舞台を重ねる (19)―6回目のVa大会:「青い鳥」の誤算

その2前年のVa大会で「キューピット」を却下された私。でも、「子どもが最初に踊る物を踊ることにはきっとなんらかの意義があるに違いない!」という「疑惑」(?)は、なかなか消えない。

それならば!

もう一つ、子どもたちがよく踊る「青い鳥」はどうかなぁ????

ということで、「青い鳥」を申告してみたら、「あっさり」受諾。

子どものクラスで「青い鳥」踊る子だっていっぱいいたのにねー。子どものキューピットが続くから「お客様が飽きてしまわれるから」という理由でキューピットを却下されたのだけれど、やっぱり大人がキューピットを踊るのは「ヘン」ってことだったのかしら? (>まぁ、「青い鳥」でも充分に「ヘン」かもしれないけれど。

子どもが「最初に踊るVa」ということは、Vaの中では「最も簡単なもののひとつ」なのであろう…というのが、私の「読み」でもあった。

キトリやコッペリアは主役の踊りだけれど、こっちはソリストの踊りだしね。

しかし、これは大ハズレ!

もちろん、世の中に「易しい」Vaなどはひとつも存在しない。

もちろん、Va偏差値表を作れば、「青い鳥」より難しいVaの方が多いのであろう。

でもさぁ、「青い鳥」って、すごい難しいよぉ。

当時、N教室の初等科で月1回、Vaのさわりをちょっとだけ練習させてくれるっていうのがあった。その時「青い鳥」やった時には、「行けるかもぉ」と思ったというのもある。

片足でポアントでチョンチョンしながらデベロッペに上げた脚をパッセに持って来て、またチョンチョンしながら後ろアチチュードにするやつも出来たので(>美しいかどうかはともかく)、これなら「オリジナル」でも行けるかなぁ?という「野望」もあった。

A先生にも「出来たらそのままの形で踊ってみたいんですよねぇ」と言った。

そしたら、A先生は「大丈夫よぉ」とおっしゃった。

しかし、その「野望」は振り写しを始めた瞬間崩れ去った。R教室の「青い鳥」はN教室ヴァージョンよりずーっと難しかったの。(>でもって、私の技術はオリジナルを踊るにはあまりにも低かったの)

N教室のチョンチョンは途中で軸足を変えるんだけど、R教室のチョンチョンは軸足はそのままで、上げた脚をパッセから抜いて後ろに持ってくの。私の実力では、これは「無理」でありました。

で、ここんところは、エシャッペ×2→パッセ→アチチュードになってしまいました。

ふぇーん。

ただし、私自身は「振り」としては、こっちのエシャッペ・バージョンの方が好きだったので、それはまぁ「良し」としましょう。

しかしながら、そもそも、そこに行く前に、最初の方のフェッテ・ターンでかなり自爆。

以前にキトリその2でフェッテ・ターンは経験はしていたものの、止まれない!!!!

その次の前アチチュードで飛ぶところも、鏡に写る自分の姿はすっごくヘン!!!!

エシャッペは以前よりはずっと安定してきた。どっちかっていうと「力づく」なエシャッペだけど、ぐわしっぐわしっ!と立つ。

(私よりずっと)若い(大人組の)レッスンメイトから呆れ気味に「Q母さんって、脚強いですよねぇ。驚いちゃった」と言われる。

最後の6番パドブレで手をひらひらさせながら下がる所は、振りも好きだし、まわりからも「可愛い」(>っていう年じゃないけど)と言ってもらえた。

このVa大会あたりから、「自習」を前にも増して頑張るようになった。他のレッスンメイトがやっている間は、バーにつかまりながら、振りを復習する。そういうことは以前もやってたけれど、もっともっと目的意識的にやるようになった。

バーにつかまりながらの自習は、なかなかに効果があると思う。バーの助けを借りながら、脚を出す方向や筋肉の使い方を確認出来るから。

という訳でそれなりには頑張ったのだけれど、結果は今一つかなぁ。

とにかく、踊り自体が私には「難しすぎ!」であった。

「青い鳥」を軽々とやってるレッスンメイトがいて、チョンチョンのところも「よくそんなこと出来ますねぇ」と言ったら「あら、これはね、案外簡単なのよ」と言ってたの。それは、実力派の彼女ならではの「軽々」だったのねぇ。

自分には「この踊りはこれくらい難しい」というようなことを判断する「目」も、まだまだ、備わってないんだなぁとつくづく思い知らされた。

それにしても、最初のVaとしてこれをやる子どもが多いけど、やっぱり子どもたちは上手なのねぇ。改めて尊敬!

あと、この「青い鳥」で楽しかったのは、「青い鳥」について色々調べたり考えたこと。

この「青い鳥」の物語は有名なチルチルとミチルの「青い鳥」ではなく、オーノワ夫人という人が書いた「青い鳥」で、お城の塔に閉じ込められた姫のところに青い鳥が飛んで来てはその心を慰めた、というお話である。

ということは、あんまり楽しそうに踊ってはいけないのだろうか。「とらわれの姫」の憂いも必要なのであろうか。

これはグラン・パ・ド・ドゥの一部なので青い鳥が来てくれて「うれしい」状態で踊っているのだろうか。Vaの部分は1人になるので、青い鳥を「待っている」「悲しい」状態で踊っているのだろうか。

また、自分をあくまで「人間」ということにして踊るのか、「鳥」になった気持ちで踊るのか?というところも迷った。

当時、ドイツで現役ダンサーとして踊っていたMさんのHPによく遊びに行っていた。で、プロの意見というのを聞いてみた。

Mさんがおっしゃるには「そういえば、一度だけ悲しそうな青い鳥を見たことがあるけれど、そもそもこの青い鳥は結婚式というお目出度い場所でお祝いということで踊られる訳だから、楽しく踊っていいんじゃない?」とのこと。

そっかぁ、たしかに。お祝いの踊りが暗かったら、やだよね。

これで方針が決まり、「音楽に合わせて楽しく踊る」ことにした。で、自分が人間か鳥か、というところは、「どっちつかず」。気分的には「鳥」のような自由な軽やかな感じ。

まぁ、あんまりたいした「方針」でも「解釈」でもないんだが、自分なりに「あーでもない、こーでもない」と考えること「自体」がとっても楽しかった。

考えた結果が踊りに反映されていたのかどうかは不明だけれど、私はいろいろ「考える」のが好きだし、いっぱい考えてそれで自分が楽しいんだったら、それでOKでしょう…ということで、私のバレエに「いろいろ考える」という楽しみが加わったのでありました。

(その後の調査で分かったことだが、青い鳥は魔法で姿を鳥に変えられた王子だったのだそうだ。でもって、いろいろ試練はあったが、最後は人間の姿になって結ばれるんだって。男性Vaを見る限りは、王子はまだ「鳥」だけど、コーダになったら2人とも「人間」なんだろうか????? 2人で踊る所はすでに人間になってて、男性Vaのところは、前に鳥だった時のことを思い出しているとか?????)