英語快読300万語 (3)-胸が痛くて休み休みじゃないと続きが読めない・・

「200万語」の最後の局面で、ジャクリーヌ・ウィルソンにすっかりはまった私…。「300万語」でも、彼女の作品を引き続き読もう!と思ったのですが、8のThe Story of Tracy Beakerは、胸がつまって、途中で何度も本を置きました。辛くて先が読めなくなる・…。

私には、かなり「重たい」本で、英語の問題というよりは、ストーリーのシリアスさ、リアリズムのすごさに、休み休みでないと読みとおすことが出来なかった。もちろん、とてもユーモラスに書かれてはいるんです。むしろ、「コメディ」なのかもしれないです。

だけど、映画『グッバイ・レーニン』がそうであったように、喜劇は悲劇であり、悲劇は喜劇というか、あまりの悲しさの中には突き抜けた「おかしさ」があったり、あまりのおかしさの中には、どうしようもない「かなしさ」があったりする。

ジャクリーヌ・ウィルソンは、児童文学界のリアリズム作家ということになってるらしく、こないだ英文学を専門にするイギリス人に「ジャクリーヌ・ウィルソン読んでるの」といったら、「おぉ、リアリズムね!」と言ってました。たしかに「リアリズム」だ…と思う。

私の精神年齢はまだ8~12歳くらいなのか、そのあたりの年齢の子が主人公の話の方が読みやすい…というのも、ちょっとした発見でした。

いや、これは英語のレベルの問題かな? 中学生が主人公の話も読みかけたのですが、なんとなくすんなりと話に入っていけず、そのままになってしまったので、「捨て技」を使い、また、小学校中・高学年(>イギリスだとどういうことになるのかな? コンプリヘンシブ・スクール入学前? つまり、11歳までって感じ?)が主人公の話にもどってきてしまいました。

とりあえずは、主人公の年齢がこのあたりのジャクリーヌ・ウィルソン本を狙って読んで行くつもり。

中学生以上の子が主人公のものだと、読書のスピード感が落ちるんですよね。今の私には児童書だったら、小学校4~5年生向きっていうのが、英語力の上でも精神年齢の上でも合ってるのかな? 

8.2005年1月22日:The Story of Tracy Beaker:児童書:Y.L.5.5: 25000語:67117語:☆☆☆☆☆:トレーシーは施設で暮らしている。母親は目下、トレーシーを施設に預けたまま、行方知れずだ。トレーシーは、「母は女優で今ハリウッドで撮影に忙しいから、だから私を迎えに来られないんだ。でも、いつか母がきっと迎えに来てくれて超豪華な暮らしをするんだ」、と思いながら暮らしている。本当は施設じゃなくて、誰かにフォスター・ペアレントになってもらって、一般家庭で暮らしたいと思っている。でも、トレーシーみたいに10歳にもなった子を引き取ってくれる家庭はなかなかない。トレーシーは自分を「セル・バイ・デートを過ぎた」と表現する。つっぱって生きているが、本当は、「誰か私を受け入れて!」と心の中で叫んでいるトレーシーが痛々しい。
 トレーシーは時に同じ施設の子ども達とケンカもする。トレーシーの「論理」に立ってみれば、トレーシーの行動は「もっとも」なことだ。乱暴だったり、他の子どもにすぐ手を出してしまう子どもは、その子どもの「論理」をきちんと聞いてやることが出来れば、きっと、「なるほど、もっともだ」と思うことだろう。ただ、現実には、大人たちには一人一人の子どもに対し、そこまで目線を下げて相手をしてくれない。だから、たまたま親に気持ちの余裕がある家庭に生まれれば、自分の中の粗暴な気持ちややるせない気持ちを「抑制」することを覚えていけるけど、そうじゃない家庭に育つと「乱暴な子」になってしまう。そして、自分の子にさえ余裕をもって接することが出来ない大人たちは、よその家の「乱暴な子」の横にしゃがみこんで話を聞いてやる余裕はない。せめて、自分の子どもが「乱暴な子」の被害を受けないように、と予防措置を取るくらいだ。で、「乱暴な子」は、そうやって「避けられる」から、ますます「乱暴」になっていくのだろう。
 イギリスでは要保護の子どもたちに「担当ソーシャルワーカー」がつく。トレーシーにも「担当」の人がいる。トレーシーは彼女たちが、自分たちのような子どもを世話することで「お金をもらう」ということを知っている。また、もしフォスター・ファミリーの世話になるとしても、その家庭が「支払い」を受けることも知っている。
 最初、「だって、あの人たちは私の世話を見ていることでお金をもらってるんだし」とトレーシーが思うこと、「自分の世話」を「他人」が見てくれるのは、「愛」のため「のみ」ではなく、「金」のためだ、と知っていることが痛々しく感じた。しかし、これは、大事なことなのかもしれない。つまり、「愛」のような「うつろいやすい」ものじゃなくて、国や地方自治体から支払われる「費用」によって自分が養われていると「知る」こと、そのことが、要保護の人に「プライド」を与えるのかもしれない。「愛」のみで世話をしてくれる自分より「強い」相手に、弱者はこびへつらわねばならないかもしれないからだ。
 友人が障害者のボランティアをしているのだが、障害者への金銭的援助は「家族」へではなく、「本人」に支払われるべきだと主張していた。そして、障害者自身がそのお金を使って、自分の気に入ったボランティアさんを「雇う」。そのことによって、自分は「権利」として「補助」を受けている、という「プライド」が保てるのだと。「助けていただいている」みたいな卑屈な気持ちにならなくてすむのだと。
 だから、10歳の子どもでも、「あんたは、お金もらってるんでしょ!」というようなことを思ったり出来るってことは、すごく痛々しくも感じるが、他方で、さすが福祉国家!とも言える。
 トレーシーの心の中の葛藤が見事に描かれていて、人生というのはなかなかに辛いものだ、生きにくいものだ…と思わされる。大人が、自分の子どものみでなく、子ども全体にどんな風に接していくべきなのか…ということについても、考えさせられる作品である。

9.2005年1月31日:Moondial:OBW3:レベル3:11000語:78117 語:☆☆☆☆:幻想的なお話。おばさんの家に行った主人公は、庭にある日時計(月時計?)にさわるとタイムトラベルできる。そして、それぞれ別の過去の時代で1人の男の子、1人の女の子に出会う。一方、主人公の母親は交通事故で意識不明に。主人公は母親に自分のタイムトラベルの経験をテープに吹き込んで聞かせる。

10.2005年2月7日:The Dare Game:児童書:Y.L.5.5:40000語:118117語:☆☆☆☆☆:ジャクリーヌ・ウィルソンの8の作品の続編。前作で、「どうなるのかなぁ」と気をもませましたが、結局トレーシーは、里親のもとで暮らすことに。里親はつましい暮らしをしており、トレーシーの希望どおりにはいかないのだけれど、2人は仲良く折り合いをつけながら暮らしています。でも、新しい学校はあまり好きじゃない。で、トレーシーは時々学校をさぼって空き家で時を過ごします。その空き家には別の男の子も時々来るようになり、2人は友達になります。さらに、身体が大きく強い男の子とも友達になり、3人はしょちゅう一緒に過ごすようになります。他方、トレーシーの実母が、ついに連絡をつけてきました。トレーシーは週末を実母と過ごします。実母はきれいでゴージャス。里親は複雑な気持ちででも、黙って彼女を見守る。しかし、何度か母親の所に泊るうちに、母親は最初のステイの時ほどはトレーシーの思う通りにはしてくれない。パブに出かけて遅くまで帰ってこなかったり…ということすらある。自分を本当に無条件で受け入れてくれる人が欲しくて、トレーシーの心は揺れます。これまた切ない話ですが、前作よりは「安らかな気持ちで」(?)読めたかな? それはやはり、彼女を引き取ってくれた里親が現れたり、実母が現れたり、友達が出来たりしたから?

11.2005年2月9日:The Cat Mummy:児童書:Y.L.3.5:9000語:127117語:☆☆☆☆☆:恥ずかしながら、mummyってミイラだって知りませんでした。その昔、Mummy Trap 2 を見た時にも(>字幕なし)、ず~っと、考古学者のママが活躍するから、Mummyなんだと思ってた(>おいおい。リスニング能力のレベルが知れますね~)。可愛がっていた猫が死んでしまい、丁度学校でエジプトのことを勉強している主人公は、その猫をミイラにすることを思いつきます。

12.2005年2月11日:The Werepuppy:児童書:Y.L.4.5:14000語:141117語:☆☆☆☆☆:こわがりの男の子が主人公です。父親はそんな息子がふがいなく、息子のこわがりを克復させようと、犬を飼うことを提案します。ところが、主人公が気に入ったのは、実はオオカミ?というような、狂暴ちっくな犬。主人公とこの犬の間には友情と絆がめばえていきます。

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