バレエな休日 (3) センタ・デ・ダンス・デュ・マレでレッスン(2003年3月)

レペットでお買い物した日の夕方は、生まれて初めてのパリでのレッスン。

実は高校の後輩でもある同僚は、「先輩がパリでバレエのレッスンをしたがっている」ということで、なんと自らレッスンに参加し、身を挺してマレ情報を収集しておいてくれてたんです。なんて素晴らしい後輩なんだ!!! 
 
そもそも、このマレやパリでのレッスンについては、「旅のお話を少し…」という
HP(http://homepage2.nifty.com/stayinfo19909/)
で知りました。海外でのバレエ情報が満載のページです。このページで情報を得ていなければ、言葉も出来ないのに(フランス語は「入門」程度はやりましたが、ほぼ「全然しゃべれない」状態です)「パリでレッスンしよう!」なんて考えもしなかったと思います。ネットは私のバレエライフの幅を驚くほど広げてくれているんです。

同僚からの情報によればマレは中世、まではいかないのかな、でも100年やそこらじゃなく古い建物で、オーナーがその原型をそのまま残すという主義でやっているそうです。だから階段なんかすり減ってたり、斜めになってたり…。でも、そこに味わいがあります。

「旅のお話を少し…」のページにも紹介されていた中庭の見えるカフェで同僚と待ち合わせ。最初私は、カフェなんとかっていうシアターをカフェと間違えて入ろうとしてしまいました。後で同僚に聞いたら、そこは、俳優・女優の登竜門。そのシアターからは、フランスでは知らない人はいないっていうくらい有名な俳優さんや女優さんが巣立っていってるそうです。

で、カフェで同僚と落ち合いレッスンへ。言葉に自身がなかったので(腕にもだけど)、ラザレリ先生の「レッスン歴1年」っていうクラスにしておきました。

更衣室は男女一緒(!)。この情報も「旅のお話を少し」で事前にゲットしていなかったら驚いてしまったでしょう。更衣室に先生(♂)がで~んと座ってお金を集めており、女性達がそのまわりで着替えるんです。先生の向かいの席で堂々と(?)ブラとパンティのまま長々とおしゃべりしているマダムがいまして、なかなかのカルチャーショックでした。日本人の男の子が来てたけど、恥ずかしがって、シャワーの中で着替えてたみたい。

さて、スタジオはベートーヴェン。梁がむき出しの天井がとてもステキなスタジオです。ラザレリ先生はマダムに人気が高いらしく、若い人もいましたが、年齢渋目のマダムが多かったのが印象的でした。

とても楽しい先生で、言葉が出来ないのがすごく残念! きっとレナート(別に書こうと思いますが、ロンドンのダンスワークスの先生)みたいにいっぱい面白いことを言ってるんだと思うのよね。みんな先生の言葉に笑いながらなごやかにレッスンは進んで行きます。今やってる仕事に一区切りがついたら(といっても2年くらい先)、フランス語を習おうかなぁと思ったりしました。

バレエ用語はフランス語だから、フランス語がちょっとでも出来るとバレエそのものへの理解も深まるかも・・・と思いました。中身と関係なく「プリエ」と覚えるのと「曲げる」という意味がわかっていて「プリエ」という言葉を覚えるのとは違うように思いました。第二次大戦中の野球で「ストライク」が「良し」だったみたいに、「プリエ」が「曲げ」と表現されてたら?という感じでしょうか。

バーでのリンバリングになった時、ちびの私を思いやって、背の高い女性が離れた別のバーから移ってきて、さっと代わってくれました。高校時代にフランス留学の経験のある元顧客から、「フランスではフランス語がしゃべれないと人扱いされない」って聞いてたんで、かなりびびって参加してたんですが、異国での親切は心にしみますね。

ラザレリ先生は、一回お手本を見せた後で、生徒の中から一人指名してやらせてみるので、あてられたらどうしよう・・と、びくびくしてしまいました。アンシェヌマンの時一番前に出されてしまったことがあって、その時はあがってしまって、その前まで出来てたのに間違えちゃった。
 
ラザレリ先生は、英語は使ってくれないけど、時々「前へ」とか「準備」(プレパレーション?)とか日本語でフォローしてくれました。これも「旅のお話を少し」で事前に得ていた情報だったので、「あ、日本語だ!」って分かったけど、聞いてなかったら、彼のフランス訛りの日本語をフランス語だと思ってしまって日本語だと気づかなかったかも…。

同僚も始めたばかりのバレエを楽しんでいる様子でした。とてもステキな笑顔で踊ってました。「踊り心」がある…と思いました。ということで、長期海外出張を終え、今は日本で一緒に仕事してる彼女を、私の行ってる教室に誘い込もうと画策中です。

初めてのパリでのレッスン…とても楽しかったです。他の方たちのフランス・レッスンレポートも読んでなかったら勇気が出なかったと思います。フランス語バッチリの同僚と一緒のレッスンじゃなければ、やっぱりためらったかもしれません。「旅のお話を少し」と同僚に感謝!

バレエな休日 (2)- レペット本店でお買い物(2003年3月)

翌日は朝からレペット本店でお買い物。なんと日本人の店員さんがいて、お買い物は彼女に助けてもらいました。

私は最近はバヤデールを履いているのですが、海外バレエ情報に詳しいHPで言及されていたピンクのバヤ(日本ではヨーロッピアン・ピンクしか売ってなくて、「この色がキライ」という人も多い)が欲しかったのと、フィッティングをしてもらって、本当にバヤが私の足にあってるかをチェックしたかったので、レペット本店を訪ねることにしたのです。(そもそもこのバヤとの出会いもネットを通じてのこと。ポアントに詳しいHPでバヤ情報を見かけ、興味をもったのでした)

いつも履いてるサイズを伝えて地下の倉庫からバヤを出してもらい履いてみました。フィッティングのおじさんに「立ってごらん」と言われ、ポアントで立ってみると、かかとのところをちょこちょこっとチェックしてくれて、「パッフェ!」(パーフェクト)とのこと。なんだかあっけなくフィッティングは終わってしまいました。

フリードだとバレエシューズでも「あーでもない。こーでもない」となかなか売ってもらえないんだけど、これは、英仏の文化の違いなのか、やっぱり私の足がフリードとは合わなくて、レペットと合っているのか???

本当は、「初心者向け」というバヤを卒業したいなぁという気持ちもあるんだけど、でも、考えてみれば私は「万年初心者」な訳だし、この先も「永遠の初心者」でしょうし…。何よりもバヤは縦も横もボックスの厚みも私の足の形にぴったりなんですよね。ということで、当分はバヤで行くことにします。

ま、レペットの本店のフィッティングの方から「パッフェ!」のお墨付きももらったことだしね。

バレエな休日(1)- オペラ座(ガルニエ)でバレエ鑑賞(2003年3月)

古い話だけじゃなくて、最近の話も少し書きたいと思います。ネットでバレエ情報を得るようになって、私のバレエ行動範囲は格段に広がりました。この3月、初めてパリでレッスンを受けることが出来たのも、ネットのおかげですね。

イギリス出張のついでに、ちょうど海外研修でパリ滞在中の同僚(♀)を訪ねるこ とにしました。かねてより、「オペラ座(ガルニエ)でバレエを見る」「マレでレッスンする」「レペットで買い物する」は私の夢だったんですが、これが一挙にかないました。「ユーロスターに乗る」は今回はペケ。次回以降に引き継ぎたいと思います。

同僚は仕事の合間を見ては、バレエやオペラを楽しんでいたらしく、チケット入手などはもう手馴れたもの。日程が決まると手早くチケットを押さえてくれました。「勅使河原三郎&マッツ・エック」のプログラム。もっとクラッシックなもの…とも思ったけれど、日程が合わなかったのと、逆にこういうコンテンポラリーっぽいのって、オペオ座の日本公演なんかにはかからないよなぁってのもあって。

勅使河原の“Air”で主役(?)級の踊りを踊ったのはミテキ・クドー。彼女は 「味わい」「雰囲気」のあるダンサーですね。ステキでした。作品は幻想的できれいでした。「音」がない部分もたくさんあって、客席からの咳がその時に多くあってそれが残念でした。シーンとした緊張の中で踊りだけが続いていくっていう感じになるはずだったんだと思うけど。

マッツ・エックの”Apartment”は動きのある作品で、音楽は電気楽器を使ったもの。セリーヌ・タロンというダンサーが鮮烈で、私は彼女が出てきたとたんに目を奪われて、あんまり全体を見ることができませんでした。技術もすごいんだけど、とにかく際立ったインパクトのあるダンサーです。

オペラ座のダンサーはみんなすごくスタイルが良くて、「同じ人類」とは信じられないくらい美しいです。ため息・・・。劇場もとても豪華で、何といってもロビーの空間がほんとうに豊か。次回は古典物も見てみたいです。

夢のような日々(20)-「大人のバレエ」開拓者

夢のようなT教室での日々を振りかえってみると、私はここでは、「大人のバレエ」 じゃなくて、「子どものバレエ」をやってたのかもな~と思ったりもします。たとえば、子どもも、みな一斉にバレエを始める訳じゃなくて、3歳で始める子も5歳ではじめる子も7歳で始める子もいる訳です。少し遅く、中1とか高1とか18歳とか。

まぁ、最近だと中1の子なんかは「大人のクラス」になっちゃう場合もあると思うけど、初心者の子どもって、すでに習ってる子に混ざって、少しずつみんなに追いつい ていく…。私のバレエって正にそうでした。

発表会も「みんなと一緒」。ポアントこそ、18歳くらいで始めた人は1年ぐらいで許可が出ていたのを私の場合2年かかったけど、アダージオのクラスにも入れていただいた。

だから、私は「うんと遅れてきた子ども」だったんじゃないかなぁと思います。

T先生に言われたことがあります。「あなたは身体もだけど、心がとても強い人ですね。普通は大人で始めてここまで来られる人はいませんよ」って。

大人で始めて、私程度の人は実際には5万といますけれど(私以上の人の方が多いでしょう)、T先生にとっては、私は「驚き」だったんでしょうね。こうやって、私みたいに、色々な教室で、「大人がここまで来られるとは…」と、先生達を驚かせた大人が沢山いる…。だから、大人のバレエはこれだけさかんになったんだと思います。

だから、私は他のみなさん同様、「大人のバレエ」開拓者の1人。そのことには誇りを持っています。決して踊れる訳じゃない。でも、私が切り拓いてきたものは、確実にある。そのことには自負を持っています。全国津々浦々で、私と同じように、最初は「教室でたった1人の大人」だった人達が、「大人でもけっこうやるのね」と認めてもらえるだけの努力をしてきた…。そういうことだと思います。

私にバレエを愛する心を教えて下さったT先生。私はT先生の下でバレエを始めることが出来て本当に幸せでした。そして、TJr先生や、助教の先生達、そして「一番年上の末っ子」の私を受け入れて大事にしてくれた優しいレッスンメイトたち。大人の私を受け入れてくれた子どもたち。舞台では私をかばって踊ってくれていた子どもたち
(これには後で気づくんですが)。

私は本当に幸せでした。なくかしく甘く夢のような日々…。

あのままQを授かることなくT教室でバレエを続けていたら、今、私はどこにいただろう…。考えても仕方ないことだけど、時々、考えてしまいます。グランは無理だったかもしれないけれど、パ・ド・ドゥまでは踊らせてもらえるチャンスがあったでしょうね。「ちゃんと」踊れるかどうかはまた別問題ですが…。

そんな「可能性」に思いを馳せる時、私はたしかにQのいる人生を楽しんではいるけれど、ちくりと胸が痛むのも事実です。

夢のような日々(19)-夢の終わり

さて、そうやってまた半年くらい通常レッスンとアダージオのレッスンを重ねているうちに、T教室での8回目の発表会の練習が始まりました。今度は白鳥! わ~い! 白鳥やりたかったの~。あの頭がちょっとやだけど。

で、有名な、あまりにも有名な音楽に合わせて、コールドの練習が始まりました。いよいよ白鳥かぁ…。バレエやったら、誰でも白鳥踊りたいですよねぇ…。うれしいなぁ。ようやく白鳥だ…。

ところが!!!! 練習が始まって間もなく、「ご懐妊」が発覚。

新しい職場でもほぼ3年間勤め、自分の仕事も少し落ちついてきて精神的に余裕も出てきて、もちろん仕事はまだまだだけど、今なら子どもを持っても仕事がダメになっちゃうことはないかも…と思い始めた矢先のこと。それまでは、子どものいる人生は考えられなかった。仕事の上での地位固めがあまりに大変で・…。

子どもがいてもいいかもぉ…って思ったとたんに「ご懐妊」。まぁ、ラッキーと言えばラッキーだけど(なかなか子どもが出来なくて苦労される方も多いのだから)。

妊娠が分かった時、もちろん嬉しかったけど、「え~、今年白鳥なのにぃ」と思ったのも事実(>Q ごめんね~)。でも、幸いだったのは、発表会の練習が始まったばかりだったこと。みんなに迷惑かけずにすみました。

妊娠がまだ分かってない時にも何度もレッスンして、グランジュッテとかしまくってたので、あとでヒヤリとしました。友達にそのことを言ったら、「(Qの)絶対に生まれてやるっていう強い意志を感じるわ~。お母さんが飛んでも跳ねても子宮の中にしがみついてたのね~。けなげ~。あなたぜ~ったいに安産よ!」と言われました。「絶対に生まれてやるっていう意志」ね~。そうかも…。

私は妊娠してもすぐにバレエをやめるつもりはなかったんですが(妊娠してもテニスしてた友達もいたし)、T先生に妊娠したことをお話しすると、「まぁ、おめでとう。よかったわね~」とすごく喜んでくださいました。どうも、先生、私が子どもなかなか授からなかったと思ってたフシもあり(でも、そんなこと一言もおっしゃらなかったのは、さすがに思いやりの深い方です)、「安定期に入ったらまたレッスンに来ます」という私に「だめよ、だめだめ。せっかく授かった赤ちゃんなんだから、大事にしなくちゃ…」っておっしゃって…。

出産後引っ越したりしたので、結局、T教室とはお別れすることになってしまいました。

夢のような日々(18)-7回目の発表会

7回目の発表会は、初めて男性と組んで踊ることになりました。女性は、いつもアダージオクラスで一緒に練習している中学生2人と私、そして、男性が1人。男性は、T教室でゲストに呼ぶメンツの中では、人気の高い某バレエ団のS先生。他のみんなにうらやましがられました。

衣裳は黄色いチュチュ。可愛すぎる! でも、うれしい・…。

女性1人と男性1人で、パ・ド・ドゥ状態になる部分もちゃんとあり、私は肩にちょこんと腰掛けるリフトもさせてもらっちゃいました。わ~い、高いぞ~。もちろんプロムナードもあったし、くるくるくるりんとピルエットを回してもらったり。楽しかったよ~。

後は女性3人で踊る部分もあったし、女性3人が順次ちょこっとずつ男性と絡む部分もありました。

この時、幕物は2回目のドンキだったんですが、アダージオのインパクトが強すぎて、ほとんど覚えてないんです。T教室では、これが最後の発表会になるので、時期的にいえば一番最近のことなんですけどね。

男性と組んで踊るのって楽しいな~。来年はひょっとしてパ・ド・ドゥに昇格かなぁ。いや、やっぱりそれはまだかなぁ…。そんな思いを胸に、私はまたレッスンを重ねていったのでした。

夢のような日々(17)-「うれしい驚き」その3:アダージオ・クラスへのお誘い

5回目の発表会が終わって、すぐ、先生から「アダージオ・クラスに出てみない?」といわれました。え、うそ!!!!!!

T教室は、T先生の息子(TJr.先生)もバレエの道に進み、先生をしていたので、他の教室と違って、男性の先生の「手配」っていうようなことの苦労は少なく、そのためか、子どもたちも比較的早い段階からアダージオの練習をさせてもらってました。また、18歳ぐらいで始めた人や再開組みの人たちもある程度になればアダージオのクラ
スに出してもらい、発表会でも男性と組んで踊ってました。

でも、だからって…29歳で始めた私が???? 本当にいいの???? 信じられない!!!! こんな年になって始めた私が、男性と組んで踊っちゃうの????

びっくりしたけど、うれしかった。私はどこか自分の中で「自分はおマメ」(子どもの遊びなんかで数に入ってない子のことね。まだ小さすぎてちゃんと「勝負」できないから、入れてはあげるけど、ちゃんとルールにのっとって「勝負」する訳じゃない人。ひょっとすると、関東以外では別の言い方かもしれないから、念のため)、と思ってるのに(本物の大人で始めたということで)、先生はいつも「ワン・オブ・ゼム」に入れて下さってるのよね。

で、出していただくことにしました。T教室のアダージオ・クラスは、女性3~4人くらいで1クラスになります。そういう小グループがいくつかあり、私は、今度始めてアダージオをやるという中学生2人と一緒のクラスになりました。

日曜日午前中のレッスンが終わると、3人で喫茶店でお昼を食べて教室に戻ります。そして、もう1度バーをやって、いくつかアンシェヌマンやって、そして、男性と組む練習。ピルエット、プロムナード、リフトなど、基本的なものをいくつかやって、最後に実際の作品を少しずつ練習する。最初は「白鳥」をやりました。

いや~、ほんと楽しかったです。男性に回してもらえば、自分だけでは絶対に回れない回数回れるし、リフトで持ち上げてもらうの、すっごく気持ちいい。私はチビだから、視点が高くなるだけで、なんかうれしくなっちゃうのよね。

当時は、こんな機会が持てたことが、いかに「あり得ない」ぐらい恵まれたことか、という自覚はなかったんですが、これはもう、破格な「幸運」だったと思います。

もう一生、アダージオをやることはないと思うけど、この時の「思い出」は私の一生の宝…。大切に大切にしたいと思っています。

夢のような日々(16)-5回目の発表会

5回目の発表会は再び「くるみ」。以前は「アラビア」を踊りましたが、今回は「トレパック」。小品は中学生2人+高校生だったか高校卒業したばっかりだったかの人(バレエ初めて日が浅かったけど、すごく素質のある人)と私の4人で「パ・ド・カトル」をやりました。小品を踊るメンツが今までよりグレードアップ。私も少しは「踊れる」ようになったと認めてもらったのかも…。

ただし、「パ・ド・カトル」は、ちゃんと1人ずつ踊る「パ・ド・カトル」じゃなくて、先生がアレンジしたもので、本来は1人で踊るところを2人で踊りました。曲も全部は使ってなかったんじゃないかな? 当時は「パ・ド・カトル」の「本物」バージョンが良く分かってなかったので、どこがどう違うのか、私が踊ったのは誰の部分だったのか…というようなことも良く分かってませんでした。でも、これまでの小品より、ずっと難しくて、長い踊りになりました。

「トレパック」はとても楽しく踊れました。「三つ子の魂百まで」と言いますが、後にR教室で「トレパック」を踊ることになった時、曲がなると、とっさにこのT先生の振りつけで踊り出しそうになってしまい、本番がとても恐かった…・。この時の「トレパック」は私の身体の深い部分にインプットされてしまったみたいです。

5年間毎回発表会を見に来てくれた友人から、後で、「踊りが変わったね。踊りがシャープになったよ」と言われました。

私はいつでも「一番年上の末っ子」だったから、「上達」ということはあまり考えずにやってきたけど、5年も続けていれば、少しずつは進歩してるんだな~とうれしかったことを覚えています。

夢のような日々(15)-4回目の発表会

半年の間レッスンを休んでしまいましたが、また定期的にレッスンを重ねている間に少しずつ身体はもどっていきました。そして4回目の発表会。

4回目の発表会の幕物は「眠り」の第1幕と第3幕。私は中学生達と一緒に1幕の「花のワルツ」(花のアーチを持って踊りました)と、3幕の宮廷の娘達(私以外はみんな若かったので「娘」だったのね~。普通は「貴婦人」だけど)。

小品は先生が振りつけてくださった「マドンナの宝石」を1人で。この時は奮発して衣裳も作ってしまいました。何度かの引越しでどこにしまったか分からなくなっちゃってるんですが、エメラルド・グリーンの袖つきの衣裳です。先生が作品のイメージに合わせてデザインを決めてくださいました。

「眠り」の1幕の花ワルは音楽もステキで楽しく踊れました。でも、花のアーチを持って踊るのがキツかったのを覚えています。腕をずっと伸ばしっぱなしにしてないといけないので…。ピルエットも回りにくいし…。

ところで、この「眠り」、なんと3幕のコーダで、ポアントのシャンクがぼっこり折れるという事件が発生。これについては、「私のポアント遍歴(3)」に書いたのですが、ほんと、ビックリしました。「眠り」のコーダは「これでもか、これでもか」と繰り返しが続く…。「チャイコフスキー先生、いいかげんにして~」というくらい…。で、その間中、宮廷の娘はパドブレで円周をきる…という振りつけだったんですよね~。「あぁ、もうちょっとだ~」と思ってると(そんなこと思ってバチがあたった?)、とつぜん立てなくなった…。

あれ? おかしい・…と思いつつ、仕方なくドゥミでパドブレ踏んでました。後でポアントを見ると、ぼっこり折れてました。ふぇ~ん、この靴気に入ってたのにぃ…。でも、ほんと最後の最後で良かった…。

発表会における「ポアント管理」の大切さを身にしみて感じました。今はだから私舞台があると4足くらい用意します。全部の靴をちょっとずつまわし履きして、サイアクの場合でもどれでも履けるようにしておく…。この時の恐さが未だに消えないからです。

夢のような日々(14)-半年間のブランク

3回目の発表会が終わってほどなく、私は職場の友人達と小淵沢のペンションに遊びに行ってました。そこに夫から電話が…。どうやら、私の「引き抜き」の話が持ちあがっているらしい、とのこと。大学院の時お世話になったことのある先生から留守宅に電話があり、すぐに電話を欲しい、ということでした。

で、どきどきしながらその先生に電話をかけると、「まだ正式の話じゃないけれど、どうやら君が引き抜きの候補になっているようだ。近いうちに連絡があるかもしれないので、○○や××といった方面の勉強をよくしておくように」とのこと。

これまでも、お勤めしながら自分の「仕事上の夢」を果たすために、時々就職の応募はしていました。でも、全滅…。林真理子のエッセイに、送っても送っても返されてくる履歴書を、やけになって、「コレクション」した、という話があって、私も送り返されてくる履歴書ファイルを作って、「コレクション」してました。

今回の話も流れてしまう話かもしれないけど、でも、これまでの話よりは、可能性がありそう…。9時5時で仕事しながら、朝早く、あるいは夜遅く、少しずつ少しずつ重ねていた勉強が実を結ぶかもしれない…。1月くらいそんな日が続くと、そのうち体調が悪くなってくる…。たとえ1日に1時間とか2時間のわずかな時間でも、9時5時で働きながら、さらに「仕事」をするのは、とても疲れることです。で、少し休んでまた始める。もう、自分には「目指していた仕事」でプロになるという可能性はないかもしれない…と何度もあきらめかけました。

でも、今回、初めて可能性が高そうな話が降ってわいて、「ひょっとしたら行けるかも…」と思ったとたん、何も手につかなくなってしまいました。しばらくして本当に先方から電話がかかってきて、私が引き抜きの候補の1人にあがっていると聞かされました。その後、面接があったり、書類の提出があったり、実績が足らないので正式
のものでなくても良いからレポートを書くように言われたり、最後の候補者に残ることは出来たのだけれど、正式の採用OKの通知がなかなか出なかったり…。

また、穏便に退職するために、その時の職場の中の信頼できる人にこっそり相談したり…。この半年間はとてもキツかったです。精神的にいっぱいいっぱいで、レッスンもずっと無断欠席のまま…。(>先生 ごめんなさい)

結局、運良く転職に成功。職場のみんなからも祝福してもらうことが出来、めでたく退社にいたりました。一応、自分の目指してきた道でプロになるっていう点では、「夢の実現」が出来ました。バレエにたとえれば、バレエ団に入団できたっていう感じでしょうか。もちろん、本当の「夢の実現」のためには、その先もずっと努力が続くし、実際、今もまだ「夢の途上」にあるのですが…。

就職が決まって、T先生にお電話しました。半年もの無断欠席の非礼を詫び、半年分のお月謝を持ってレッスンに行きました。バレエはやっぱり楽しかった。半年もの間離れていられたのが不思議…。

しかし、半年ぶりのバレエはキツかった…。やってる時はそうでもなかったんだけど、翌日、すごい筋肉痛で、ふくらはぎがパンパンに張り、まともに歩くことが出来ない。階段も手すりに掴まってようやく上り下り出来る状態でした。半年間さぼった天罰ですね、きっと。