ」はまだみたいです。「バレエ・シューズ」の後ろには「シアター・シューズ」と「ダンシング・シューズ」の抜粋がちょこっと載ってますが、「シアター・シューズ」では戦争に行った父親が行方不明になって「日本軍の捕虜になったんだろうか?」というような場面も出てきます。これを読むことは、第二次世界大戦の日本とイギリスの関係を、イギリス側から見てみる貴重な「読書」になるかもしれません。
メグ・ライアンは「スケート靴」もとても薦めていたので、「スケート靴」も再版されるとうれしいな。
それにしても、この「バレエ・シューズ」は、7万語程度なのですが、読破に時間かかったなぁ。まぁ、細切れにしか時間が取れないというのはあるにせよ、もし、これ、日本語で書かれていれば、これだけの面白さのある本だったら、私、ガマンできなくて1~2日で読み終えてしまうと思う。(>仕事にしわ寄せがきても)
やはり、英語については、まだまだ決定的に「速度不足」なのだなぁと、改めて思いました。
あ、聴き取りに関しても、字幕について偉そうなこと言ってますが、これ、字幕なしでは、細かいとこ全然分かってません。この映画を見たのは飛行機の中だったので字幕なしで見ました。字幕なしでもおおざっぱな筋は大体分かるけど、一番面白い、メールでの言葉での駆け引き、応酬、はずみ、なんかが、実はぜ~んぜん分かってま
せん。
主人公のノリのいいメールのやり取りの「機微」なんぞは、「楽しそうにメールの交換をしている」ということは分かっても、どこでお互いが惹かれてるのか、とか、そういうの字幕なしにはぜ~んぜん分かりません。
シャドウィング(SSSではシャドウィングと言って、聴き取りの練習として、ニュースや映画を見ながら、ぶつぶつぶつと登場人物の言ってることを繰り返すという方法を提唱しています。これ、効果あるかも。私も、イギリスに住んでいて一番リスニング能力が高かった時期は、英語がそのまま英語の「音」として頭に入ってきてました。今は昔・・の話だけど)の方ももちっと頑張ってみようっと。
111.5月8日(土):Ballet Shoes:?:71000語:811583語:☆☆☆☆☆:
上に書いたとおり、とても読み応えのある本です。そして、イギリスの児童文学らしく、主人公が舞台で成功して鼻持ちならなくなってしまう時期があったり、そういうのもとてもシビアにリアルに書いています。主人公はいつも「キレイ事」の人ではなく、イヤな面も持ち合わせること、人間のイヤな面が前面に出てきてしまうこともあること、そのあたりをイギリスの児童文学っていうのは実に手厳しく描くなぁといつも思います。
112.5月10日(月):Summer Party:YL0:3500語:815083語:☆☆☆☆:
The Cobble Street Cousins というシリーズの中の1冊。美しいお話です。
113.5月11日(火):A Little Shopping:YL0:2800語:817883語:☆☆☆☆:美しいお話