英語快読300万語 (7)-TVドラマ制作の難しさ

キャサリン・グレアムのバーナビー警部のシリーズの2作目を読んだ。バーナビー警部のシリーズは前にも書いたけど、イギリスではMidsomor Murdersという人気シリーズだ。日本でもNHKで放映され、今はケーブルテレビで時々放映されている。DVDも出ているので、原作と読み比べるのにも便利だ。

で、この、Death of a Hollow Manは、以前、DVDで見たことがあるので、「ある程度話が分かってる」つもりで読み始めた。しかし、読み始めて見ると、「あれれ???」となった。

つまりですね、ちっとも「殺人」が起こらないんですよ。300ページあるうちの最初の100ページくらいは、人物描写で…。この、「生き生きした」人物描写ってのが、グレアムの持ち味なのだが…。

それにしても、「ある程度話を知ってる」状態で読んでるから、100ページも読んで、事件が始まらなくても、まぁ、何とか読めるが、現在の私の英語力では、「まっさら」状態で読み始めたら、けっこう混乱するかもなぁ…。ここでの詳しい人物描写があるからこそ、事件が起きた後で、誰が犯人なんだろう?…と考えるのが「楽しい」というか、そこに「厚み」が出るというか、そういうのはあるのだが。

シドニー・シェルダンと比べて、グレアムのものは「読みにくい」。その「読みにくさ」の理由の一つは、イギリスの口語的表現が混ざってたり、イギリスの日常生活が良く分かってないと分からない表現が混ざっている、というのもあるんだろう。

でも、まぁ、面白いので、TVドラマの助けも借りて、何とか読み進めることは出来る。読み終わった後、疲れるけど。

しかし、最初の100ページが、単なる人物描写、というのでは、TVドラマは作れない。DVDの方も改めてもう一度借りて見てみたのだが、ずいぶんと、話の展開が違っている。TVドラマ制作者も、いろいろ苦労があるのだなあ…というようなことが良く分かる。

魅力的な小説がそのまま「原作に忠実に」作っても、「面白いTVドラマ」になることもあれば、ならないこともある。グレアムの場合は、「忠実に」だと無理があるのだと思う。なので、2時間くらいの枠にうまく収まるように、話の順番を入れ替えたり、原作にはない登場人物を登場させたり、逆にはぶいたり…というような「作業」が必要になるみたい。

この「違い」を「味わう」のも、また楽しい。

同じ語数であっても、バーナビーを1冊読む苦労は、シェルダン1冊読むのの2倍くらいあるし、ジャクリーヌ・ウィルソンを同じ語数読むのの5倍くらいあるので、バーナビーは、現在のところ「100万語」あたり1冊が限界かな?と思う。「200万語」の時は同じ物を二度読みした。今回の物も二度読みするのもいいかな?と思う。前回同様、二度読みしても、なんとなく「あいまい」な部分が残りそうだけど。

22.2005年3月9日:Death of a Hollow Man:PB:100000 語:497047 語:☆☆☆☆☆:昨年夏、イギリス出張で相手方の担当者とランチで趣味の話になった時、彼女の趣味は「アマチュア・ミュージカル」だということを知った。イギリスでは「大人のバレエ」のステージはないけれど、「アマチュア・シアター」の方はかなり本格的らしい。この小説の中の「アマチュア・シアター」も、相当本格的である。イギリス人にとってはバレエは「新しい外来文化」だが、演劇はシェークスピア以来の「土着の文化」なのかもしれない。

23.2005年3月14日:Lotty Project:児童書:50000語:547047 語:☆☆☆☆☆:ジャクリーヌ・ウィルソンもの。主人公は、お姉さんかとみまがうような若い母親と2人暮らし。でも、母親は失業してしまいます。せっかくフラットを買ったばかりなのにローンが払えなくなっちゃうかも。母親は何とかフラットを失わないように、と、求職活動をするんだけど、うまく行かず、掃除婦の仕事をカケモチすることに…。
  主人公は学校でヴィクトリア朝のことを調べる「プロジェクト」をやることに。この「プロジェクト」っていうのは、まぁ、「自由研究」みたいなものかもしれませんが、イギリスの学校では授業の一貫として重要な位置付けを持ってるみたい。町の図書館の司書さんたちも、子どもたちが「プロジェクトなんです」と調べ物に来ると、「そう、どんなテーマ? どんな角度から調べたいの?」「じゃあ、こんな本はどう?」と、協力する体制が出来ているみたい。
 で、主人公は、「プロジェクト」のテーマとして、自分と同じ歳の少女がヴィクトリア朝にメイドをしていたら、その暮らしがどんな風だったか?という形で「プロジェクト」を進めて行きます。隣の席の金持ちの男の子からは「そんなのヘンだよ。プロジェクトじゃないよ」というようなことを言われつつも、主人公はこの「プロジェクト」に夢中になって行く。
 隣の席の男の子は「そんなのヘンだよ」と言ったけれど、イギリスの子どもの歴史の参考書を見ると、「この時代の農民になったつもりで、1日の生活について日記を書いてみましょう」みたいなのが、けっこう「問題」に出てくるんだよね。歴史をauthenticに「感じる」ということが、重要視されてるみたい。
 そんなイギリスの学校教育の特徴なんかも興味深く味わいつつ、主人公と一緒になってイギリスのヴィクトリア朝をタイム・トリップしたような気持ちになれる一冊です。

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