アダージオへの道 (4)―もう一生無理だと思っていたけれど・・・

「身のほどしらず」と頭では分かっていても押さえられないのが「煩悩」というもの。

たまたま、大阪に出張する機会があり、以前から一度は経験してみたいと思っていた大阪のW教室のレッスンに参加させてもらうことにしました。主催者のW先生はとてもユニークな方。大人にも沢山のチャンスを下さいます。大人でも舞台でパ・ド・ドゥを踊る機会がある。

でも、その「機会」は、大人たちが「自分の手で」切り拓いたもの。W教室はコンクール入賞者を沢山出している教室。昔は大人がパ・ド・ドウなんて考えられなかったそう。W先生は「大人だって出来る!」がモットーの方だけど。

このW教室の大人がパ・ド・ドウを踊れるようになった契機は、W先生に大人の生徒たちがお願いしたこと。それを受け入れたW先生の懐の深さもすごいけれど、お願いした生徒さんたちの勇気もすごい。

で、私が大阪に出張レッスンするということを知った、その教室の男性の生徒さんでアダージオ経験があり、セミプロのように舞台に出てらっしゃる方が、「じゃあ、僕がお相手してあげます」と、レッスンの始まる時間の前に、アダージオ・レッスンをして下さったんです。W教室のネットの友人数名と、その方にレッスンをつけていただきました。(>本当にありがとうございました)

プロムナードやピルエットなど、サポートしていただいて、久しぶりに、アダージオならではのスピードと空間の広がりを感じて、本当に幸せでした。もう一生踊れないと思っていたアダージオを、もう一度体験出来たのですから・・・。

あぁ、幸せ! もうこれで思い残すことはない・・・と、思いました。

アダージオへの道 (3)―子どもでも厳しいアダージオのチャンス

大人、しかも「大人から組」がアダージオをやらせていただく・・・なんていうのは、皆無じゃないけど、超ラッキーなことです。

実は、アダージオを踊るっていうのは、子どもにとってもなかなか得るのが難しいチャンス。

T教室は、中学生くらいまで続た生徒は、3-4人で1クラスのアダージオのクラスに編成され、週1回アダージオのクラスに出していただける「システム」がありましたが、これは、何と言っても教室に男性の先生がいらした・・・というのも大きいでしょう。

R教室やN教室のアダージオクラスがどんな仕組みになってるのかっていうのは、全然分からないのですが、ただ、舞台でアダージオを踊れる子はすっごく限られています。

R教室は、国内はおろか国際コンクールに出るような子も多いんですが、そういう子でも舞台でパ・ド・ドゥはほとんど踊りません。プロになって行く子もそれなりにいますが、そういう子でも舞台でパ・ド・ドゥを踊ったことがない方が普通です。

R教室のコンクール入賞組よりも、T教室の「普通の中学生・高校生」の方が、「舞台でパ・ド・ドゥあるいはグラン・パ・ド・ドゥ」を踊るチャンスに恵まれています。アダージオ・クラスに進級した子で、少し経験を積んだ子は、毎年、パ・ド・ドゥの作品を踊れますので・・・。そして何年かすれば、グランも踊れます。

「大人のバレエ」も色々だけど、「子どものバレエ」も色々です。

N教室においても、バリバリに踊れるK先生でさえ、グランを舞台で踊ったのは助教になって何年か経ち20代半ばになってからです。生徒さんの中に上手な人はいっぱいいるけど、パ・ド・ドゥを舞台で踊れる人はほんの一握り。幕物の主役・準主役以外には、一組か二組、パ・ド・ドゥの作品がプログラムにあるという程度。

そういう「子どもから組」でさえ、アダージオを踊れるなんて稀有・・・っていう、「(バレエの)世間の実情」(>これも狭い世間ではあるのかもしれないけれど)があることも分かって来て、T教室での私の「幸運」の価値があらためて理解できるようになり、T先生が私にそんな稀有なチャンスを与えてくださったことについてもあらためて感謝の念を深くするようになりました。
 
たまーに心の中に湧き上がってくる「もう一度アダージオやってみたいなぁ」という願望は、このように、「子どもから組でもアダージオはそう簡単には踊れない」という状況を知るほどに、「身のほど知らず!」のことなんだろうなぁ・・・と思います。

アダージオへの道 (2) 一度は諦めていたけれど・・・

「夢のような日々(17)」にも書いたけど、当時の私には、「大人から組」の、しかも30直前で始めた私のような者が、アダージオクラスに出していただけることが、いかに稀有なことか、いかに幸運なことか・・・っていうことは、分かっていませんでした。

もちろん、「アダージオクラスに出てみない?」って言われてビックリはしたけれど。

妊娠・出産のブランクの後、R教室でバレエを再開し、その後、「もう一度舞台」を目指してN教室にも通い出して、T教室がいかに「大人から組」にオープンマインディッドな教室だったのか・・・というのがよく分かりました。

いや、しかし、出産後の私には、T教室のように「大人にチャンスを下さる」教室は無理だった・・・というのがあり、R教室、N教室を選んだひとつの理由は、発表会の大人の作品を見て、「これだったら小さな子どもがいても大丈夫かも(>舞台に立てるかも)」って思ったとということがあります。当時の私は、「大人にはあまり踊らせない」という教室を「選んだ」のです。

ただ、「(発表会では)大人にはあまり踊らせない」と言っても、R教室、N教室も「大人だから」と言って指導に手を抜くようなことはないですし、R教室は、これまた日記でも何度か書いたと思うけど、指導はハンパじゃないです。そして、最近では、大人も幕物に出していただいたり、上手な方たちと一緒の作品に出していただいたり、大人へのチャンスも増えてきています。なので、私は、今も、「一度R教室の発表会に出てみたい」と思いつつも未だに果たせずにいます。

N教室の指導も、決して「大人だからこの程度でいい」ということではなく、とても丁寧に見ていただけます。ただ、「大人の作品のための練習枠」が、以前は週2回、今は週3回「しかない」ので、また、発表会の練習の始まる時間が遅いので、勤めを持ってる私には、「やりやすい」んです。R教室は朝・夜合わせて9つの練習枠があり、みなさん、週4~6回は練習されるので、私の現状では「無理」なんですよね。

フルタイム勤務、夫は単身赴任、学齢前の子どもがいる・・・っていう、そういう状況だったらら、探せば、「大人にもチャンスがある」教室はいくらでもあったんだろうけれど、「チャンスをいただいても困る」というのが実情だったんですよね、今思えば。

子どもが少しずつ大きくなって、「もうちょっと踊れるかも」「もうちょっと踊りたいな」って、そんな風に思うようになってたんだと思います。

そんな時、Wで踊ってらっしゃるNbさんが、あるバレエサイトの掲示板に「先生にお願いして大人のアダージオクラスを作ってもらった」っていうカキコミをしてまして、それを読んだ私は、この「夢の時間」を思い出してしまいました。

あ、ひょっとして私ももう一度アダージオが踊れる?

その時から、私の葛藤が始まった・・・とも言えます。

アダージオへの道 (1)―アダージオという夢の世界

誘い」にも書きましたが、T教室でバレエを始めて6年経った頃、アダージオクラスへの参加を許可されました。通常レッスンとは別に、中学生の子2人と一緒に3人1組で、毎週アダージオのクラスに出るようになりました。

T教室では、アダージオクラスは3~4人1組で、いくつかのクラスがありました。ここは息子先生がいらしたので、指導は息子先生がやってくださいます。

30近くからバレエを始めた人間が、こんなことまでやらせていただいていいんだろうか・・・。でも、T先生が良いとおっしゃるんだから、ま、いっか。

バーレッスンをやり、ポアントでフロアを少しやり、今度は、アダージオの基本を少しやります。ピルエットとか、プロムナードとかね。

で、それから曲の練習。最初にやったのは「白鳥」です。

うわ~ん、楽しいよぉ!!!! すっごく楽しい。

普通のレッスンだって十分に楽しいんだけど、男性に回してもらうと、自分で回るよりい~っぱい回れるし、ジャンプだって、自分ではぜ~ったいに上がれないとこまで上がれるし。

私はチビだから、リフトで男性の肩に乗せてもらうのも、わーい、高い高い!って感じですっごくうれしかったし。(>「バカと煙は高い所が好き」ってヤツですか?)

男性と組んで踊るのは、なんかすっごく「バレエをやってる!」っていう感じ。

もちろん1人で踊るのだってバレエなんだけど、でも、男性に支えてもらって踊ると1人では出来ないことが出来るんだもん。

そもそも西洋の踊りは男女のペアで踊る物が多いもんね。「男女のペア」って西洋文化の根っこのところに深く根付いているもんなんだろうな。だから、きっと西洋の踊りであるバレエも、こうやってアダージオやってると、「あぁ、バレエやってる」っていう感じがするんだろうな。

剣道と私 (13)―「いいかげんな気持ちなら入部しないで」

大学生活がいよいよ始まる、というので、期待と不安で胸がいっぱいだった。しかも、ついに剣道部に入っちゃうことになりそうだし。

そしたら、4年生の女子部員第一号から電話がかかってきて「話がある」と言う。そして、このK先輩が剣道部入部にこぎつけたいきさつやその間にあったもろもろの「追い出し」の策謀や、そういうのを経て、女子の入部が許されるようになったことや、というのを聞かされた。

実は私の母校の剣道部は、私が入学する3年前まで「女人禁制」だったのだ。そのことを知らない2年生がK先輩を入れてしまった。入部当初は1-2年生だけ別に稽古するのだが(>キャンパスが分かれているので。少ししたら1年も授業後別キャンパスに通う)、そちらのキャンパスで練習している間に「追い出せ」と上級生から2年生に指令が出たという。で、たとえば、マラソンをやり、1周ごとに1番最初の者から抜けて良い・・(>K先輩は一番長い距離を走らされた)というような「しごき」をやられたりしたのだ。

稽古に来るたびに「女人はなぎなたをやりなさい」とのたまうOBもいたとか。(>この人は公立高校の教師であるにもかかわらず、勤務校の剣道部に女子の入部を許さなかった。今なら問題になるぞ!)

しかし、K先輩は、強かった! この横暴な先輩の心さえ溶かしてしまったのだ。「まぁ、女とは言え、君は別」という感じに、態度が軟化してきて、私が入部する頃には、イヤな顔ひとつせずに私なんかにもちゃんと稽古をしてくれた。

女子を入部させない理由というのは、「女には剣道は分からない」だの、さまざまだったらしいのだが。

「そういう訳で、女子が入ってきたから剣道部が弱くなっただの、部としての一体感がなくなっただの、やりにくいだの、風紀が乱れただの言われると今後、女子が入れなくなる可能性があります。本気で剣道やりたいのならいいけど、いいかげんな気持ちなら入部しないでください」とキッパリ言われた。

うーむ。

これもさぁ、そもそも、本当は男女共学の大学にあって、同じ額の授業料を払っており、同じだけのサーヴィス提供を受ける権利のある女子に、「女子はダメ!」と言う方が理不尽なのであって、そういう理不尽なことをしている連中にこっちが合わせる必要なんてないぢゃん!と、今なら思える。

しかし、まだまだ年若く、純真な乙女であった私としては、「あちゃー! こりゃ、大変なところに来ちゃったなぁ」と思った。

なのだが、ついつい、「あぁ、そうですか。じゃ、やってやろうぢゃん!」みたいな気分になってしまったのだよねー。

で、この尊敬すべきサムライな女性の先輩に私は着いて行くことになったのであった。

この先輩は、ある意味、「男社会に切り込む初期の女性の典型」のような苦労をした方であり、また、そういう女性の典型のような方であった。剣道部でもそうだが、仕事の上でもそうであって、「女性初の○○」というのになられ、一時期は、週刊誌からの取材申し込み殺到!という状況であった。

女性パイオニアは「男性以上に男性」と言われるけれど、この方も見事に「男社会」の価値を体現してらっしゃるようなところがあった。父上がたたき上げの警察官であった、というのもあるかもしれない。パイオニアになるには、いずれはその価値を脱構築していくとしても、まずはその「価値」や「ルール」を理解していないとなかなか中に「入る」ということが出来ない。

しかし、この方は、同時に、非常に細やかな女性らしさも持ち合わせてらして、「力で押すだけ」じゃない、しなやかさもあり、だからこそ、「女性初の○○」になれた、というのもあるのだと思う。

私の人生において、この方との出会いはとても大きなものがあった。この方から本当に多くのものを学んだし、私は、剣道の指導も沢山していただいたけれど、食事をご馳走になったり、服をいただいたり、とても可愛がっていただいた。お家にもずいぶんと寄せていただいた。

しかし、「K先輩、私、ついて行きます!」という決意をしてしまったために、私の大学4年間は、「女の子らしい」香りが全くといってないような、バンカラな汗臭いものになってしまったのであった。(>ついでに、「知的な」香りも少なかったかも。剣道やる熱心さで勉強してたらナンボのものになってか・・・と思ったりもする)

剣道と私 (12)―オリエンテーションでの勧誘

まぁ、15歳で始めたっていうのは、それなりの意味はあった。

でも、私の剣道が本当に伸びたのは大学に入ってからだ。大学では週4回以上は練習してたし、やはり、プロの指導者のいるところでやってたからだ。

しかも、非常に質の良い指導者が教えに来てくれていた。NHKの剣道の試合の解説をつとめるような人もいたし、他の大学で教えてらっしゃる先生で全日本で何度も優勝している人がたまたま「国内留学」という形でうちの大学に籍を置いていて、1年間みっちり指導していただいたりもした。

だから、私の剣道が「伸びた」と言っても、それって、指導者に恵まれただけかもしれない。しかし、なので、指導者に恵まれるということは、ほんとうに大事だっていうのも身に沁みて分かった、というのもある。

大学時代のことを振り返ると、胸が苦しくなるような思いがする。もっとチャラチャラした青春を送りたかったなーと思ったりすることもある。いろいろな意味で苦しい4年間だった。その4年間の生活の中で剣道部の部活が占めていた割合はとても大きい。

大学に入っても剣道を続けたい!という気持ちは持っていた。しかし、私の剣道は、強豪私立ではついていけないだろうなぁという思いもあったので、私の第一志望は、「○○大学△△学部」に行きたいというより、「○○大学剣道部」に入りたいというのもあったかもしれない。第二志望は、スポーツ推薦なんかで入ってくる子もいたりするので、きっと無理かなぁ・・・と思っていたのだ。

だけど、一方で、第一志望の大学にあるというフィギュア・スケートのサークルにも興味があって、あの時フィギュアの方を選んでいれば、私のバレエももうちょっと違ってたかもなーという思いもあったりする。

どこの大学もそうだと思うけれど、新入生歓迎の催しでは、部活の勧誘の人がオリエンテーションに来る新入生をひっつかまえて、(しつこく)勧誘する。

私はまず、女子バスケの人に掴まって勧誘されたのだが、「もし運動部に入るなら剣道部に」と言ったら、その女子バスケの人が、「剣道部~!!!」と大声を上げて、剣道部の人を呼び、私は剣道部の先輩に拉致されて剣道部の机のところに連れていかれた。

体育会は人材確保が大変なので、お互い協力体制を敷いているのだ。

で、一応名簿に名前を書いた。2段だと言うと、「おぉ、是非入って!」と言われ、「じゃあ、悪い虫がつくといけないから、君はこっちから行きなさい」と他の部の勧誘を受けないように誘導されて、オリエンテーションの会場に連れて行かれてしまった。

なので、他にどんなサークルや部活があるのかなーというようなのを、知らないままに私は結局剣道部に入ることにしてしまった。あの時、あのながーい列の中をちゃーんと歩いて通っていたら、どうなってたのかなぁ・・と思ってみたりもするのだけれど。

剣道と私 (11)―大学浪人中に2段を取得

現役の時は、大学受験は見事に落ちた! という訳で大学浪人をすることになった。

「何にも楽しみのない生活もなぁ」と思い、近くの自衛隊の剣道教室に、週1回通った。大学に入っても剣道をやるつもりだったので、大学に入る前に2段を取りたいというのもあった。

高校時代は、たしかに経験者はいたし、OBなんかも来てくれたけれど、実は、プロの指導者はいないところでやっていた。顧問の先生は、弓道が専門だったので、剣道部の方は名前だけ。合宿に来て怪談とかはしてくれたけど、剣道の指導はしてくれなかった。

この自衛隊の剣道教室は、それなりの高段者が何人もいて色々教えてくれたので、「なるほどー」と思うことも多かった。

で、夏に無事2段を取得することが出来た。

「週1回くらいは来た方が勉強も進むんじゃない?」と言われたけれど、秋からは受験勉強に集中することにして、剣道教室もやめた。

・・・という訳で、大学に入る前にやってた剣道って、都合丸2年くらいなんだね、今思うと。

剣道と私 (10)―タフ

「運動は苦手」と思って子ども時代を過ごして来たのだが、女の子が外遊びなどをしなくなり、運動部でもない限り運動量が減る頃から運動を始めたせいで、少しずつ、みんなとの運動能力のギャップを埋め、部分的には追い越すようにもなって行った。

私は朝が苦手で、また、踏み切りを超えるバス通学をしていたため、遅刻しそうになって(>遅刻も多かった)よく走ったというのもあるかもしれないが、自分は特に持久力に優れているらしい・・・というのにも気づいた。高校の体育の持久走のタイムはなかなか良くて、クラスマッチや運動会の駅伝には毎年のように選手になった。

剣道部でも、みんなに混ざって練習するようになると、すぐにまわりから言われたのは「お前タフだなぁ」ということ。なぜか、あんまりバテないのよね。

いやぁ、知らなんだ。私って、けっこう体力あるのかな?

進学校だからか男の子にもひ弱な子がいて、ジョギングなんかすると私より遅い子がいたりして、その子にはいつも嫌がられてた。追い出しコンパの時だったか、「ジョギングの時、お前が後ろから迫って来て、たまに追い抜かれたりするの、すごーく嫌だった」と言われた。しゃーないぢゃん、あんたが遅いんだし!

当時は、まだまだ男尊女卑みたいな部分があったから、合宿なんかの時も、バテバテの男子の中で私が元気いっぱいに練習してたりすると、「ほんっとお前ってタフなぁ」と、嫌そ~に言われた。男の子なら、「お前すごいなぁ!!!」と手放しで誉めてもらえるんだろうけれど、彼らの、「タフなぁ」の中には、そういう手放しの誉め言葉とはとても思えないようなニュアンスがあった。

まぁ、私が元気だったのは、あるいは、同じ地稽古にしても男子の方が動いていて、私の動きが少なかっただけなのかもしれないが。

女子部員は夏までは4人いたけど、合宿後は2人になってしまったし、もう一人は体力がけっこうなくて、すぐバテバテになって練習をリタイアする子だったので(>日舞はうまいのに)、余計、私のタフぶりが目立ったというのもある。

私の行ってた高校は当時、女子と男子の割合が、1対2くらいで、理屈から行けば、モテても良いのだが、そんな訳で、私は、「女の子のカテゴリーの外枠」扱いを受けるハメになってしまったのであった。

自分のこと「弱い」って思ってたけど、そうでもないのかなぁ・・・って、ちょっと自信が持てて来た頃でもある。

ただ、「運動をする」という場での体力と、仕事や勉強を長期に続けるという場での体力は別物の部分もある。なので、そういう仕事や勉強の長期的体力については、私はまだまだ根本のところでは自信を持てなかったし、実は、今も持っていない。もし、この点で自信が持てたり、実際に自信を持てるだけのものが自分にあれば、私はもっと違う進路を選んでいたかもなーと思う。

剣道と私 (9)―不協和音

この掛け声を、単音じゃなくて、不協和音で出せるようになるのも、また年季がかかる。

最初はテレもあるし、なかなか大きな声を出せないし、仮に出したとしても、「やー」とか「さー」とか、単音である。それが、しばらくしてくると、和音になってくる。

だから、掛け声を聞くと、多少は年季の入った剣士なのか、初心者なのかってのは、すぐに区別がつくようになる。

私も、不協和音が出せるようになったのは、大学に入ってからかもなー。

剣道と私 (8)―「赤ちゃんが起きちゃったじゃないの!!!」

剣道っていうのは、「声を出す」っていうのも大事な練習のうちである。「ギャー」とか「ヤーっ」とか、ちょっと字に書き起こせないような奇声を発しながらやるのだが、あの声にも重要な意味がある。

なので、新入生は「発声練習」というのをやらされる。

私の高校では、2年生と1年生が校庭の端にそれぞれ列になって、1年生が「めーん、めんめんめんめんめーん」と、「切り替えし」というのをやる時の掛け声をかける。2年生のところまで聞こえれば「よーし!」と○が出るけれど、聞こえないと「聞こえないぞー。やりなおしー」となる。

これをやってる時に、近所のお宅のお母さんが、「赤ちゃんが起きちゃったじゃないの!!!」と怒鳴り込んで来たことがあった。たしかに近所迷惑だよねー。

学校のそばに住むって、大変よね。