親子で英語快読100万語 (1)-子連れ単身留学(長い前置き その1)

息子のQは今中1。ご存知の方も多いと思うけど、彼は2歳半から4歳半まで、母の「海外研修」にくっついて行ってイギリスで暮らしました。まだ日本語もおぼつかない状態で、「国」というものがあり、「よその国」では人々は違う言葉を喋っているというような「知識」が皆無な状態で、いきなり外国暮らしをすることになったのです。出発直前、1~2度、留学生に家に来てもらって、英語で遊んでもらったけど、準備と言えばそれだけ。

しかも、世の海外駐在員の子どもというのはたいてい「父親」が働いていて「母親」は家にいるという状態で海外に行くのに、Qの場合は「父親」は日本に置いて、「母親」と2人で海外に行き、しかも「母親」が働いている(>勉強している)という状態。通常なら、2歳半であれば、子どもは幼稚園にも行かず、外に出ればみんなが訳の分からないこと喋っていても、1日の大半の時間は母親と過ごしている訳です。

私が昼間大学で勉強している間は、Qは保育園で過ごしていました。齢4ヶ月の頃から保育園に通っていたQではありますが、右も左も分からない外国で、頼りになるのは母親一人という状態で「保育園に置いて行かれる」という恐怖は、それはもう、とんでもないものがあったようです。保育園への曲がり角の所で立ち止まって、「おうち帰ろう」と私の手を引っ張る…。その光景は今思い出しても胸がつまります。今もイギリスに行くと、そこの曲がり角の所をバスで通ることがあるんですが、その曲がり角を見ると、思わず涙が出ます。私の仕事や勉強は、子どもにこんな思いをさせてまでする価値があるのか…と思いました。でも、イギリス政府から奨学金もらっちゃったし、職場からも給料もらいながらの留学だったから、そう簡単に「じゃ、帰ります」とも言えず、留学は続行してしまいました。

Qにはかわいそうなことをしました。

私にとっては、この2年間は、勉強はもちろん大変だったけれど、それでも、日本での勤務状態に比べれば、ずっと「ゆったり」な時間の流れの中で(>「金を払ってやること」は「金をもらってやること」より楽である)息子と過ごせ、とてもとても「幸せ」だったんですが(>せっかく産んだのに一緒に過ごせないんじゃね~)、息子の方は、「母と一緒に過ごせる時間が長い」ことの幸せより、「母と過ごせない時間の恐怖」が大きかったみたいです。

「言葉が分からない」ということは、とんでもなく恐いことです。日本の保育園だったら、もし何かあって私のお迎えが遅くなっても、保母さんが何とかしてくれるだろうし、保母さんの言ってることが分かるから何とかなるだろう…という安心感があるけど、イギリスの保育園じゃ、もしも「母が迎えに来なかったらどうしたらいいんだ!!!!!」というのは常にあったと思う。

そして、そういう状況は起こり得た訳です。幸い何事もなく2年間過ごせましたが、私は車で通学してましたから、途中交通事故にあう…という危険だってあった訳です。そして病院に運ばれて保育園にお迎えに行けない、意識を失っていて連絡を取れない…そういう状況が生じる可能性は、充分にあったのです。それを思えば、Qの底知れない恐怖というのは、もっともなことです。

無理矢理決行、無理矢理続行の単身子連れ留学でした。

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