韓流にはまる (7)-チェリンの評価

我々の間ではチェリンの評価は当初大変低かった。高校時代もチュンサンは私のもの!と宣言し、他の女を近づけないようにするし、ミニョンとユジンが近づきそうになった時には、あの手この手の策略でユジンの評判を落とそうとする。

それを「健気」と見る向きもあったようだが、チェリンが策略を思いついて「ふふふ」と含み笑いをすると、「お、また策謀を考えているな」「チェリンすごいウソツキだよねー」「チェリンこわいよねー」と「おしゃべりタイム」がチェリン批判で盛り上がったものだ。

男性において「くどいてくどいてくどき落とす」が韓国における恋の正攻法なら、女性の場合には、どんな汚い手を使っても相手の心を自分に向けるのが恋の裏技なんだろうか。男の方から正攻法で攻めてもらえれば、女の正攻法で「ふってふってふりまくって」最後に「しょうがないわねー」と「落ちる」という女の正攻法が使えるのだろうけれど。

相手からいいよられるのを待つというのが「正攻法」であるとしても、韓国の女性は、日本の少女マンガみたいにただひたすら待っていたりはしない。正攻法の裏をかく。

『オールイン』でも、女性ディーラーたちの控え室で、「イナはもらった。私のものよ。手を出さないで!」と宣言する女性がいた。韓国の女性たちは、こんな風に、「宣言したもの勝ち」という「恋のルール」で動いているのだろうか。だとすると、高校時代のチェリンがやったことも、韓国流の「恋のルール」の範囲内なのかな?

実は『冬のソナタ』を見終わってから、『美しき日々』や『美しい彼女』などを見たのだが、『美しき日々』に出て来るレコード会社の女社長や、とりわけ、『美しい彼女』に出て来る『冬ソナ』で、ミニョンの母親役をやっていた女優演じるボクシングの偉い人(>マネージャー? プロデューサー?)なんかは、その凄腕ぶり、策略家ぶりはハンパじゃなく(>こっちはビジネスにおいてだが)、これらの女性を見た後、我々は、「これにくらべたらチェリン可愛かったね」ということで見解の一致を見た。

これらの女性が次々と策略をめぐらすのを見ては、「なんだチェリン可愛いぢゃん!」と、チェリンの策略家としての「小物」ぶり、その策略の動機の「純粋さ」ぶりが、再認識されたりしたのであった。

韓流にはまる (6)-韓国の姑って強い!

韓国においては、お姑さんの立場はTVドラマを見る限りは日本より強そう。

サンヒョクのお母さんは、「だいたい私はユジンと結婚することなんて最初から反対ですからね!」とかハッキリ言うし、ユジンの前でも失礼なことを言いまくりである。「姑」という立場に守られた女は何をやっても許される、という傍若無人ぶりである。

イギリス留学した時の「留学前英語研修」の時、寮の同じフラット(>ダイニングキッチン+バス+シャワー+トイレを共有し、それに数室の個室がつく)に滞在した韓国の女の子が、「韓国ではいまだに男性重視の社会だから、結婚して女の子を産んだら、お姑さんは口もきいてくれないのよ」と言っていた。まぁ、10年も前の話だから、今はずいぶんと変わっているんだろうけど。

同じ女性であり、出産の大変さを知っていながら、女の子を産んだ嫁に対して「口もきかない」という態度をとっても、それが「当然」のこととして許される社会的雰囲気が少なくとも当時はあったということなのだろう。

韓国においては、お姑さん(>息子の母)の地位は磐石である。

「韓国のお姑さんってこわいよねー」「ほんとだよねー」「すごいよねー」と「おしゃべりタイム」にひとしきり盛り上がる。

でもさ、あんな風に言いたい放題言えるってのもいいな。ヘンに遠慮したり腹にためないで、言いたいことはハッキリ言う。もし、嫁さんの方も思った通りのことが言えるなら、かえって良い関係が作れるかも、と思ったりもした。

息子を持つ母である私としては、「男の子を産んだ」というただそれだけのことで、あれだけ好き放題出来るというのは、ちょっと「うらやましい」気もする。

まぁ、「男の子を産む」は「努力して」手に入れるものではないので、そういう「たまたま」で「いばっていい」人と「そうじゃない」人が出来るのはどうかと思うけど、私の場合「たまたま」「男の子を産む」を達成してしまった訳で、韓国であれば強い「武器」となるものを手中に持っている訳である。

それだけのことで、お嫁さん「いじめまくり」「いばりまくり」が出来るんだよ。

「男の子を産んだ」が韓国では「権力」になるのだ。日本にいれば「どってことのない」「男の子を産んだ」という「事実」が、韓国に行けば、「おおいばり」の「偉業」になる。

最近知ったのだが、これには韓国の家族法が関係しているのだろう。韓国の家族法は最近「家長制度」を廃止したばかりだ。韓流ドラマを見ていると時々「家長」という言葉が出て来るし、韓流スターのインタビュー記事を読んでいると、同じく「家長」という言葉が出て来る。韓国においては、家の中に「男子」がいない、ということがとてもオオゴトになってしまうのだ。

韓国の大学の先生の講演でこの話を学んだのだが、彼女の兄弟は女の子ばかり。で、アメリカ留学しようと思って戸籍を取り寄せたらそこに、父親が認知した男の子が記載されていた。その男の子の話は聞いたこともなかったし、もちろんその子に会ったこともない。でも、父親が死ねば、父親とずーっと一緒に住んで時を共有してきた、彼女やその姉妹や母親を飛び越えて、その男の子が「家長」になるのだ。

この制度もようやく廃止されたか、すぐに廃止されることになったそうで、これによって韓流ドラマのお姑さんの描かれ方も今後変わっていくかもしれない。

韓流にはまる (5)-韓国の男性って強引!

韓流ドラマに出て来る男性ってかなり強引だ。『冬のソナタ』のチュンサンにしてもイ・ミニョンにしても。ペ・ヨンジュンが二役を演じるこの2人の場合は、ユジンの「言ってほしいこと」を「言ってほしい相手」が「言ってる」ので(>女が脚本書いてるので、主人公の男性は「女性が言ってほしいこと」を言うだけなのだ)、視聴者は「感動」するのだが、これさ、一歩間違えば「勘違い野郎」だよ。

実際、サンヒョクの方がやることは、ユジンを好きという気持ちは同じでも、ことごとく「ツボ」をはずしており、きわめて強引である。

だけど、イ・ミニョンがやってることも本質的にはそんなに変わらない。まぁ、「女心」の「読み」の能力が高い、ということかな?いや、それともユジンの微妙な表情なんかから彼女の本心を読みとって行動してるのかな? 母親がしゃべることの出来ない赤ちゃんの表情を読み取るように。でもさ、私たちは大人なんだから、まぁ、そういうのも大事だけど、私としては、ユジンに対し、「言葉を使えよ!」というのもあったりはする。

昔、『スカートの風』(呉善花著、角川文庫)という日本在住(>在日ではない)の韓国人の書いたエッセイを読んだことがあるんだけど、それによると、韓国の男性は、女性を「くどいて、くどいて、くどき落とす」んだそう。で、それに対する女性の「正しい」対応は、「袖にして、袖にして、袖にしまくる」んだそう。そこで、「実は私もずっと好きだったの」などと、すぐになびいてしまっては、女性としての価値が落ちるらしい。

韓流ドラマを見ていると、そういう「男女交際」(>なんと古めかしい!)の「文化」というのが反映されているようにも見える。

『美しき日々』の室長(>イ・ビョンホン)になると、これがまた、すっげー強引で、私にはほとんど「ついていけない」世界である。これについては別途書こうと思うけど、Qと2人「おしゃべりタイム」に「こいつすっごい思い込み激しい」「どひゃー、強引!」と「つっこみ」を入れまくってしまった。

そういう「男が強引」文化のある韓国では、そうやって女性を一旦「獲得」した後は、男性は「いばる」傾向にあり、DVも多いという話が『スカートの風』には書いてあった。でも、一方で、いばってる奥さんの「言いなり」な中年男性も韓流ドラマにはいっぱい出て来るので、本当のところどうなんだろ。

まぁ、どこの国においても、「男性は」「女性は」と一般化することは難しく、「色々」なんだろうけどね。

韓流にはまる (4)-韓国女性の謎

我々にとって謎だったのは、ユジンが、けっこう自己主張が強く、イ・ミニョン(>チュンサンのソックリさん)に食ってかかる場面がかなりあるのに、肝心なところで、「どうしたらいい?」と相手にゲタを預けるような態度を取るところ。この謎は、『美しき日々』を後に見て、さらに深まっていきます。

日本女性にはありえないくらい攻撃的で激しい物言いをするのに、肝心なところで肝心なことを言わない。そのために話がどんどん複雑になっていく。

チュンサンにソックリなイ・ミニョンと仕事をすることになったことや、ミニョンと一緒に仕事の現場でもあるスキー場を見に行ったことなんかは、まぁ、別にちょっとは言いにくくても、恋人のサンヒョクに「隠す」ほどのことじゃないだろが…と思うんだけど、それを言わないので誤解が誤解を呼んで、なんだかややこしいことになっていく。

なんだかなー。「おいおい、なんで言わないかね」「肝心なことを言えよ」、とQと「おしゃべりタイム」に何度も画面に向かって叫んだのでありました。

まぁ、そこで正直に言ってしまって「すれちがい」が生じなければ、ドラマがドラマとして成立しないんだけどさ。

韓流にはまる (3)-濃いかもなー

韓流ドラマはなかなか濃いかも…。『冬のソナタ』は、ユジンとチュンサンの高校生時代の「淡い恋」がとてもすがすがしくステキだったけれど、あの最初の2話だけで完結しても、それはそれできれいな物語として成立するように思う。

それが、その後、これでもか!これでもか!というくらい話の展開の嵐が押し寄せる。

はっきり言って、韓国ドラマは一話見終わるとけっこうぐったりする。なのに我々は、ついつい続きが気になって、一度に二話見てしまったりすることもしばしばあり、一時期は、とっても疲労が重なっていたかも。

今(2005年6月)、『オール・イン』を週1で見ていますが、「韓国ドラマは週1が丁度いいペースだね」と話し合っております。これを越えると、「濃さ」についていけず、疲労がたまるかも・…。

私に「韓流を見なさい」と勧めてくれた元同僚は週に5本くらい見ているらしく、彼はすでに60代なのに(>大変渋くて素敵なジェントルマンです)全くタフです。

韓流にはまる (2)-母子で『冬のソナタ』&おしゃべりタイム

私が『冬のソナタ』を見ると、言うと、Qも見てみると言う。なので、2人で見ることにしました。(>我が家は夫が単身赴任なので平日は母子家庭)

いきなり、はまってしまいました。「えー、うそー」「ありえないー」などと言いつつも、次が気になってついつい見てしまう。ドラマの展開が激しく、ジェットコースターに乗っているようにスリリングで、1話見終わるとけっこう頭がグリングリンしてしまう。

『冬のソナタ』を見出して、まず、我々が思ったのは、ストーリー展開が速い割りに、シーン展開が遅いということ。ずーっとセリフのないシーンが続いたりする。で、その間に、我々は「あーでもない」「こーでもない」と茶々を入れる訳であります。韓国ドラマは、「家族が話し合う」「おしゃべりタイム」をちゃーんと取ったドラマ作りになってるのかな?

で、そうやって「家族が話し合う」から、ドラマを見ることで「家族の絆」が強まる。家族を大切にする韓国らしいドラマ作りと言えるのかもしれません。

これについては後に「謎」が解けた思いがしたことがあります。中国史を専門にしている人に「最近韓流にはまってるんですよぉ」とお話しして、この「家族が話し合う時間」について言及したら、「中国の映画もそうですよ。中国では映画は一緒に見てわいわいそれについて話し合うのが楽しいんです。だから中国の映画館はうるさいんです」とのこと。

おぉ、そうだったのか! これは東アジア文化圏のドラマ作りの基本なのか? 最近の日本のTVドラマは、家族がちょっと話しかけると「あぁん、話しかけるから分からなくなっちゃったぢゃん!」というくらい、一生懸命見てないとついていけない作りになってるけど、そもそも歌舞伎なんかは、物を食ったり、役者についてなんのかんのと言いつつ、「よ、中村屋」とか声をかけたりしながら楽しむものだもんね。

日本は東アジア文化圏から勝手に抜けてしまって、だから、最近家族の絆も弱まっているのかもしれません。

韓流にはまる (1)-流行りもの&『冬のソナタから考える』

巷では韓流ドラマが流行っているという。元同僚(>♂)で、韓流にはまりまくっている(>♂は珍しい?)人がいて、彼と食事した時に、さんざん韓流の魅力について聞かされ、「我々はサーヴィス業なんだから、流行りものには一応目を通しておかないと…」と助言された。

「ふーん」と思ったが、なんとなくそのまま日は過ぎていったが、マスコミでは中年女性のヨン様ブームが取り上げられ、なんだかすごいことにはなってるなーとぼーっとブームを眺めていた。夫が時々「冬のソナタ」を見ていたけど、私は途中からだったので脈絡が掴めずなんとなく、ちょっとそばで見ては台所に立つ、という感じで、ほとんど訳が分かっていなかった。

が、ある日、本屋で『冬のソナタから考える-私たちと韓国の間』という岩波ブックレットを見つけた。ほぉ、天下の岩波書店(>我々の業界では権威ある出版社)が、冬ソナですか…とふと手に取ってみた。パラパラとページをめくってみると、なかなか面白そうだ。岩波ブックレットだから薄いし…と購入した。岩波ホール支配人だった高野悦子さんへのインタビューも収録されている。

読んでみると、なかなか興味深い内容だ。まずは、なんだって、このドラマがこんなに中年女性に受けているのか?ということを、NHKに寄せられた視聴者からの手紙で探っていく。このブックレットによって実は、多くの日本人がこのドラマで癒されたということを知った。一番印象的だったのは、嫁として妻として、自分を押し殺して夫の親を介護してきた高齢の女性の話。彼女は色々なことをガマンして生きているうちに、いつも自分の感情を押さえ込むようになってしまっていたそうだ。だが、このドラマを見ている時に「涙を流している」自分に気付き、「あぁ、私にもまだ感情が残っていたんだ」と、蘇生した思いがしたそうだ。

また、このブックレットでは、『冬のソナタ』の日本語の吹き替えが流行の理由の一つだと分析している。つまり、ここで使われている日本語がとても正しく丁寧で美しく、現代の私たちが、忘れてしまっている日本語本来の美しさを教えてくれるというのだ。視聴者からも、「日本語がこんなに美しい言葉だったということを改めて認識した」というような手紙が寄せられているそうだ。ドラマの主人公たちは、お礼や謝罪をきちんと言う。当たり前のことなのだけど、そういう当たり前のことを忘れて突っ走っている現代の日本人が、このドラマで改めて「失ってきたもの」を見直しているのかもしれない。

日本人女性が韓国の男性に夢中になるのを白い眼で見ている男性も多いけれど、実は、昔、日本人男性が韓国女性に夢中になっていた時代がある、と高野さんは言う。そんな女性の一人が、韓国の舞姫、崔承喜という人で、高野さんはそのダンサーの映画を作ったそうだ。高野さんが映画を作っていた当時はまだ今ほど韓国と日本の文化交流は盛んでなかったので、高野さんは韓国の人から「なんで日本人が韓国人の映画を作るんだ!」と疑惑の目で見られたそう。高野さんは小さい頃にこのダンサーの踊りを見たことがあり、それが忘れられなかったのと、自身石井漠さんのところで踊りを習ったことがあり、崔承喜さんも石井漠の門下であったことから、同門ということもあるのだ、ということをお話ししたそうです。でもってその時に「あなたは韓国舞踊に詳しいのか?」と聞かれ「70歳の手習いで始めようと思っている」と答えたそうなんですが、それが韓国の新聞に載ってしまい、引っ込みがつかなくなり、実際に韓国舞踊を習い始めたそう。

そして、その70歳の手習いの韓国舞踊を、韓国でのこの映画の上映会の時に披露することが出来たとか。高野さんは一時身体を壊されており、この韓国舞踊が、健康回復の上でもとても役だったのだとか。まぁ、もちろん幼い頃、踊りを習ってらしたというのも大きいのだろうけれど、写真に写っている高野さんの韓国舞踊を踊る姿はなかなかにサマになっている。

高野さんのまわりの韓国の友人たちは、『冬ソナ』ブームにとまどいながらも、これが日韓交流にとって良い影響を与えると歓迎しているそう。

・…と、なかなかに興味深いドラマかも…と思って、とりあえず『冬のソナタ』を私も見てみることにしたのでありました。

私のダイエット (5)-「計るだけダイエット」

私が最近やっているのは、NHKの「ためしてガッテン」で放映されたという「計るだけダイエット」。「ためしてガッテン」のテキストの臨時増刊号に詳しくその内容が書かれています。

本屋さんで、この「計るだけダイエット」というタイトルの冊子を見つけた時は、むむむ…と思いました。ぱらぱらページをめくってみるとなかなか面白そう。

でも、「ダイエット本」って、買う時、なんでこんなに恥ずかしいのかなぁ…。お金払って買うんだからさ、もっと堂々としててもいいのにさ…。

私、見た目は普通人としては「普通」だから、「これ以上痩せようとするなんてマスコミに踊らされてんのね。バカな女」と思われるんじゃないか?とか、「一応普通の体重してるみたいだけど、この程度の体重キープするのに苦労して苦労してキープしてるのね。お気の毒」と思われているんじゃないか?とかさ…。

考えすぎ?あるいは、被害妄想?とも思うけど。まぁ、本当に太めの人がダイエット本を買うのも、やっぱりイヤだとは思うけど…。

でも、とにかく「役立つ」感じがしたので、「恥を忍んで」購入しました。これねぇ、装丁もハデで、どピンク、どオレンジがふんだんに使われており、カウンターに持っていくの、余計恥ずかしかったんだよなぁ…。

しかし、家に帰って読んでみるならば、ふむふむ、なかなか良いかも。

この「計るだけダイエット」のコンセプトは、とにかく朝と夜に体重を計って記録する。で、それにプラスして1日1万歩歩く、ということです。

記録することで、自分の生活の「クセ」のようなもの、太る「原因」のようなものが「つかめる」んだそう。そして、自然に生活を「正す」作用が働き、体重は減っていく…んだそう。

曰く、太るきっかけは「無意識」のうちにあることが多く、自分ではそんなに食べてないつもりでも食べすぎの日が続いたりしているうちに体重が増加してしまう。でも、それを「記録」という形で目に見える形にしてあげるのが大事なんだって。

でね、グラフにするんだけど、日付欄の大きさに比べ、体重の目盛りを大きく取ってあるの。だから、0.1kg減っただけでも、「おぉ!」と減った感じがする。0.5kg減った日にゃ、「おぉぉぉ!!!」という感じです。

この「やせた!」という実感がね、大事なんだって。

なんでも、これまでのダイエットの失敗は「脳の化学反応」を無視しているところにあったんだって。脳内には「脳内痩せクスリ」と言われるレプチンという物質が出てるそうで、脂肪細胞に脂肪がたまってくると、「食べるのをやめなさい」って脳に命令するんだって。

ところが、急にやせるとレプチンの量が激減し、食欲が抑えられなくやってしまうんだって。

さらに恐ろしいことに、レプチンは一定以上太ってあまりに大量に分泌されてしまうと、脳がレプチンを受け入れなくなってしまうんだって。

だから、リバウンドで(一定以上)太ってしまうと、もう、「食べるのをやめなさい」信号が効かなくなってしまい、「太る悪循環」に陥ってしまうんだって。

こわい!!!!

でね、ダイエットしてる時って、無償に甘いものや油っこい物を食べたくなったりするけど、これはアブラや砂糖を摂ると、脳の中に「麻薬」と尾奈Jいような強い快感を与える、β-エンドルフィンという「快感物質」が出るんだって。だから、油や糖分を断つのってむずかしいんだって。

でも、これに代わり「うまみ成分」も同じような効果があるので、だしなどを有効に使う手があるのだけれど、「うまみ成分」と同じように、体重の減少をビジュアル化することによって、油や糖分を取った時の快感に「体重が減った!」という快感を「置き換える」ことが出来るんだって。

NHKの番組での実績では、83%の人に体重減の成果があったとか・…。

たしかに、「最近、太った気がするなぁ」っていう時って、体重計に乗りたくない。で、ずるずるしている間にどんどん増えて、「ぎゃ~!!!」となったりする。そこで、そういう時こそ、「えいや!」と計っておけば、翌日からの生活にブレーキがかかって、「サイアク」の事態にいたる前に「増加」にストップがかかる…というのはある。

また、グラフには「言い訳」の欄があり、あ~あ、体重増えちまったなぁ、という時でも、「昨夜は宴会があったので」とか「ついつい間食にラーメンを食べてしまった」とか書いておくと、自分の食生活の見直しにもなるのです。あるいは、「社会人」として「果たさねばならない」もろもろの「義理」が、いかに自分の体重増加に関係しているか、とかね。

そういう自分が太る原因となっている生活スタイルや食事の傾向っていうのが分かれば、「対策」も立てやすい。あるいは、太った時も焦らない。

女性の場合は、女性特有のサイクルとも関係があるみたい。

自分の体調のバロメータにもなります。夜と朝の体重差があまりない時なんかは、代謝が悪くなっている…とかね。

まぁ、これも、実は、そんなにマジメにはやってなかったりするのだけれど(>煩雑なので記録は朝のみ。しかもそれもサボりがち)、でも、多少の「精神的」「歯止め」になってるのかなぁ…。

私はグラフにするのは面倒で、すぐにやめてしまって、日記に体重を記録しているだけなんですが(>でも、2005年度発表会を前にまた始めています。ノド元過ぎるとまた忘れそうだが)、本当はビジュアル化する方がいいと思います。グラフが右下がりになっていくと、うれしいしね。

で、「なるほど~」と思ったのは、目盛りが100グラムの体重計を買いなさいっていうこと。つまり、200グラム減ったとして、200グラム目盛りの体重計だと、「1回しか喜べない」けど、100グラム刻みなら「2回喜べる」っていうんです。そういう「減ってうれしい!」という気持ちがダイエットには大事なんだって。

なので、買いました。100グラム目盛りの体重計…。

「毎日1万歩歩く」もなかなか毎日って訳には行かないんだけど、それでも、なるべく最低5000歩、出来たら7500歩は歩きたいと思っている。私の知っている人で、お年を召しても丈夫な人って、たいてい「良く歩いている」人なんだよね。歩くことってとっても健康にいいみたい。

「計るだけダイエット」は「ダイエット」というよりは、「健康法」っていう感じで、「ぎゃ~!!!」という体重になることの「ある程度の予防」にはなってるけど、今のところ、私に関しては、「体重が減る」というところにはいたっておりません。でも、健康あってのバレエなので、ま、いっか。

私のダイエット (5)-体脂肪燃焼大作戦

「体重」だけで見るならば、一般人としては「太って」はいない私…。

でも、実は「体脂肪率」が意外に高く、いわゆる「隠れ肥満」ゾーンに…。

我が家には体脂肪計がないので、あんまり気にしていなかったのですが、2002年の秋から冬にかけて、体重の方もかなり増加傾向にあり、「こりゃ、なんとかしないとやばい!」というとこまで来てました。

そこで、とにかく「脂肪を燃やす」には「有酸素運動だ!」というので、万歩計を買い、「歩く」とか、自転車を乗りまわすとか、フィットネスクラブでサイクルマシンを漕ぐとか、エアロビのクラスに出るとか…まぁ、それなりに努力しました。

そして、努力の結果、体脂肪率は「隠れ肥満」ゾーンを突破! そして、一時期は、20%を割る!という素晴らしい成果を上げたのでありました。(>ぱちぱちぱち!)

まぁ、その後、あんまり努力してないので、ひょっとするとまた「隠れ肥満」ゾーンに戻ってしまっているかもしれません。

でも、体重を減らすのは大変だけど(>体脂肪が減ったと時も体重はそんなには減っていない)、体脂肪は運動すれば減る!というのが分かったのは成果でありました。

私のダイエット (4)-出産で激ヤセ&バレエ・ダンサーの身体

バレエ・ダンサーはなんであんなに細いんでしょうね。全員が「普通人」としては健康診断で「痩せすぎ」とカテゴライズされる体重だと思います。

歴史貫通的に普遍的なものとして存在すると思われがちな「身体」も、実は歴史性を持っている…というのは、最近の歴史学が説くところでありますが、実際、人間の身体って、どんどん変わってってるよね。古い写真で見ると、昔のダンサーって、もっとぽっちゃりしてるし、手足も短い。

現代においては、パリ・オペラ座の女性ダンサー達は、「あなたたちと私は同じ人類?」っていうくらい手足が長くて顔が小さくて細い。

なぜそれを人は(>私は?)、「美しい」と感じるのだろう…というのは、私にはよく分からないのだけれど、でも、ため息が出るほど彼女たちは美しい。

まぁ、アマチュアの場合は、「細い」だけでは、「美しい」とはならないのだけれど。ちょっとぽっちゃりしててもバレエ的ぽっちゃりの人の方が非バレエ的スリムより「美しい」という場合もある。筋肉のつき方や、バレエ的な「動き」も、「美しい」の重要な要素です。

でも、同じ人間なら、多分「細い」(>ある程度)方がバレエチックです。

実は、出産後、母乳のトラブルで激ヤセしました。森下洋子さん並の体重にまで体重が落ちました。そもそも母乳をやってる状態って1日700キロカロリーも消費するらしいから、それでなくても「普通に食べてる」状態でもダイエットなのに、母乳のトラブルによって、「拒食症」状態に陥ってしまったもので。

乳腺炎というのになったんですが、母乳がつまるのは、現代人が油っこいものや甘いものばっかり食べているから・・というのを聞いて、こわくて油っぽいものや甘い物が食べられなくなってしまったんです。米と野菜、ほんのぽっちりの魚・・というような日々がしばらく続きました。幸い乳腺炎の方は母乳マッサージに通い、10ヶ月までは母乳を飲ませ続けることが出来ました。(>乳腺炎以降は、人工乳と「混合」でしたが)

世の中には「母乳ファシスト」と言われる、「赤ちゃんは母乳で育てるべきです。お勤めなんぞやめなさい!」と言う系統の母乳マッサージの人たちも多いのですが、私が通ったところは、「働きながらでも母乳育児は出来る」というコンセプトのところで、そこで励ましてもらいながら、多くのことを学びながら、職場復帰後も母乳育児が出来て本当に楽しかったです。母乳を飲ませるっていうのは、とっても楽しい行為です。

自分の身体から沸き上がってくるモノを我が子がおいしそうに幸せそうにゴクゴクと飲んでくれる時間っていうのは、自分が「動物」に戻ったような「原始的な」気分にもなる。こうやって命の輪がつながってきたのだなぁ…と、自分が他の「動物」たちや地球や宇宙と一体化したような気持ちになる。

まだまだ母乳は出てたので、飲ませ続けたかったのだけど、タイ出張が入っていたので、10ヶ月で断乳しました。母乳マッサージの人は「大丈夫よぉ。1週間や2週間だったら、マッサージ続けてれば帰国してからまた再開できます!!!」とおっしゃったのですが、私としては、乳腺炎になったときの「恐怖の体験」がトラウマになっていて(>夜中に突然高熱が出てガタガタ震えがとまらなくなった。理由が分からなかったので、「ひょっとして胎盤が残っていたのだろうか。私はこのまま死ぬのだろうか」と思った。胎盤が残っていると死ぬらしい)、それは出来ませんでした。

それはともかく、断乳しても、育児が大変だったせいか、体重は、森下洋子さん状態からは脱したものの、以前の体重には戻らず、スリムな状態が続きました。断乳を機にバレエも再開したんですが、鏡に写る我がレオタード姿を見て、「そっかぁ、やっぱバレエって細い方がいいのねぇ」と改めて思ったんですよね。

その後も1年くらいはその体重をキープしてたんですが(>食べても太らなかった)、留学前の英語研修ということで2ヶ月ほどイギリスで1人暮らししてたら、その間に「しっかりと!」体重が戻ってしまい、それ以来、出産前の体重より2~3kg太めなゾーンに体重がシフトしてしまいました。ふぇ~ん!

まあ、アマチュアなので、太くても細くてもどっちでもいいんですが、あの出産後(一時期)細かった自分…というのが、けっこう自分の中のイメージとして、頭の中に焼きついており、「バレリーナとしては、せめてあの頃の体重に戻れたらなぁ」というのが、私の「野望」です。

でも、それは、「どうしても!」というほどでもなくて(>だから痩せないんだけど)、無理しないでそこまで行けるなら、「希望する」という程度です。

だけど、せめて、出産前の平均体重(>出産前も体重は変動があったので、今より重かったこともある)には戻れたら…というのは「強く希望する」ところです。