私のダイエット (3)-楽しく美味しく食べて太るのは○

私のダイエットの基本のもう一つは、「楽しく美味しく食べて太るのは○」ということ。これは、伊藤結花里『ダンシング・ダイエット』(講談社文化)に出ていたコンセプト。

著者はマンガ家なんですが、体重の変動がとっても激しい。モノを書いて(画いて?)食っていく…って、そりゃあ、すごく大変な仕事だと思う。

私は「モノ書き」のハシクレではあるが、「モノ書き」で食っている訳ではなく、原稿料はいつだって「スズメの涙」。原稿料なんて出ないことも多い。その原稿を書くための「下調べ」に使うお金を考えたら(>私は資料求めてイギリスにまで行くことも多いから)、「すべての原稿は赤字である」と言った方がいい。

私は「その他の仕事」で食わせてもらっているのであり、その「おこぼれ」で書く時間を掠め取っている…と言った方が正確である。(>大義名分的には「書く」ことも仕事のうちなのだが)

「モノ書き」として食ってなくたって、「仕事として」「モノを書く」のはストレスフルであります。(>もちろんエキサイティングでもあるのだが)

「モノ書き」として食ってる人は、どんなにか大変なことだろう…と思う。もちろん、それを「大変と思わない」、そういう大変さは軽く凌駕する「才能」があるから、その人たちは「モノ書き」として食っていけており、私は「モノ書き」として食っていけてない・・とういのもあるのだが。

それはともかく、彼女は、そのストレスの嵐の中で「ぎゃ~!!!!!」という状態に何度もなる。

で、彼女が太るのも、たいてい、ストレスで飲み食いしすぎたり、あまりの忙しさで運動できない状態が続いたりするのが原因。

曰く「楽しく美味しく食べて太るならOK」(>すみません。手元に本がないのでうろ覚えです)…だけど、自分が太るのはいつもそういう太り方じゃない…。

おんなじだ~!と思う。友達とワイワイ楽しくイタリアンで飲み食いして太る…。毎日がそういう楽しい日々で、生活も食事もはっぴぃ!という中で太るなら、それはそれでよしとしよう!!!!

イギリスのTVコマーシャルに、イタリアだかスペインだかの太ったおば(あ?)さんたちが、海岸で若い男の水着姿を「ウォッチング」してはきゃあきゃあと騒ぎ(>これもセクハラか?)、「彼女たちがいつまでも若いのには訳があります」とナレーションが入る。たしか、オリーブオイルかなんかの宣伝だったと思うんだけど。

毎日美味しいものを食べ、若い男をウォッチングし、きゃあきゃあ騒げる友達がいて…そういう生活だったら、別にちょっとぐらい丸くても気にする必要はないのでしょう。

でも、(2)でも書いたように、私の体重が増えていく時はたいてい「あぁ、しあわせ!」とモノを食べている時ではなく、「こんなもの本当は食べたくない!」と思いながらもやめられない「過食」モードにある時。食べることでストレスを解消しようとしている時。食べた後で「あぁ、美味しかった!」じゃなくて、「あぁ、また食べちまったよ!」と思うような時。

だから、そういう時、そうやって増えた肉を、私は「愛せない」。私がいやなのは、「自分の身体を愛せない」状態。

まぁ、そうやってストレス抱えながらも頑張って「仕事する」私も「私」なのだから、本当はそうやって太ってしまう自分も愛してあげないと可哀想なんだけどね。

私のダイエット (2)-「たたかわない」ダイエット

私のダイエットの基本はいくつかあるんですが、その一つは「たたかわないダイエット」です。要するに「苦しい思い」はしたくない…っていう「軟弱ダイエット」でありまして、「だから痩せないのよ!」と言われれば返す言葉もない。

丸元淑生『たたかわないダイエット』(講談社+α文庫)は、丸元さんの娘さんが、アメリカ留学で太って一時帰国した時の(父親の指導の下での?)娘さんのダイエットの記録です。

私は丸元さんの料理の本は昔から良く読んでいて、自分のレシピに取り入れたりもしているので、この本を書店で見つけた時にすぐ購入しました。

このダイエットの基本は「ガマンしない」です。そして「ガマンしないで食べたい物を食べる」です。で、「食べたい物を食べることが範を越えない身体作り」です。

これはヨガの思想にも通じます。

昔通ってたヨガの教室の先生は玄米食を勧めておられました。その理由は、白い米を食べていると、自分の身体が「本当に欲している物」を見失っていくからです。白い米は「刺激の強い」副菜を求める身体を作ってしまう傾向にあり、一度そのサイクルに入ってしまうと、身体はどんどん自分の身体が「本当には」欲していない物、身体にとって不要だったり、有害だったりするものを求めるようになってしまう…というんです。

「ガマン」も、気持ちや身体に「無理」を強いるから、「リバウンド」という形で、身体が欲しない物を摂取してしまう…。

要するに、「自分で自分が気持ちいい」身体作りと食欲調整っていうか・…。

そういう風に身体や食欲を調整していくためには、お菓子なんかもガマンせずに食べつつ、「身体を整える」物をきちんと摂取していく。野菜とか(>生と火を通したものの両方)とか、豆類とか、果物とか、たんぱく質とかね。

私が「太るサイクル」に入る時は、たいてい「身体に悪いもの」「余分なもの」を食べすぎる傾向にあります。だから、身体が整ってない状態…。

私にとってのダイエットというのは、だから「痩せたい」というのもあるんだけど、それよりは「身体を整えたい」っていう欲求なんだと思う。

私のダイエット (1)-「デブはフェミニズムの問題」

1970年代から80年代は、アメリカやイギリスでフェミニズムが席巻した時代です。色々な議論が花咲きましたが、「太ってるか」「痩せてるか」っていうこと、そして、そんなことを「女が気にするということ」も、「立派に」フェミニズムの課題である、とされて「マジメに」論じられたりしたものです。

Fat is the Feminist Matter というのは、この問題についての「古典」とも言うべき本であり、映画『フル・モンディ』の中でもたしか言及されていて、でも、字幕つけてる人にはそういう「教養」はなかったらしく(>あるいは知っていてもその通り訳しても通じないと思ったのか)、これは「デブは女の問題だ」というような訳になってました。

それはともかく、日本でも『女はなぜやせようとするのか-摂食障害とジェンダー』(浅野千恵著、勁草書房)という名著があり、女がなんでこんなにダイエットに夢中になるのかっていうことを分析しています。その理由は複雑で、一つに集約できるものではなく、いくつもの矛盾した要素が相互に絡みあっています。

たとえば、「細い女性」は「弱弱しく」、男性から見て「保護したくなる」存在で、そういう男性の「まなざし」に自分を合わせようとする試みである。

しかし、他方で、「丸みのある身体」は「母性」の象徴でもあり、社会から押しつけられる「女らしさ」に反発し、「少年の身体」を保持しようとする試みである。

あるいは、社会が女性にも「自己実現」や「成功」を求めるようになった時、すべての女性にそれが可能な訳もなく(>すべての男性に(いわゆる)「成功」が可能でないように)、また、それらは根気も努力も必要なことなので、「体重」という、もっと簡単に「コントロール可能な」ものを「コントロール」するところに「自己実現」や「成功」を求めてしまう…。

私がダイエットする理由の中に、あるいはちょっと体重が増えると「ぎゃ~!!!」となる理由の中に、もちろん、こうした「女性への抑圧」を内面化している(>あるいはそれに反発?)…という側面はあるのかもしれません。

私は別に今のところ、「太っては」いないし、「健康上の理由で」ダイエットが必要な訳ではありません。別にこのままでもいいぢゃん!とも思うんだけどね。

でも、難しいことはおいといて、正直なところ、やっぱり(アマチュア)ダンサーとしては、もちっと細い方が「見栄え」がいいよねっていうのはあったりはする。あと、「今以上には」太りたくないというのはあったりはする。

ま、そういう「気持ち」の寄って立つところの「分析」も重要なことではあるが、それは、そっちの専門家に任せておいて、私としては、「もちっと痩せたいなぁ」「これ以上は体重増やしたくない!!!!」という、「今の」「気持ち」に「忠実に」生きてみようかと思います。

(>が、これが上手くいかないんだなぁ・…。お勉強やら仕事に比べてコントロールが「ずっと簡単」なはずの体重管理が出来ない意志薄弱さじゃ、お勉強が思うように進まないのも無理ないわね)

舞台を重ねる (19)―6回目のVa大会:「青い鳥」の誤算

その2前年のVa大会で「キューピット」を却下された私。でも、「子どもが最初に踊る物を踊ることにはきっとなんらかの意義があるに違いない!」という「疑惑」(?)は、なかなか消えない。

それならば!

もう一つ、子どもたちがよく踊る「青い鳥」はどうかなぁ????

ということで、「青い鳥」を申告してみたら、「あっさり」受諾。

子どものクラスで「青い鳥」踊る子だっていっぱいいたのにねー。子どものキューピットが続くから「お客様が飽きてしまわれるから」という理由でキューピットを却下されたのだけれど、やっぱり大人がキューピットを踊るのは「ヘン」ってことだったのかしら? (>まぁ、「青い鳥」でも充分に「ヘン」かもしれないけれど。

子どもが「最初に踊るVa」ということは、Vaの中では「最も簡単なもののひとつ」なのであろう…というのが、私の「読み」でもあった。

キトリやコッペリアは主役の踊りだけれど、こっちはソリストの踊りだしね。

しかし、これは大ハズレ!

もちろん、世の中に「易しい」Vaなどはひとつも存在しない。

もちろん、Va偏差値表を作れば、「青い鳥」より難しいVaの方が多いのであろう。

でもさぁ、「青い鳥」って、すごい難しいよぉ。

当時、N教室の初等科で月1回、Vaのさわりをちょっとだけ練習させてくれるっていうのがあった。その時「青い鳥」やった時には、「行けるかもぉ」と思ったというのもある。

片足でポアントでチョンチョンしながらデベロッペに上げた脚をパッセに持って来て、またチョンチョンしながら後ろアチチュードにするやつも出来たので(>美しいかどうかはともかく)、これなら「オリジナル」でも行けるかなぁ?という「野望」もあった。

A先生にも「出来たらそのままの形で踊ってみたいんですよねぇ」と言った。

そしたら、A先生は「大丈夫よぉ」とおっしゃった。

しかし、その「野望」は振り写しを始めた瞬間崩れ去った。R教室の「青い鳥」はN教室ヴァージョンよりずーっと難しかったの。(>でもって、私の技術はオリジナルを踊るにはあまりにも低かったの)

N教室のチョンチョンは途中で軸足を変えるんだけど、R教室のチョンチョンは軸足はそのままで、上げた脚をパッセから抜いて後ろに持ってくの。私の実力では、これは「無理」でありました。

で、ここんところは、エシャッペ×2→パッセ→アチチュードになってしまいました。

ふぇーん。

ただし、私自身は「振り」としては、こっちのエシャッペ・バージョンの方が好きだったので、それはまぁ「良し」としましょう。

しかしながら、そもそも、そこに行く前に、最初の方のフェッテ・ターンでかなり自爆。

以前にキトリその2でフェッテ・ターンは経験はしていたものの、止まれない!!!!

その次の前アチチュードで飛ぶところも、鏡に写る自分の姿はすっごくヘン!!!!

エシャッペは以前よりはずっと安定してきた。どっちかっていうと「力づく」なエシャッペだけど、ぐわしっぐわしっ!と立つ。

(私よりずっと)若い(大人組の)レッスンメイトから呆れ気味に「Q母さんって、脚強いですよねぇ。驚いちゃった」と言われる。

最後の6番パドブレで手をひらひらさせながら下がる所は、振りも好きだし、まわりからも「可愛い」(>っていう年じゃないけど)と言ってもらえた。

このVa大会あたりから、「自習」を前にも増して頑張るようになった。他のレッスンメイトがやっている間は、バーにつかまりながら、振りを復習する。そういうことは以前もやってたけれど、もっともっと目的意識的にやるようになった。

バーにつかまりながらの自習は、なかなかに効果があると思う。バーの助けを借りながら、脚を出す方向や筋肉の使い方を確認出来るから。

という訳でそれなりには頑張ったのだけれど、結果は今一つかなぁ。

とにかく、踊り自体が私には「難しすぎ!」であった。

「青い鳥」を軽々とやってるレッスンメイトがいて、チョンチョンのところも「よくそんなこと出来ますねぇ」と言ったら「あら、これはね、案外簡単なのよ」と言ってたの。それは、実力派の彼女ならではの「軽々」だったのねぇ。

自分には「この踊りはこれくらい難しい」というようなことを判断する「目」も、まだまだ、備わってないんだなぁとつくづく思い知らされた。

それにしても、最初のVaとしてこれをやる子どもが多いけど、やっぱり子どもたちは上手なのねぇ。改めて尊敬!

あと、この「青い鳥」で楽しかったのは、「青い鳥」について色々調べたり考えたこと。

この「青い鳥」の物語は有名なチルチルとミチルの「青い鳥」ではなく、オーノワ夫人という人が書いた「青い鳥」で、お城の塔に閉じ込められた姫のところに青い鳥が飛んで来てはその心を慰めた、というお話である。

ということは、あんまり楽しそうに踊ってはいけないのだろうか。「とらわれの姫」の憂いも必要なのであろうか。

これはグラン・パ・ド・ドゥの一部なので青い鳥が来てくれて「うれしい」状態で踊っているのだろうか。Vaの部分は1人になるので、青い鳥を「待っている」「悲しい」状態で踊っているのだろうか。

また、自分をあくまで「人間」ということにして踊るのか、「鳥」になった気持ちで踊るのか?というところも迷った。

当時、ドイツで現役ダンサーとして踊っていたMさんのHPによく遊びに行っていた。で、プロの意見というのを聞いてみた。

Mさんがおっしゃるには「そういえば、一度だけ悲しそうな青い鳥を見たことがあるけれど、そもそもこの青い鳥は結婚式というお目出度い場所でお祝いということで踊られる訳だから、楽しく踊っていいんじゃない?」とのこと。

そっかぁ、たしかに。お祝いの踊りが暗かったら、やだよね。

これで方針が決まり、「音楽に合わせて楽しく踊る」ことにした。で、自分が人間か鳥か、というところは、「どっちつかず」。気分的には「鳥」のような自由な軽やかな感じ。

まぁ、あんまりたいした「方針」でも「解釈」でもないんだが、自分なりに「あーでもない、こーでもない」と考えること「自体」がとっても楽しかった。

考えた結果が踊りに反映されていたのかどうかは不明だけれど、私はいろいろ「考える」のが好きだし、いっぱい考えてそれで自分が楽しいんだったら、それでOKでしょう…ということで、私のバレエに「いろいろ考える」という楽しみが加わったのでありました。

(その後の調査で分かったことだが、青い鳥は魔法で姿を鳥に変えられた王子だったのだそうだ。でもって、いろいろ試練はあったが、最後は人間の姿になって結ばれるんだって。男性Vaを見る限りは、王子はまだ「鳥」だけど、コーダになったら2人とも「人間」なんだろうか????? 2人で踊る所はすでに人間になってて、男性Vaのところは、前に鳥だった時のことを思い出しているとか?????)

舞台を重ねる (18)-N教室での6回目の発表会

6回目の発表会は、初めてS先生の振り付けで踊ることになりました。

レッスンにおいても大きな声で、身体をめいっぱい使って全力疾走で教えて下さるK先生に対し、おっとり優しく優雅なS先生。

踊りにおいても、切れ味が良く、テクニックが強いK先生(>でも、可愛い系、優雅系もOK)に対し、上半身の使い方がとてもすてきで雰囲気のあるS先生。

N先生から助教の先生に大人の振り付けが移って以来、私たちはずっとK先生の振り付けで踊っていました。

でも、「今年はS先生なんだって」というニュースに、私たちは、「うわー、楽しみ!」となりました。

K先生の振り付けもステキだけれど、「新しい体験」というのもまた胸踊るもの…。

これを機会にS先生から上半身の使い方をうんと習いたいなぁという気持ちもありました。

私たちの期待どおり、雰囲気のある、大人っぽい、優雅ですてきな振り付けでした。(>が、私が作品の雰囲気どおりに踊れていたかどうかは疑問)

K先生の指導もとても細かくてきちんとしているんだけれど、S先生の指導は、ちょっとした「目からウロコ」の「踊るコツ」みたいなのを沢山伝授して下さり、すごーくためになりました。

色々な先生から習うと、バレエを「多角的に」学べて、すごく良い経験になります。

上半身の使い方もいっぱい教えていただいて(>が、いまだになかなかうまく使えません)、とっても楽しく踊れました。

このあたりから、N教室でも、みんなといろいろな話が出来るようになってきて、そういう意味での「踊りやすさ」もぐっと増して来た感じです。

「一緒に踊っている」という感じが、ようやく持てるようになってきたっていうか…。みんなで一緒に「一緒に踊る」っていうことをひとつひとつ学んで来たっていうか…。

多分そういうことなんだと思うんだけれど、「一緒に踊る」も「訓練」が必要なんですよね。

何年もかかって、ようやく「踊る仲間」になれてきたなぁっていうか、そんな感じがします。

それは、長く同じ教室に通っているので「仲良くなる」というのと重なる部分もあるけれど、それよりは、「バレエ」という「場」における「一緒に踊る」とはどういうことか?というのが、私たちひとりひとりに少しずつ理解出来てきたっていうか、そういうことなんだと思います。

T教室では、「一緒に踊る」経験をいっぱい積んだ子供達に助けられて踊っていた私ですが、イーブンな関係で「一緒に踊る」を手探りで学んで、ようやくみんなしてここまで来れたんだなぁっていうか、そんな感慨があります。

舞台という「場」で「仲良く踊る」というのは、実は「鍛練」が必要なのだ、と、今改めて思います。

それは、「みんなで頑張ろうね!」という、事前の「雰囲気作り」も含めてそうです。

「自分の踊りでいっぱいいっぱい」の間は、なかなかそこまで気が回らないという部分があります。

それが、少しずつ「みんなで踊る」難しさと楽しさというのが分かってくる。

「みんなで踊る」楽しさを満喫するためにも、「バレエが好き」っていうみんなの気持ちを「つなげて行こう」っていう、そういう態度っていうか姿勢っていうのがだんだん出てくるというか…。

私たちは一歩ずつ、みんなで、そんなことを学んで来たんだ、という気がするんです。

舞台を重ねる (17)-本番2日前に背中を痛める

この時の舞台では、実は私にも大変なアクシデントが起こった。

貴族の踊りは、背中をずーっと反って踊る。なのに、本番2日前に背中を痛めたのだ!

披露が重なっていた、というのもあるだろうが、直接の引き金になったのは、布団に腹ばいになってゲームボーイをやっていたこと、と思われる。そして、仕事の予習が間に合わず、明け方、布団の中で(>なにしろ冬だったもんで)、うつぶせになって資料を読んでいたこと。

で、その後力つきて、少しうとうとして起きたら背中が痛くて、とてもうしろに反れない状態。

ふぇーん、どうしよう!!!! これじゃ、踊れないよぉ!!!!

本当に焦りました。

で、まずはリフレに行ったが、焼け石に水っていう感じ。

それでも、とにかくレッスンに出て、そこでレッスンメイトに教えてもらって夜遅く、指圧のサロンにも行った。これが指圧との出会いだったんだけれど。

リフレよりは効いた感じだけれど、まだ、ダメ。

で、翌日、職場の同僚に教えてもらって、整体に行った。本番前日!

これが、効きました。

なんとか踊れるところまでしていただくことが出来ました。

「本当はもうちょっと整えたいけれど、明日踊れるところまでにしておきます」って、整体師さんはおっしゃった。

すごいなー。(>整体)

舞台を重ねる (16)-舞台は直前まで(>本番でも)何が起こるか分からない

この「くるみ」の舞台では、実は、大変なことが起こった。

当日のゲネで、レッスンメイトの1人が肉離れを起こしたのだ。後ろで踊っていた人が、そのレッスンメイトが「かくっ」となったので、「あ、どうしたんだろ」って思ったって言っていた。

かなり痛いらしい。

お世話係りで来ていたよその教室の先生は、彼女の脚の状態を見て、「なんとかなるんじゃないかしら?」と、むしろ無理してでも踊って欲しそうだった。

でも、また、舞台の上で「かくっ」となるかもしれない。

レッスンメイト自身も「貴婦人は踊れるけれど、トレパックは無理だと思う」と言う。

とにかく、しばらく様子を見て、両方とも踊れるところまで痛みがひくかどうか、むしろ痛みが増してしまうようなことがないかどうかを、経過観察することになった。

ここまで来て、本番直前にケガなんて、本人もさぞ悔しいだろう。あんなに練習したのに…。彼女は間違いなく最も練習した人の1人だ。自分の踊りだけじゃなくて、人の踊りも沢山助けてあげた。みんなほど練習に出られない私も、彼女に一番お世話になった。

神様、なんとか本番までに彼女の脚を治してあげて!

しかし、本番直前になっても、痛みはひかない。

R先生が、最終確認として彼女に「どうしますか?」と聞いた。彼女は「トレパックはやめておきます。貴婦人は踊ります」と言った。

R先生は、「分かりました」と一言おっしゃって、「じゃあ、みなさん、振りを変えますよ。集まって!」とおっしゃった。

「踊らない」という選択をした彼女の勇気と、それをあっさり「分かりました」と言い、「次善の策」をすぐ練り出すR先生の素晴らしさに感動した。

舞台は直前まで何が起こるか分からない。いや本番でも事故が起こる場合がある。

そんな時、「じゃあ、どうするのか?」というのをギリギリまで追求して「何とかする」のがプロなんだなぁと思った。

R先生は大きなバレエ団のプリマとして多くの舞台を重ねて来られた。私のN教室の友達は、プリマはコールドからソリストから、舞台の「全部」を経験しているから、踊りの色々が分かる、R先生に習うということは、そういう「みんな経験した」魅力があるんだって言う。

そうだね。そういう強みがこういう時に出る。プロとしてこういう場面に直面したことも何度もあるんだろう。

焦らず、慌てず、堂々としておられる。

私たちは、レッスンメイトが心配なのと、急に振りが変わって大丈夫だろうか、というので半ベソ状態だったんだけれど、先生の、そんな時でもユーモラスに「大丈夫!」と励まして下さる姿に「何とかしよう!」と思った。

でも、やっぱり不安は不安。

肉離れを起こしたレッスンメイトは踊れる人なので、先頭だった。彼女の代わりに先頭になるように言われた人は、踊りの経験は長いけれど、幕物は多分初めて。

すごく不安な顔をしていた。

そしたら、At先生が、「分かりました。私が踊ります」とおっしゃった。

A先生は、もちろん指導はして下さってたけれど、ご自分でこの踊りを通して踊られたことはない。

R先生は、「そう? Aちゃん、やってくれる?」とおっしゃって、それで一件落着。振りが変更になることもなく、今まで通りで踊れることになった。

みんな「怪我して出られなくなったレッスンメイトの分まで」という気持ちもあったのだろう。本番で一番輝いて踊れた気がする。

この舞台では、多くの感動をもらった。

H先生のすごくおしゃれな振り付けで幕物を踊れたこともそうだし、上手組の子たちと同じ舞台の上で踊れたこともそう。レッスンメイトと励まし合いながら全力で練習して舞台を作れたこともそう。

でも、この「事故」のこともそうだった。

ダンサーに取って、「身体を無理をしない」勇気というのはとても大事。私だったら、踊ってしまって、本番でもっと大きな事態を引き起こしてしまったかもしれない。

「踊らない」選択をしたレッスンメイトの勇気と判断力、R先生の決断力や指導力、包容力、そして、「いきなり」でも何とかしちゃうA先生の凄さ…。

舞台では、一瞬一瞬の「判断力」がとても大事なんだなぁというを思った。バレエは「決断」の芸術だ。

舞台を重ねる (15)―まさかの幕物第二弾:5回目のVa大会&「くるみ割り人形」

もう一生踊ることはないだろう、と思っていた幕物を、もう一度踊る機会が与えられた。

R教室での5回目のVa大会は、Va大会10周年記念ということで、「くるみ割り人形」をやることになったのだ。

大人のクラスは貴婦人とトレパックをやることになった。

振り付け・演出はH先生。海外でも踊ってらしたH先生の振り付けはとっても洗練されていておしゃれだ。

貴婦人もけっこう踊る場面がある。しかも、振りはかなり難しい。

トレパックも楽しい振り付けだ。

R教室の大人はとにかく「バレエ体温」が高い。みんな週3―4日は当たり前っていう体制でバレエに取組んでいる。舞台前ともなれば、最低でも週4日はレッスンに参加するし、朝と夜のダブルヘッダーで臨む人も多い。

一度R教室の発表会も経験してみたいなぁと思いながら、私が二の足踏むのは、そこに理由がある。

しかし、この時ばかりはそうも言っていられない。幸い職場と教室は近い。

なので、昼休みに速攻で職場を抜け出し、朝のレッスン後に行われる練習に服のまま出て、マーキングさせてもらう、という形で練習回数を稼いだ。

何と言っても舞台の練習は「場にいること」がとても大事。振りの変更やら動線やらの説明もあるから、出来るだけ回数多く「場にいること」が命だ。

「服のままマーキング」であっても、「やるのとやらない」のは大違い!

N教室のレッスンを終えてから、「くるみ」の練習だけにかけつける、というのも何度もやった。

イギリスに行っている間に練習が始まってしまい、みんなみたいにレッスンに出られない状態なのに「出遅れ」だった。でも、そこについてはレッスンメイトが丁寧に振りを教えてくれた。

みんなと同じだけレッスンに出られない私を、多くのレッスンメイトが助けてくれた。

ありがとう!

R教室の朝のクラスには仲の良い友達も多く、みんなで励まし合って、舞台を作り上げることが出来た。本当にすごーく楽しかった。

気の合った人たちと励まし合い、支え合いながら作る舞台って楽しい!

上手な子どもたち、年下のお姉様たちと同じ空間に立てたことも感激であった。この子たちの足を引っ張ってはいけない!と気持ちを引き締めて臨んだ。

R教室ではカケモチ組も多く、あちこちで舞台経験を積んでいる人も一部いたが、N教室での「眠り」の時同様、幕物の経験はない人も多かった。

なので、私としては、舞台を盛り上げる!を思い切り意識して頑張った。

まだあんまりマイムに慣れてない子どもたちにもじゃんじゃんマイムで語りかけ、貴婦人した。ほとんど「でしゃばり」状態。

「足をひっぱらない」が第一だけれど、私のほんの少しの幕物経験を舞台成功のために生かす!ということも考えて…。

大人にこんなチャンスを下さったR先生や丁寧に指導してくださった助教の先生方への感謝の気持ちもこめて「私が出来ること」は何でもやろう!と思った。

この舞台は、私がこれまでで一番頑張った舞台かもしれない。

見に来てくれた夫も「今まで見たなかで一番良かった」(>「私の踊りが」じゃなくて「作品が」ということ)と言ってくれた。

舞台を重ねる (14)-まさかの幕物第1弾:「眠りの森の美女」

妊娠・出産でバレエをお休みし、子育てと仕事の両立が可能なように職場の近くに引越してR教室でバレエに復帰した時、私のバレエ・ライフは妊娠前とは全く違ったものになった。子育てしながら超細々と「続けるだけ」の日々を経て、舞台には復帰したものの、最初にバレエを習ったT教室の時のように、幕物の練習に割けるような時間的余裕はもはやなかった。

私が選んだR教室とN教室の発表会は上手な子たち中心の発表会の組み立てになっており、発表会の幕物に「大人から」組が出るということはなかった。N教室の場合は、大人で幕物に出る人もいるにはいたが、それは再開組か、「大人から」と言っても高校生・大学生から始めた人に限られていた。(R教室についてはその後、「大人から」組も幕物に出られるようになっていった。「大人」パワーが教室を変えることがある、という実例である)

もう、以前のようには時間が自由にならないので、私は大人は小品をひとつ踊るだけっていうそういうタイプの教室を選んだ。だから、これは「自ら選んだ道」。

ところが! 数年前のことになるのだが、「たまたま」中学生以上の子どもの数が「足りない!」という年があって、N教室の発表会の幕物に大人クラスも動員される、という出来事があった。「眠りの森の美女」だった。3幕の結婚の場のお客様の貴族の女性の役である。マズルカを含め、ちゃんと踊る場面もあった。

もう、幕物は一生踊ることはないだろう、と思っていたので、すごくうれしかった。わーい!!! マイムもちょっとだけあるぞ!(>マイム好き!)

靴はブーツになるのか、バレエ・シューズになるのか、いろいろ話は紆余曲折あったが、結局ポアントだった。衣裳も可愛い!

結婚式の場面で、王様と王妃が入って来るのをお迎えして、そこでマズルカを踊り、最後にまたコーダを踊る。大人組も中学生の子たちと一緒に踊った。

「お話」の一部となって踊るのって楽しい。幕物ってやっぱいいなぁ…。

マズルカというのは、3拍目にアクセントがあるっていうのも、ここで踊って初めて分かった。3拍目は一番高く、強く飛ぶのだ。そうだったのかぁ。

ショパンのマズルカを改めて弾いてみるのもいいかも…。

私は、N教室では新参者だけど、幕物の経験はけっこうある。だから、青い鳥や猫が踊っている間は、大人組はイスに座ったり、立ったりしてそれを見ているんだけど、その間のマイムも「リードする」立場で頑張ろう!と(>内心)思った。

T先生がおっしゃったように、舞台は、実は、踊っている人のまわりに立っている人たちのレベルで質が決まる、というのもある。踊りで貢献できなくても、踊っている人の踊りを盛り上げる形で、舞台の成功に貢献できれば、と思った。

実際そうできたかどうかは不明だけれど。

もう二度と訪れないと思っていた、夢の世界に、またひたることが出来た。幸せ!

舞台を重ねる (13)-N教室での5回目の発表会

ポアントでの2回目の発表会。この時は、「白鳥」の中の各国の姫の踊りだった。「そ~~~ふぁ~~みれ~どっ」っていうやつね。

バレエの有名な幕物の中の踊りをそのまま(>って振りは易しくしてあるけれど)小品として踊るのはN教室では始めてだ。これまでは全部先生が新しく振りつけて下さったものだったから。

幕物の場合は、その踊りがどういう状況で踊られるのか、登場人物はどういう気持ちになっているか(>もちろんそこで解釈が分かれることもあろうが)、というのがあらかじめ分かっているので、気持ちは作りやすい。

しかも、この踊りは、王子に「私、私、私をよろしく~」とアピールする踊りなので、もちろん線を揃えるとか、そういうのは考えないといけないけど、「気持ちを合わせる」という部分については、むしろ「私、私」で前に出てっていいので、逆に気が楽だったかも。

この時期になると、一緒に踊る仲間とも多少は気心が知れてきてはいるのだけれど、私的には、まだまだ最初のT教室みたいになじめてない感じがあったので、すれ違った時に「目を合わせる」とか「微笑む」という、そういうのがないのが、精神的に淋しかったのだ。

でも、この踊りの場合は、お互い「ふん!」でもいい訳で、常に、真ん中に王子様がいると想定して、オーラは王子様に向けて踊れば良かったので、そういう淋しさを気にしなくてすむので、その分、のびのび出来たかもしれない。

もちろん、「あら、やだ、ロシアの姫ってばあんなに媚売って。下品だわ!(>ぷんすか!)」というように、互いの気持ちの「絡み」は入るのかもしれなかったのだが、当時はそこまでは思いが及ばなかった。

私はこの音楽がすごく好きで、毎回の練習でこの音楽に合わせて踊れるという、そのこと自体がすごくうれしかった。好きな曲で踊れるというのは、それだけで幸せなことだ。

すでに何度か一緒に踊ったことがあるメンバーが中心なので、だいたいお互いのことも分かっていて、そういう意味でも、以前よりはずっと安心して踊れるようになってきた。

帰りにお茶をしたり、そういう機会も少しずつ増えて、ようやくN教室でも友達が出来はじめたというか…。

教室を変わって、そこの教室になじむって、本当に時間がかかる。私の場合は、クラス編成上の特殊な事情もあったので、本来かかる時間の2倍も3倍もかかってしまった、ということもあるんだろうけれど。

衣裳はお姫様っぽく清楚な白で、でもお姫様だから金糸が使われて豪華だった。衣裳が好き!も、どうしても、やる気に影響しちゃうよね。