我々の間ではチェリンの評価は当初大変低かった。高校時代もチュンサンは私のもの!と宣言し、他の女を近づけないようにするし、ミニョンとユジンが近づきそうになった時には、あの手この手の策略でユジンの評判を落とそうとする。
それを「健気」と見る向きもあったようだが、チェリンが策略を思いついて「ふふふ」と含み笑いをすると、「お、また策謀を考えているな」「チェリンすごいウソツキだよねー」「チェリンこわいよねー」と「おしゃべりタイム」がチェリン批判で盛り上がったものだ。
男性において「くどいてくどいてくどき落とす」が韓国における恋の正攻法なら、女性の場合には、どんな汚い手を使っても相手の心を自分に向けるのが恋の裏技なんだろうか。男の方から正攻法で攻めてもらえれば、女の正攻法で「ふってふってふりまくって」最後に「しょうがないわねー」と「落ちる」という女の正攻法が使えるのだろうけれど。
相手からいいよられるのを待つというのが「正攻法」であるとしても、韓国の女性は、日本の少女マンガみたいにただひたすら待っていたりはしない。正攻法の裏をかく。
『オールイン』でも、女性ディーラーたちの控え室で、「イナはもらった。私のものよ。手を出さないで!」と宣言する女性がいた。韓国の女性たちは、こんな風に、「宣言したもの勝ち」という「恋のルール」で動いているのだろうか。だとすると、高校時代のチェリンがやったことも、韓国流の「恋のルール」の範囲内なのかな?
実は『冬のソナタ』を見終わってから、『美しき日々』や『美しい彼女』などを見たのだが、『美しき日々』に出て来るレコード会社の女社長や、とりわけ、『美しい彼女』に出て来る『冬ソナ』で、ミニョンの母親役をやっていた女優演じるボクシングの偉い人(>マネージャー? プロデューサー?)なんかは、その凄腕ぶり、策略家ぶりはハンパじゃなく(>こっちはビジネスにおいてだが)、これらの女性を見た後、我々は、「これにくらべたらチェリン可愛かったね」ということで見解の一致を見た。
これらの女性が次々と策略をめぐらすのを見ては、「なんだチェリン可愛いぢゃん!」と、チェリンの策略家としての「小物」ぶり、その策略の動機の「純粋さ」ぶりが、再認識されたりしたのであった。