親子で英語快読100万語 (2)-英語というトラウマ(長い前置き その2)

保育園の先生からは、「子どもにもプライドというものがあるから、英語が話せない子どもは数ヶ月何も喋らないということがよくあります。でも、少しずつ英語は理解できるようになっていきます。そしてある日、「自分の英語は充分話すに足るものだ」という自信が出来ると、突然話し出します。だから心配しないで」と言っていただきました。

よく、子どもは適応能力があるから、外国に行ってもすぐ慣れるとか、すぐ英語が喋れるようになる…とかいいますが、それは、そういう子どももいるだろうけれど、実は子どもにとってはとても負担が重いものです。特にQの場合は、子どもながらに「完璧主義」なところがあって、英語の方は徐々に理解出来るようになり、自分でも話すようになり、保育園での生活は一応とどこおりなく過ごせるようになったのですが、いつまでたっても「自分の英語は完璧ではない」という思いが自分の中にあったようです。彼のプライドは傷ついたままだったんです。

私はと言えば、Qの英語の心配よりは、「日本語を残すこと」の方に心を砕いていました。思考は「言語」によって行うので、「考える」言語がしっかりしていることがとても大切だと本で読んだことがあります。それは日本語でも英語でもスワヒリ後でもかまわないのだけれど、とにかく根幹になる言語が「しっかり」していること…それがすごく重要。

Qは2年経てば日本に帰ることはハッキリしていたので、Qの人生にとっては英語よりは日本語が大切…。なので、私はQが日本語を忘れないように、家では日本語を使ったし、日本語の本も読んでやるように心がけていました。

今思えば、英語の手助けも平行してやってやれば良かった…と思います。まぁ、絵本を読んだり、英語の歌を聴いたり、アルファベットを教えたり、一緒にビデオを見たり、それなりに「多読」状態ではありましたが、私のプライオリティが「日本語のキープ」にあったので、Qの置かれている辛い状態への理解が不足していたように思います。

保育園児だったので、学校のように「勉強」がないだけ気楽…という面もありますが、反面、「勉強」の場合、言葉全体が出来なくても、「勉強に必要な言葉」で対処したり、「勉強は」出来る…ということで自分をアピール出来る面もあるんですよね。たとえば、息子の通っていた保育園は、保育園ではありましたが、私立だったということもあり、「プレ・スクール」的な側面があって、たとえば「数」だの「色」だの「形」だの「お勉強」があるんです。息子は、”What colour?” →“Pink”とか“What shape?”→”Semi-circle”のように一語で答えられる質問には自信を持って対応できていたみたい。だから、言葉が出来ないということを、「お勉強」によって「補う」というか、そういうことは実は可能な面があります。

だけど、たとえば、「この先、ジャックとベティはどうなったでしょう。自由に続きを考えてごらん?」みたいな質問には、多分、自信を持っては対処できてなかったんじゃないかと思うんですよね。

当時の息子の英語は、「状況」と結びついて覚えた英語です。だから、「こういう時にはこういう風に言う」というように「フレーズ丸ごと」で覚えた英語です。よく、「ほぉ!」と感心することがありました。たとえば私が運転してる時に、”Watch out!“といったり・・。彼は、watch とoutをバラバラに覚えて、これはphrase of verb だ、なんてことは全然知らずに、ただただ、危ない!とか気をつけて!という「状況」では”watch out!”と言う、と身体で覚えていたのです。

私の目から見れば、うらやましい「英語感覚」や「発音」を身につけていたのですが、彼は「自分では」英語コンプレックスを持っていて、日本に帰ってきて、私の母に「日本の保育園はどう?」と聞かれて、「おばあちゃん、日本の保育園は楽でいいよ。日本語でいいんだもん」と言ったとか…。小さいなりに「英語で苦労」していたんですね。

…という訳で、日本に帰ってから、「こんな辛い思いをさせたのだからせめて英語だけでもキープさせてやろう」と、留学生のベビーシッターさんを頼んで、少しだけ英語を教えてもらい、細々とでも英語に触れさせようとしました。しかし、これは「失敗」でした。もし英語を習わせるなら、小さい子どもほど「プロ」を頼むべきだったんです。

Qの英語への拒絶反応もあり、途中でどうもうまく行かなくなり、某英会話学校の子ども用の個人レッスンに通わせ始めました(>合うクラスがないと言われて)。そしたら、あ~らびっくり! すっごく楽しく通うようになりました。ここでは、ゲームを取り入れたりして、楽しく英語を教えてくれます。

ところが!!! 今度は私の方が忙しくなってしまって、しばらく通ったんですが、Qを連れていけなくなり、そのまま何となく立ち消えになってしまい、そうこうするうちに小学生になったら、今度は小学校の生活が忙しく、そしてまた、そうこうするうちに中学受験のための塾に通いはじめたりして(>結局公立に通ってますけど)、英語までは手が回らず、今や英語は「すっかり忘れてしまった!!!!」という状態です。

Qにとっては、英語は「底無しの恐怖」を感じるもので、「自分の英語」へのコンプレックスは彼の心に深く深くトラウマを残してしまったみたいです。

ある時、「沖縄に行こうか?」と言う話になったんです。そうしたらQが「だめだよ。僕沖縄の方言話せないもの」と言うの。彼の心の深い亀裂を見た思いをしました。

「言葉」という「道具」をもぎ取られることは、人間にとって、いかに恐ろしいことなのか…。

その後も私はイギリスに行く機会が何度もあり、「一緒に行こうよ」と誘っても「英語が出来ないからダメ。中学になって英語を習うようになったらね」と拒絶され続けました。

そして、小学校も卒業間近になった時、当時通ってた塾で中学入学にそなえて「フォニックス」の講座があるというので受けさせてみました。イギリスの子どもにとって、「あ・い・う・え・お」と一字に対し一音の対応の日本語と違い(>最初に「読む」を覚える時は「ひらがな」ですから)、リーディングを覚えるってとっても大変なことなんですよね。小学1年生と幼稚園児を連れてイギリス留学した友人が、「イギリスではフォニックスを教えるから息子は意味が分からなくても、音だけは読めちゃうんでびっくりしちゃう」と言っていたのを聞き、「フォニックス」はやらせてみたいなぁと思っていたんです。「びー・おー・おー・けー→ぶっくじゃなくて、ぶっ・おっ・おっ・くっ→ぶっくと読むんですよね~」って、友人の奥さんが感慨深そうに言っていて、学校時代、いちいち発音記号を辞書で調べては単語帳に書き込んで発音を覚えていた私としては、いいな~、私もやってみたいな~と思いました。

という訳で、息子は、昔の英語はす~っかり忘れ、フォニックスをちょいとかじった状態で中学校に入学しました。小学校の時から英語を習っている子も多い中、英語は「ほぼゼロ」の状態からのスタートです。

たまたま、夫が長期海外研修で9ヶ月間イギリスに出ていて、この夏(2004年)は、父親を訪ねてイギリスに行くことになりました。私は、何とかQの英語への恐怖を取り除いてやりたいと思い、渡英前に少しだけ英会話のレッスンを取らせました。Qは「学校の英語より面白いよ」と喜んで通いました。

そして、実際にイギリスに行き、最初はこわごわと、自分で買物したりしてましたが、帰る頃には、「ちょっとトイレに行ってくるね」とさっさと自分でトイレの場所を聞いて、トイレに行ってくる…というような状態になりました。

イギリスにいる間に、「やっぱり英語が出来ると人生お得かも…」というのを実感したらしく、帰ったら英語頑張ろうっと!という気持ちになったみたいで、帰国してからも英会話に通い続けたいと言います。

帰国してしばらくしたある日、「ねぇ、ハハ(>Qは私をハハと呼ぶ)、英語の勉強しようよ。一緒にやって」と言うので、「じゃあ、何をやる? とりあえず教科書持ってきてごらんよ」と英語の教科書をじゃんじゃん読ませてみました。そしたら、なんか教科書って面白くないのね~。色々工夫はされてるんだけど。

で、じゃあ、いっそ「多読」はどうかなぁ、と思って、息子に「やってみる?」と聞くと、「うん」と言う。私自身が「多読」を始めていて、家にGRがゴロゴロしていたので、「多読」という方法自体は、Qも何となく知っていました。

そんなふうに、私達の「親子で100万語」はスタートしましたた。

長い前置きですみません。

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