イギリスでびっくり (4)-サマー・タイム(その1):時計がみんな1時間進んでいる!

「サマー・タイム」というのは、言葉では知っていた。留学する前にもイギリスには何度か行ったことがあり、冬行くと日本との時差が9時間で、夏行くとそれが8時間になることも体験していた。

でも、それが、いつ、どのように切り替えられるのか???というのは、分かっていなかった。

私が留学したのは就職してからだったので、日本の「年度」との関係もあり、4月出発の3月帰国という形だった。私が所属したコースは、MPhilと言って、研究主体の修士のコースだったので、4月、9月、12月、と始まる時期が3つ選べるようになっていた。(大学によって呼び方は色々だが、もうちょっと授業の比重が重いコースもある。もちろん、こちらでも論文は書くが。私の行った大学ではMPhilは research cause、 MAはtaught causeというように説明されていた )

さて、まだ2歳半のQを連れての留学だったので、母が心配して、「少し落ち着くまで」ということで一緒に来てくれた。夫も最初の1週間くらい来てくれた。

夫が帰国することになり、夫は一人空港に向かった。で、空港から電話がかかってきて、「今、空港についたんだけど、空港の時計がみんな一時間早くなっている。こちらに来た時に時計合わせを間違えたんじゃないかと思われるので、みんな時計をなおしておかないと」といわれた。いやー、早めに出ておいて良かったねぇ!!!!

で、マヌケなことに、その時点では気づいてなかったのだが、実は、私達が来た翌日くらいにサマー・タイムに切り替わっていたのだ。われわれは、まだ着いたばかりで、TVも購入してなかったし、まずは生活必需品を揃えるための買い物に忙しく(>って最低限のものは寮にそなえつえけてあるのだが)、TV版を見て番組を選んでコモン・ルームに行ってTVを見るなんていう余裕もなかったので、1時間遅れた時計で暮らしていても、ぜーんぜん気づかず、困らずに1週間暮らしていたのだ。

これが、冬時間になった場合なら、「10時開店のデパートがまだ開かない! なんで!」となったりしたのかもしれないのだが、夏時間に切り替わる時は「10時開店のデパートは10時に行けばとっくに開いている」ということになるので、不便も生じにくく、気づかなかったのだ。(>まぁ、閉店までいれば「あれ! なんでまだ5時なのに閉まるの??」となったのかもしれないのだが)

しかし、ダメージは夏時間になった時の方が大きいわね。

「冬時間で9時に出る飛行機は、夏時間の8時に飛んでいってしまいました!」ということになるから。逆なら「夏時間に9時に出る飛行機に乗ろうと思っていたら、冬時間の9時まではまだ1時間も時間があるぞ!」となるけど。

・・・という訳で、夫は危うく日本に帰れなくなるところであったのだが、彼は用心深い性格であるため、かなりの余裕を持って空港に行っており、無事帰国出来たのでありました。

イギリスでびっくり (3)-銀行員がおバ○

日本で銀行員と言えば、マジメ、お堅いっていうイメージがある。キチキチと仕事を片付けるっていうイメージがある。今は銀行の競争や廃統合も激しいから、昔ほど安定した職場という感じではないのかもしれないが、それでも、就職先として「悪くない」ととらえられていると思う。したがって、銀行は優秀な人材を得ていると思う。

イギリスでは銀行員といえば(>窓口業務をするような人)、「仕事が出来ない」というイメージだ。本当に、どうしたらこんなことを間違えることが出来るんだ!!!と思うことが多い。

何度も、どひゃー!!!という出来事があった。

一番最初の衝撃は、留学前英語研修の時に、インドネシア人の友達にくっついて銀行に行った時。家族に電話した時に「イギリスでは何でもびっくりするほど高い」と話したら、家族が心配して送金してくれたそうだ。

きっとお金持ちの家なんだろうけれど、5000ポンドも。5000ポンドといえば100万円くらい。インドネシアにおいては200~300万円、いや500万円くらいの使い手があるお金かもしれない。

で、「家族が送金しているって言うんですが、届いてますか?」と彼が銀行員に聞くと、ちょっと調べて、「いいえ」との返事。彼は真っ青(>肌の色が黒いのでどんな色になったのか覚えてないが、とにかく顔色が変わったという感じであった。当たり前だよね)になった。

「よく調べて下さい。家族は○日に送ったと言っています」と食い下がる(>当たり前だが)。「はいはい」と、さらに調べて、「あぁ、本当だ。入金してますね」とアッサリと言う(>おいおい)。

彼は入金が分かって本当にほっとした顔をしていたが、この数分間生きた心地がしなかったと思う。潰瘍のひとつも出来たかもしれないぞ!

「イギリスの銀行は間違いが多いっていうから注意しないと」というのはその時に知った。ひょっとすると私も小さなミスでお金を失ったり得たりしてたのかもしれないんだけれど、留学中は大過なく過ごした。帰国の時に真っ青になるような出来事があったんだが、長くなるので、それはまた機会を改めて書くかもしれない。

私が最近困っているのは、キャッシュ・カードの入手だ。私の口座のお知らせは留学中に同じ寮に住んでたロシア人の友達Oの家に届くようになっている。

3年くらい前までは、彼女が在宅の時に新しいカードが届いていたので(>イギリスでは2年ごとに更新)、問題なく事が進んでいたのだが、たぶん、たまたま彼女が留守の間にカードが届いたらしく、3年前の春に新しいカードを得ようとして、結局、入手出来なかった。

銀行窓口でOの家でなく(>彼女はその時里帰りしてたから)、支店の方に新しいカードが届くように手続きしてもらったのだが、結局、1ヶ月くらい何度も窓口に足を運んでついに入手出来なかった。窓口の人は「1週間もあれば来るはずなんだけれども」と言うのだが。そして、何度も、また新たにカードを頼んでくれたりもしたのだが。

「銀行カードの発行」というような、銀行員にとって、ABCの業務が出来ないのだよねぇ。

今回(2006年3月)の滞在は2週間だったので、カードの入手は無理だろうと思ったが、口座をあんまり放っておくと、今度は勝手に口座を閉鎖されてしまったりするので、とにかく銀行に行った。なんやかやと40~50万円はお金が残っているのだ。勝手に閉鎖されちまったらたまらん!!

窓口の人がテキパキ対応してくれて、ずっと懸案だった定期の解約も簡単に出来(>これも1ヶ月前に「予告」が必要ということがあったので、1ヶ月以上滞在出来る時にやらないと、どんな間違いをしでかされるか分からないので「危ない!」と思って控えていたのだ。現在は「予告」はいらなくなったらしい)、カードもあっという間にゲット出来るという。前回同様、Oの家じゃなくて支店の方にカードを送ってもらう手続きをした。前回1ヶ月かかっても出来なかったものが今回2週間で出来る保証はないので、あんまり期待してなかったのだが。

そしたら、あっという間に処理が進んだ。しかし、カードは支店だなく、Oの家に着き、彼女が留守だったので、彼女の家の近くの郵便局まで取りに来い、というメッセージが彼女の家に残されていた。

まぁ、カードが来たんだからいいけど、それにしても、どうしてこんな単純なことが出来ないかなぁ。

で、郵便局で無事カードをゲットした。一緒に来た手紙には「昔の暗証番号が使えます」って書いてあるので、昔のでやってみたらダメだった。

窓口にもっていって前回対応してくれたお兄さんに言うと、「新しいピンナンバーを注文してあげます」とのこと。「いつ、帰国でしたっけ? たぶん、それまでには間に合います」ということだが、どうだかなぁ。

「ウェイト・アンド・シー」というのが、今の状況。

(後日談:なんと、奇跡的に帰国前日にピンナンバーをゲット出来ました! ぱちぱちぱち!!! 素晴らしい!!!!・・・って、多分、日本だたったら「出来て当たり前」のことなんだろうけれどさ。こっちの銀行だと「出来なくて当たり前。かっかするだけムダ」って感じだからさ)

イギリスでびっくり (2)-盗まれる方が悪い

イギリスの某有名大学の図書館で資料を読んでいた時のこと。机の上に次のようなインストラクションがありました。

「机の上にノートパソコンを置きっぱなしにするような考えなしの愚行をして、われわれの手を無駄にわずらわせるようなことは慎むように!」

うーむ、コンピュータが図書館の机の上に置いてあったら、「盗む」方が「普通」で、そういう「普通」の行為に対する備えのない「考えなし」の行動をするヤツが「アホ」らしい。

「物盗りが多いから大事なものを置きっぱなしにしないように気をつけてね」っていうような、そんな「ソフト」な段階はとっくに超えているっていうか・・・。

「盗む人」を責めるような、そんな段階はとっくに超えているっていうか・・・。

この大学は入るのはかなり大変である。「勉強が出来る人=モラルがある人」ではないから、そういう「難しい大学に入れる」人が、「盗みをしない」ということにはならないのかもしれない。

もちろん、日本の有名大学の図書館だって、しょっちゅう「盗み」は起こっていると聞く。

でも、慶○や早○田の図書館に「席を立つ時コンピュータを机の上に置きっぱなしにするような愚考は慎むように」っていう「注意書き」が貼られるとは考えにくいように思う。日本だったら「貴重品はいつも身につけておきましょう」だろうな。

日本では、現金は置きっぱなしにしたら盗まれるかもしれないけれど、ちょっとトイレに行くっていうくらいだったら、コンピュータを置きっぱなしにしておいても盗まれないんじゃないかなぁ・・・。

イギリスにいると、ちょっと目を離すと「なんでこんなものを持ってくかねぇ」っていうくらい、物はなくなる。

たとえば、駅のトイレに読みかけのペーパーバック(>ページのあちこちに折り目が入っていてグシャグシャ状態)をつい置き忘れた時、気づいて取りにもどったらもうなかった。

イギリスは長い間IRAがアイルランド問題に関連してテロを行っているので、おきっぱなしのカバンなどは、「安全のため」にすぐにもっていかれて「破壊」される。爆弾が入ってる可能性があるから。

でもさ、読みかけのグシャグシャのペーパーバッグだよ! 日本だったら誰も見向きもしないよね。

イギリスはセカンドハンド市場が健在で、「こんなもの売るか?」っていうようなものも商品になる。日本だったら「お金を払って持っていっていただく」ようなものを、ちゃーんと「お金を払って持っていっていただける」のである。

私の知人はセカンドハンド・ショップで買ったテレビを丁寧に扱ってきれいな状態で使っていたら、1年後に帰国する時に買った時より高い値段で引き取ってもらえたと言っていた。

こういう「物を大切にする」というのはイギリスの美風だと思うんだけれど、それが、「セカンドハンド市場で物が売りさばける」条件となっており、なんでもかんでも「盗む」のが当たり前っていうような状況を作っているのかしら。

イギリスでびっくり (1)-オン・トースト

TAMA(@合衆国の片隅)さんのブログの「アメリカでびっくり」を読むと、うわっ!!!と、びっくりすることが多いが、同時に「イギリスもすごいぞ!」と思ったりもする。

私とイギリスの付き合いはかなり長いが、私はTAMAさんみたいにイギリスに「根をはって」暮らしていた訳じゃなくて、本当に住んでたのはたったの2年だし、それもかれこれ10年も昔のことなので、TAMAさんの「アメリカでびっくり!」ほどちゃんとした観察や深い洞察は出来ていないと思うが、でも、とにかく私も「イギリスでびっくり」したことを書いてみようと思う。

イギリスといえば、まず頭に浮かぶのは「料理がまずい」という評判だろう。しかし、これまた、「でも、朝食はおいしい」という評判(>イギリス人が言ってるのかな?)があり、「イギリス人は3食とも朝食のメニューを食べてれば、料理がまずいなんて言われなくてすむのに」というような皮肉も流布している。(>しかし、3食ともあのメニューだと野菜が不足じゃないかい?)

典型的な、イングリッシュ・ブレックファストは、オレンジジュース、シリアル、トースト、目玉焼き、ベーコン、ソーセージ、ベークドビーンズ、マッシュルームを炒めたもの、ベークドトマト、紅茶ってとこだろう。ちょっと豪華な場合は、これにハッシュドポテトがついたりする。安いB&Bに泊まると、マッシュルームやトマトはなかったりする。

で、私がけっこう驚いたのは、イギリス人は、目玉焼きをトーストに乗せて、ナイフでパンごと切って、パンと目玉焼きを一緒に食べるんだよね。うーん、これって、「玉子かけご飯」とか「お茶漬け」のノリなんだろうか。

スクランブルエッグ・オン・トーストとかポーチドエッグ・オン・トーストなんてのが、ちゃんとした「メニュー」としてあったりもする。

この時のトーストは普通にトーストのこともあるけれど、揚げパンみたいなやつのこともある。(>カロリー高そうだけど、この揚げパンはけっこう美味)

ベークドビーンズ・オン・トーストなんてのもあって、私はこのベークドビーンズはあんまり好きじゃないので(>毎朝大豆を食べるのは健康にはよさそうだけど。日本の味噌汁みたいな役割を果たしているのか?)、うーむ!という感じだが、イギリス人にとっては、日本人にとっての「漬物と白い飯」みたいな感じなんじゃないだろうか。

まぁ、日本人がご飯の上にいろいろ乗っけて食べるのと同じ感覚でパンの上にいろいろ乗せて食べてるだけなんだろうけど、パンの上にモノを乗せ、ナイフとフォークを使って食べるっていのを最初に見た時はけっこう驚いた。そして、トーストの上に何かを乗せて、小さく切って、それを口に入れた時のイギリス人の幸せそうな顔にも…。

コンテンポラリーと私 (3)-車イスのダンサーたち

車イスのダンサーたちの踊りをTVで見る機会がありました。話に聞いたことはあったけれど、すごい!!!!

もちろんダンサーっていうのは「身体を使って表現する」人々だから、人並み優れて身体が優れているということは、とても大事でしょう。

私が大好きなコンテンポラリーのダンサーTさんも、「うゎっ!!!!」というくらい、すごい肉体を持っています。優れた身体を極限まで鍛え上げた、そういう肉体に、ただただ驚嘆する。そういう肉体は見ているだけで胸がすく思いがします。

で、障害を持った人たちも、たとえば脚に障害があっても、腕の力なんかがすごかったり(>だってものすごいアクロバティックなこともするんです。踊りにスピード感あるし)、その他の部分の身体機能が優れているっていうのはあるのかもしれない。

だけど、これらの障害を持った人々の踊りは、まさに「この人たちにしか踊れない踊り」なんだと思いました。

「障害は個性だ」というのは、キレイ事にすぎないかもしれない。今の日本の社会で障害を持って生きることは、決して生き易くはないでしょう。

でも、「健常者」にカテゴライズされる人々も、やはり苦しみながら生きており、自殺する人も後を絶ちません。

私の肉体も、沢山のハンディを負っています。

背が低い、腕が太い、腕が短い、身体がかたい、美人じゃない・・・・・。

でも、そういう「私」が踊る踊りがどこかにあるかも・・・・。そういう「私」だから踊れる踊りがどこかにあるかも・・・。

もちろん、そんな風な「私だけ」の踊りは、その「私」の身体を「私」の範囲で極限まで鍛え上げなければ踊れないのだとは思うけれど・・・。

私がコンテンポラリーに興味を持つのは、そんな踊りが踊れたらいいなぁ・・・と思うからです。

コンテンポラリーと私 (2)-従妹とコンテンポラリー

「大人のバレエ前史」にも書いたけれど、「大人のバレエ」が始まる前に、実は、小学校高学年とか中学生とか、昔は「バレエに始めるにはちょっと遅いんじゃ?」と日本においては信じられていた年齢からバレエを始める子たちが、「多少年齢遅く始めても別にいいんじゃ?」という環境を作って来てくれた、というのがあると思います。

私の従妹はそんな一人。

彼女は中学校で体操部に入り、その体操のために、ということでバレエを始めました。

「えー、中学生からでも大丈夫なのぉ?」とこれまたシロウトな発言をした私に、彼女がびたーっと開脚して見せてくれて、「遅く始めてもやってれば柔らかくなるのよ。あんなにかたかった私でもこんな風になったのよ」と言っていたのも、よぉっく記憶に残っています。

私はこの従妹とは仲が良くて、小さい頃は手紙のやり取りをよくしていたし、互いに書いた小説を送りあっていたり、夏休みなんかに互いの家に泊まりあう時は2人で合作で小説を書いたりしていました。

今、彼女は翻訳家&物書きとして生きていますが、私も一応、物書きのはしくれで(>といっても私の「物書き」はいわばバレエ教室の先生の「舞台」のようなもので「それだけでは食っていけない」というレベルですが)、小さい頃、物を書き合っていた、その経験が2人をこんな風にしたのかなぁと思ったりします。

で、この従妹、高校卒業後フランスに行き(>留学ではなく、とにかく「行ってしまった」という感じ)、その後日本に一時帰国して、今度はカナダに留学しました。で、フランスでバレエやらダンスやらを始めてたんですね。

私の方は私の方で別途バレエを始めており、お互いの生活が少し落ち着いて久しぶりに会ってフタを開けてみたら、実は2人ともバレエをやってた!ということが判明。「似たもの従姉妹」です。

で、彼女はバレエよりはコンテンポラリーの方に重きを置いていて、「コンテンポラリーの方がバレエより自由」っていうようなことを言っていて、私は、「ふーん」と思って、いずれ私も齧ってみるかなぁ・・・って思ったりしていました。

彼女は私よりはダンスの素質がずーっとあり(>努力もしたんでしょうが)、時々プロの公演にもちょい役で出たりしていました。

彼女の舞台を見に行った時、コンテンポラリーにはプロでも色々な体型の人がいるのを見て、バレエな身体ではない私でも、コンテンポラリーなら、「世界にひとつしかないこの私」の身体を生かした踊りっていうのがあるのかもなーと思ったりしました。

コンテンポラリーは、バレエよりもずっと激しく身体を使う面もあるのですが、なんていうか、その人の「個性」を生かすっていうか、そういうのもあって、バレエみたいに「踊りに身体を合わせる」というようなことをしなくてもすむ、というか・・・。

イギリスの子ども向けのバレエ雑誌(>『クララ』みたいなやつですが、イギリスではプロの世界がもっと確立しているので、子ども向けとは言え、かなり「プロ志向」です)の「読者の相談コーナー」みたいなところでも、「クラッシックは身体の条件がクラッシックに合致したほんの一握りの人しか出来ないけれど、踊りには他にもさまざまな分野がある。そういうところで自分を生かして行くことも出来ますよ」みたいなことが書いてあったりする。

色々な「限界だらけ」の私だけれど、「踊れない身体の私」だから踊れる踊りっていうか、コンテンポラリーの世界には、そういうのもアリかもなーって思いました。

コンテンポラリーと私 (1)-柔軟性アップ!は果たせず

私とコンテンポラリー(>モダン?)の出会いは、まだT教室に通っていた頃。

私はT教室においては「年上の末っ子」(>子どもに混ざってレッスンしてました)だったから、「大人のクラス」でバレエをやっているよりは、自分の身体がかたいことにコンプレックスを(そんなには)持たずにすんでいました。また、T先生も「みんな何年もかけて少しずつ柔らかくしてきているんだから焦らずにね」と声をかけてくださったというのもあり、マイペースでやってました。

でも、それにしても私ってかたい!!!というのはあり、これは、なんとかしないとなーと思ったりもしてました。「補講」のつもりで通いだしたカルチャーで、大人から始めても柔らかい人、柔らかくなった人を「目撃」した、というのもあるのかもしれません。

たまたま、大人になって「モダンを始めた」という人が身近にいて、当時はまだバレエを始めてなかったんですが、「えー、だってモダンって身体柔らかくないと出来ないんぢゃ? もともと身体柔らかかったの?」と、「大人でバレエを始めた」と言うとまず返ってくるような反応をしてしまいました。

で、その答えが「もともとはすっごくかたかったのよ。でも、やってるうちに柔らかくなってきたの。いや、大人になってからでも案外柔らかくなるものねぇ」とのこと。

うーむ、そうなのか! モダン=身体が柔らかくなる!!!!

その話を思い出し、同じカルチャーのモダンのクラスに申し込んでみました。仕事も忙しかったからサボりサボりでしたが、一期だけ通いました。

バレエと同じようにバーをやりますが、バレエほど長くはやりません。

たしかに床でのストレッチの時間は長いです。

入門のクラスだったので、フロアの踊りもグランジュッテの(>ってグランジュッテは難しいけど)の連続のみ、とか、そんな感じ。

フロアの時、音楽はドラムのみっていうのが多くて、私、これはすごく気に入ってましたが、「あぁ、モダンっていいな!!!」と感じるほどではなく(>そういうのが感じられるところまではやらなかったということかもしれないけれど)、やっぱりモダン1回やるんだったらバレエを1回やろう・・・という感じで、一期でやめてしまいました。

当初の目的の「身体を柔らかくする!」も結局果たせずじまい(>そこもけっこう柔らかい人が多くて「大丈夫よ。だんだん柔らかくなるわよ」とは励ましてもらったのですが)でした。結局のところ、「だんだん柔らかくなるわよ」という人は、実は「もとから柔らかくなる素質があった」ということと「地道に努力した」というののプラスの掛け合わせがあったのでしょう。

私は、「もともとかたい」というのと、だから成果が出にくく、「努力が苦になる」というのがあり、「努力の量が少ない」というマイナスの掛け合わせの状況があったということなんだと思います。

でも、その時、「ドラムで踊る」快感っていうのは、私の身体の奥深くに埋め込まれたみたい。

イギリスでゼレンスキーがダンスイベントを企画した中で、和太鼓(>実際はあれ和太鼓じゃないぞ!と思うのだが)で踊るというのをやりましたが、すごく良かった。

どこの国のお祭りでもそうだけれど、ドラムの刻むリズムは人を昂揚させ興奮させるよね。ドラムのリズムに合わせて踊る、というのは、だから太古からの人間の「踊る」本能をもっとも直接的に刺激するんだと思います。

韓流にはまる (10)―韓国女性の激しさ

韓流を見ていて、ヒロインが「肝心な時に肝心なことを言わない」のにイライラすることも多いのだが、悪役の女性の激しさに圧倒されることも多い。

伊藤順子『ぴびんばの国の女性たち』(講談社文庫)は、なかなかに含蓄の深い本であった。この本によれば、韓国女性は美しく、それ故、韓国の男性はアジアで一番性的にアクティブなんだそうだ。

でも、この美しい韓国女性は、とっても激しい。

韓国における日本人駐在員と韓国人女性の恋愛(>のもつれ?)の話が色々書かれていた。

たとえば、日本に恋人がいながら韓国人女性と恋仲になってしまった男性は、ある時、二股がバレてしまった。そしたら、それから「地獄の日々」。携帯に「責任をとれ」「本社に通報してやる」などの電話攻勢。携帯の電源を切っておくと、「そんなことすると明日、漢江におまえの死体が浮かぶぞ」というメッセージ。さらに、日本にいる恋人の電話番号を探り出し、彼女と直接国際電話でケンカ。

そうかと思えば、愛人の帰国を阻止するために、空港の出発ロビーに大の字になって寝転び、「行くんだったら、私を踏んで行け」と叫び続ける女あり、空港まで追いかけて来て、持って来たハサミでパスポートを切り刻む女あり・・・。

うーむ、そうだったのか。まぁ、一途といえば一途ではある。

現実でもこれだけのことをするなら、ドラマの中で、自分が轢いた女を「死んだことに」して、自分が起こした事故のことなんか知らんふりで、(血がつながらない)姉の幼馴染を自分のものにしたるわ!ってのも頷ける。

しかも、演技力抜群なので、チョンソの父親は、この母子にこんな裏があるなんて夢にも思わない。「父ちゃん、しっかりしろよ~! これくらい見抜けよぉ!」とQと私はTVに声をかけてしまう。

父親の前では、あくまでもしおらしい母子なのである。

韓国人女性は、純粋で一途で、かつしたたかかも・・・。韓国女性と恋愛する時は、本気の覚悟がないとダメだよ!!!

韓流にはまる (9)―悪女

韓流ドラマには、しばしば、「悪女」が出てくる。『冬のソナタ』のチェリン(>これは韓流の基準から行けば「可愛すぎ」なレベル)、『美しき日々』のヤンミミ(>これは『天国の階段』の母親役でもある)。

『天国の階段』では、主人公のチョンソの父が有名女優と再婚するのだが、この女優と連れ子の妹のユリってのが、最高に悪い女たちで、彼女たちは、チョンソとソンジェの仲を引き裂き、ソンジェとユリを結びつけようと画策する。

この母親はすごーく悪知恵が働く。新婚の夫にけなげなことを言って、あくまでも自分は「いい子」の地位を確保しつつ、陰湿にチョンソをいじめる。本当はチョンソはソンジェと一緒に留学することになってたのに、「せっかく知り合ったばかりなのに、チョンソが留学しちゃうのは淋しい」とか言って、チョンソの留学を阻止するのだ。

ユリってのもまたすさまじい。

で、色々あったのだが、いよいよソンジェが帰国するっていうので、チョンソは急いで空港まで迎えに行く。それをユリは無免許なのに!車で追いかけ、空港でチョンソを轢いてしまう。

で、もって、一応病院にチョンソを連れて行くのだが、なんだか大きな事故だかがあって、病院はごったがえしている。ユリは、その死体のひとつに、チョンソの持ち物を隠し持たせ、チョンソを「死んだこと」にしてしまう。

ひゃー!!! こわい!!

でもって、チョンソを、母親の元夫のところに預けてしまうのだ。同じく連れ子としてチョンソの家に来た兄も巻き込み、チョンソはこの継母の元夫と血の繋がらない兄と3人で暮らすことになる。

しかも、チョンソは記憶をなくしてしまっており、自分の両親は火事で死に孤児になってしまったのをこの2人に助けられたと教え込まれているのだ。

成人してからのユリってのが、またゾクっとするほどのすごい美人で、韓流においては、どうも悪役の女性の方が華やかな美人っていう感じがする。こういうとびきりの美人が、憎憎しげな表情をしたりすると、すさまじい迫力がある。

もちろん、チェ・ジュウだって華やかな美人ではある。しかし、ドラマの中では、控え目な演技で地味目である。

ユリ役の女性の方が、目鼻立ちという点においては、ずーっと華やかだ。これは、『冬ソナ』におけるチェリンについても言えるかもしれないが・・・。チェリン、スタイルもすごくいいし。

登場人物としてのユリはとても好きになれないけど、これを演じている女優はすごい演技力である。

Qと一緒に、「ひゃー、ユリ恐い!」とか「うわー、この母子またなんかたくらんでるよ!」とか言いながら見ている。

韓流にはまる (8)―恋愛シーン

ここのところしばらく「韓流はもういいや」とQが言うので、1人で細々見ていたのだが、「また見ようかな」とQが言い出し、久々に一緒にやいのやいの言いながら韓流を見ている。現在(2006年5月)見ているのは『天国の階段』である。

これもすごいですよー。(>以下、ネタバレ注意)

主人公(>チョンソ)は母親を早くに亡くしたが、大学教授の父と幸せに暮らしている。父親の友人(>なのかな?)である未亡人(>遊園地・デパートを経営する大会社社長)家族とは家族ぐるみの付き合いで、その未亡人の息子(>ソンジェ)と主人公は幼馴染。

ところが、主人公の父親が、有名女優の、なかなかに腹黒い女と再婚するところから運命の歯車が狂って行く。

韓流の定番である、継母、血のつながらない兄弟姉妹、交通事故、記憶喪失、2人の男から熱烈に思いを寄せられる・・・などが満載。我々は、そういうのが出てくる度に「でたー! 定番、交通事故!」と騒ぎながら見ている。

我々にとって謎なのは、恋愛中(>あるいはプレ恋愛中)の男女が戯れる様である。

たとえば、海に行くとするでしょ? 日本だったら静かに海を見ながら語り合ったり、せいぜい靴を脱いで波打ち際を歩いたりするんだと思うんだけど、韓国では、水の掛け合い、とか、タックルかけて海のなかに転ばせるとか、そんなに服を濡らして帰りはどうするんだ!!!と言いたいほど、きゃあきゃあと童心に戻ってはしゃぎまくる。

Qと私は、うーん、韓国人の恋人同士って純粋なのか子どもっぽいのか・・・と悩むのである。

『美しき日々』でも、主人公たちが海に行くシーンがあるのだけれど、もうメチャクチャにハイになって、海水をかけあう。塩水に濡れた服って気持ち悪そうだなぁ・・・。

で、この『天国の階段』では、まだ小学校高学年から中学生くらいの幼馴染の段階なので、「プレ恋愛」って感じなのだが、主人公たちが、なんか地面がドロドロなところでたわむれるのだけれど、顔に泥をなすりつけあったり、ドロドロの中に倒したり、激しい。

うーむ。

国際恋愛って、きっと、むずかしいよねぇ。

日本人の方は「海を見ながら静かに語り合おう」と思ってたら、韓国人の恋人から海水を大量にあびせられたり、海の中に服のままひきずりこまれたり、抱き上げられて水の中に落とされたり・・・。

うゎっ!!! 何なんだ!!! って思うんじゃないだろうか?

いや、熱病にかかったような状態にある間は、そんなことは気にならないのかしらん。