韓流にはまる (10)―韓国女性の激しさ

韓流を見ていて、ヒロインが「肝心な時に肝心なことを言わない」のにイライラすることも多いのだが、悪役の女性の激しさに圧倒されることも多い。

伊藤順子『ぴびんばの国の女性たち』(講談社文庫)は、なかなかに含蓄の深い本であった。この本によれば、韓国女性は美しく、それ故、韓国の男性はアジアで一番性的にアクティブなんだそうだ。

でも、この美しい韓国女性は、とっても激しい。

韓国における日本人駐在員と韓国人女性の恋愛(>のもつれ?)の話が色々書かれていた。

たとえば、日本に恋人がいながら韓国人女性と恋仲になってしまった男性は、ある時、二股がバレてしまった。そしたら、それから「地獄の日々」。携帯に「責任をとれ」「本社に通報してやる」などの電話攻勢。携帯の電源を切っておくと、「そんなことすると明日、漢江におまえの死体が浮かぶぞ」というメッセージ。さらに、日本にいる恋人の電話番号を探り出し、彼女と直接国際電話でケンカ。

そうかと思えば、愛人の帰国を阻止するために、空港の出発ロビーに大の字になって寝転び、「行くんだったら、私を踏んで行け」と叫び続ける女あり、空港まで追いかけて来て、持って来たハサミでパスポートを切り刻む女あり・・・。

うーむ、そうだったのか。まぁ、一途といえば一途ではある。

現実でもこれだけのことをするなら、ドラマの中で、自分が轢いた女を「死んだことに」して、自分が起こした事故のことなんか知らんふりで、(血がつながらない)姉の幼馴染を自分のものにしたるわ!ってのも頷ける。

しかも、演技力抜群なので、チョンソの父親は、この母子にこんな裏があるなんて夢にも思わない。「父ちゃん、しっかりしろよ~! これくらい見抜けよぉ!」とQと私はTVに声をかけてしまう。

父親の前では、あくまでもしおらしい母子なのである。

韓国人女性は、純粋で一途で、かつしたたかかも・・・。韓国女性と恋愛する時は、本気の覚悟がないとダメだよ!!!

韓流にはまる (9)―悪女

韓流ドラマには、しばしば、「悪女」が出てくる。『冬のソナタ』のチェリン(>これは韓流の基準から行けば「可愛すぎ」なレベル)、『美しき日々』のヤンミミ(>これは『天国の階段』の母親役でもある)。

『天国の階段』では、主人公のチョンソの父が有名女優と再婚するのだが、この女優と連れ子の妹のユリってのが、最高に悪い女たちで、彼女たちは、チョンソとソンジェの仲を引き裂き、ソンジェとユリを結びつけようと画策する。

この母親はすごーく悪知恵が働く。新婚の夫にけなげなことを言って、あくまでも自分は「いい子」の地位を確保しつつ、陰湿にチョンソをいじめる。本当はチョンソはソンジェと一緒に留学することになってたのに、「せっかく知り合ったばかりなのに、チョンソが留学しちゃうのは淋しい」とか言って、チョンソの留学を阻止するのだ。

ユリってのもまたすさまじい。

で、色々あったのだが、いよいよソンジェが帰国するっていうので、チョンソは急いで空港まで迎えに行く。それをユリは無免許なのに!車で追いかけ、空港でチョンソを轢いてしまう。

で、もって、一応病院にチョンソを連れて行くのだが、なんだか大きな事故だかがあって、病院はごったがえしている。ユリは、その死体のひとつに、チョンソの持ち物を隠し持たせ、チョンソを「死んだこと」にしてしまう。

ひゃー!!! こわい!!

でもって、チョンソを、母親の元夫のところに預けてしまうのだ。同じく連れ子としてチョンソの家に来た兄も巻き込み、チョンソはこの継母の元夫と血の繋がらない兄と3人で暮らすことになる。

しかも、チョンソは記憶をなくしてしまっており、自分の両親は火事で死に孤児になってしまったのをこの2人に助けられたと教え込まれているのだ。

成人してからのユリってのが、またゾクっとするほどのすごい美人で、韓流においては、どうも悪役の女性の方が華やかな美人っていう感じがする。こういうとびきりの美人が、憎憎しげな表情をしたりすると、すさまじい迫力がある。

もちろん、チェ・ジュウだって華やかな美人ではある。しかし、ドラマの中では、控え目な演技で地味目である。

ユリ役の女性の方が、目鼻立ちという点においては、ずーっと華やかだ。これは、『冬ソナ』におけるチェリンについても言えるかもしれないが・・・。チェリン、スタイルもすごくいいし。

登場人物としてのユリはとても好きになれないけど、これを演じている女優はすごい演技力である。

Qと一緒に、「ひゃー、ユリ恐い!」とか「うわー、この母子またなんかたくらんでるよ!」とか言いながら見ている。

韓流にはまる (8)―恋愛シーン

ここのところしばらく「韓流はもういいや」とQが言うので、1人で細々見ていたのだが、「また見ようかな」とQが言い出し、久々に一緒にやいのやいの言いながら韓流を見ている。現在(2006年5月)見ているのは『天国の階段』である。

これもすごいですよー。(>以下、ネタバレ注意)

主人公(>チョンソ)は母親を早くに亡くしたが、大学教授の父と幸せに暮らしている。父親の友人(>なのかな?)である未亡人(>遊園地・デパートを経営する大会社社長)家族とは家族ぐるみの付き合いで、その未亡人の息子(>ソンジェ)と主人公は幼馴染。

ところが、主人公の父親が、有名女優の、なかなかに腹黒い女と再婚するところから運命の歯車が狂って行く。

韓流の定番である、継母、血のつながらない兄弟姉妹、交通事故、記憶喪失、2人の男から熱烈に思いを寄せられる・・・などが満載。我々は、そういうのが出てくる度に「でたー! 定番、交通事故!」と騒ぎながら見ている。

我々にとって謎なのは、恋愛中(>あるいはプレ恋愛中)の男女が戯れる様である。

たとえば、海に行くとするでしょ? 日本だったら静かに海を見ながら語り合ったり、せいぜい靴を脱いで波打ち際を歩いたりするんだと思うんだけど、韓国では、水の掛け合い、とか、タックルかけて海のなかに転ばせるとか、そんなに服を濡らして帰りはどうするんだ!!!と言いたいほど、きゃあきゃあと童心に戻ってはしゃぎまくる。

Qと私は、うーん、韓国人の恋人同士って純粋なのか子どもっぽいのか・・・と悩むのである。

『美しき日々』でも、主人公たちが海に行くシーンがあるのだけれど、もうメチャクチャにハイになって、海水をかけあう。塩水に濡れた服って気持ち悪そうだなぁ・・・。

で、この『天国の階段』では、まだ小学校高学年から中学生くらいの幼馴染の段階なので、「プレ恋愛」って感じなのだが、主人公たちが、なんか地面がドロドロなところでたわむれるのだけれど、顔に泥をなすりつけあったり、ドロドロの中に倒したり、激しい。

うーむ。

国際恋愛って、きっと、むずかしいよねぇ。

日本人の方は「海を見ながら静かに語り合おう」と思ってたら、韓国人の恋人から海水を大量にあびせられたり、海の中に服のままひきずりこまれたり、抱き上げられて水の中に落とされたり・・・。

うゎっ!!! 何なんだ!!! って思うんじゃないだろうか?

いや、熱病にかかったような状態にある間は、そんなことは気にならないのかしらん。

韓流にはまる (7)-チェリンの評価

我々の間ではチェリンの評価は当初大変低かった。高校時代もチュンサンは私のもの!と宣言し、他の女を近づけないようにするし、ミニョンとユジンが近づきそうになった時には、あの手この手の策略でユジンの評判を落とそうとする。

それを「健気」と見る向きもあったようだが、チェリンが策略を思いついて「ふふふ」と含み笑いをすると、「お、また策謀を考えているな」「チェリンすごいウソツキだよねー」「チェリンこわいよねー」と「おしゃべりタイム」がチェリン批判で盛り上がったものだ。

男性において「くどいてくどいてくどき落とす」が韓国における恋の正攻法なら、女性の場合には、どんな汚い手を使っても相手の心を自分に向けるのが恋の裏技なんだろうか。男の方から正攻法で攻めてもらえれば、女の正攻法で「ふってふってふりまくって」最後に「しょうがないわねー」と「落ちる」という女の正攻法が使えるのだろうけれど。

相手からいいよられるのを待つというのが「正攻法」であるとしても、韓国の女性は、日本の少女マンガみたいにただひたすら待っていたりはしない。正攻法の裏をかく。

『オールイン』でも、女性ディーラーたちの控え室で、「イナはもらった。私のものよ。手を出さないで!」と宣言する女性がいた。韓国の女性たちは、こんな風に、「宣言したもの勝ち」という「恋のルール」で動いているのだろうか。だとすると、高校時代のチェリンがやったことも、韓国流の「恋のルール」の範囲内なのかな?

実は『冬のソナタ』を見終わってから、『美しき日々』や『美しい彼女』などを見たのだが、『美しき日々』に出て来るレコード会社の女社長や、とりわけ、『美しい彼女』に出て来る『冬ソナ』で、ミニョンの母親役をやっていた女優演じるボクシングの偉い人(>マネージャー? プロデューサー?)なんかは、その凄腕ぶり、策略家ぶりはハンパじゃなく(>こっちはビジネスにおいてだが)、これらの女性を見た後、我々は、「これにくらべたらチェリン可愛かったね」ということで見解の一致を見た。

これらの女性が次々と策略をめぐらすのを見ては、「なんだチェリン可愛いぢゃん!」と、チェリンの策略家としての「小物」ぶり、その策略の動機の「純粋さ」ぶりが、再認識されたりしたのであった。

韓流にはまる (6)-韓国の姑って強い!

韓国においては、お姑さんの立場はTVドラマを見る限りは日本より強そう。

サンヒョクのお母さんは、「だいたい私はユジンと結婚することなんて最初から反対ですからね!」とかハッキリ言うし、ユジンの前でも失礼なことを言いまくりである。「姑」という立場に守られた女は何をやっても許される、という傍若無人ぶりである。

イギリス留学した時の「留学前英語研修」の時、寮の同じフラット(>ダイニングキッチン+バス+シャワー+トイレを共有し、それに数室の個室がつく)に滞在した韓国の女の子が、「韓国ではいまだに男性重視の社会だから、結婚して女の子を産んだら、お姑さんは口もきいてくれないのよ」と言っていた。まぁ、10年も前の話だから、今はずいぶんと変わっているんだろうけど。

同じ女性であり、出産の大変さを知っていながら、女の子を産んだ嫁に対して「口もきかない」という態度をとっても、それが「当然」のこととして許される社会的雰囲気が少なくとも当時はあったということなのだろう。

韓国においては、お姑さん(>息子の母)の地位は磐石である。

「韓国のお姑さんってこわいよねー」「ほんとだよねー」「すごいよねー」と「おしゃべりタイム」にひとしきり盛り上がる。

でもさ、あんな風に言いたい放題言えるってのもいいな。ヘンに遠慮したり腹にためないで、言いたいことはハッキリ言う。もし、嫁さんの方も思った通りのことが言えるなら、かえって良い関係が作れるかも、と思ったりもした。

息子を持つ母である私としては、「男の子を産んだ」というただそれだけのことで、あれだけ好き放題出来るというのは、ちょっと「うらやましい」気もする。

まぁ、「男の子を産む」は「努力して」手に入れるものではないので、そういう「たまたま」で「いばっていい」人と「そうじゃない」人が出来るのはどうかと思うけど、私の場合「たまたま」「男の子を産む」を達成してしまった訳で、韓国であれば強い「武器」となるものを手中に持っている訳である。

それだけのことで、お嫁さん「いじめまくり」「いばりまくり」が出来るんだよ。

「男の子を産んだ」が韓国では「権力」になるのだ。日本にいれば「どってことのない」「男の子を産んだ」という「事実」が、韓国に行けば、「おおいばり」の「偉業」になる。

最近知ったのだが、これには韓国の家族法が関係しているのだろう。韓国の家族法は最近「家長制度」を廃止したばかりだ。韓流ドラマを見ていると時々「家長」という言葉が出て来るし、韓流スターのインタビュー記事を読んでいると、同じく「家長」という言葉が出て来る。韓国においては、家の中に「男子」がいない、ということがとてもオオゴトになってしまうのだ。

韓国の大学の先生の講演でこの話を学んだのだが、彼女の兄弟は女の子ばかり。で、アメリカ留学しようと思って戸籍を取り寄せたらそこに、父親が認知した男の子が記載されていた。その男の子の話は聞いたこともなかったし、もちろんその子に会ったこともない。でも、父親が死ねば、父親とずーっと一緒に住んで時を共有してきた、彼女やその姉妹や母親を飛び越えて、その男の子が「家長」になるのだ。

この制度もようやく廃止されたか、すぐに廃止されることになったそうで、これによって韓流ドラマのお姑さんの描かれ方も今後変わっていくかもしれない。

韓流にはまる (5)-韓国の男性って強引!

韓流ドラマに出て来る男性ってかなり強引だ。『冬のソナタ』のチュンサンにしてもイ・ミニョンにしても。ペ・ヨンジュンが二役を演じるこの2人の場合は、ユジンの「言ってほしいこと」を「言ってほしい相手」が「言ってる」ので(>女が脚本書いてるので、主人公の男性は「女性が言ってほしいこと」を言うだけなのだ)、視聴者は「感動」するのだが、これさ、一歩間違えば「勘違い野郎」だよ。

実際、サンヒョクの方がやることは、ユジンを好きという気持ちは同じでも、ことごとく「ツボ」をはずしており、きわめて強引である。

だけど、イ・ミニョンがやってることも本質的にはそんなに変わらない。まぁ、「女心」の「読み」の能力が高い、ということかな?いや、それともユジンの微妙な表情なんかから彼女の本心を読みとって行動してるのかな? 母親がしゃべることの出来ない赤ちゃんの表情を読み取るように。でもさ、私たちは大人なんだから、まぁ、そういうのも大事だけど、私としては、ユジンに対し、「言葉を使えよ!」というのもあったりはする。

昔、『スカートの風』(呉善花著、角川文庫)という日本在住(>在日ではない)の韓国人の書いたエッセイを読んだことがあるんだけど、それによると、韓国の男性は、女性を「くどいて、くどいて、くどき落とす」んだそう。で、それに対する女性の「正しい」対応は、「袖にして、袖にして、袖にしまくる」んだそう。そこで、「実は私もずっと好きだったの」などと、すぐになびいてしまっては、女性としての価値が落ちるらしい。

韓流ドラマを見ていると、そういう「男女交際」(>なんと古めかしい!)の「文化」というのが反映されているようにも見える。

『美しき日々』の室長(>イ・ビョンホン)になると、これがまた、すっげー強引で、私にはほとんど「ついていけない」世界である。これについては別途書こうと思うけど、Qと2人「おしゃべりタイム」に「こいつすっごい思い込み激しい」「どひゃー、強引!」と「つっこみ」を入れまくってしまった。

そういう「男が強引」文化のある韓国では、そうやって女性を一旦「獲得」した後は、男性は「いばる」傾向にあり、DVも多いという話が『スカートの風』には書いてあった。でも、一方で、いばってる奥さんの「言いなり」な中年男性も韓流ドラマにはいっぱい出て来るので、本当のところどうなんだろ。

まぁ、どこの国においても、「男性は」「女性は」と一般化することは難しく、「色々」なんだろうけどね。

韓流にはまる (4)-韓国女性の謎

我々にとって謎だったのは、ユジンが、けっこう自己主張が強く、イ・ミニョン(>チュンサンのソックリさん)に食ってかかる場面がかなりあるのに、肝心なところで、「どうしたらいい?」と相手にゲタを預けるような態度を取るところ。この謎は、『美しき日々』を後に見て、さらに深まっていきます。

日本女性にはありえないくらい攻撃的で激しい物言いをするのに、肝心なところで肝心なことを言わない。そのために話がどんどん複雑になっていく。

チュンサンにソックリなイ・ミニョンと仕事をすることになったことや、ミニョンと一緒に仕事の現場でもあるスキー場を見に行ったことなんかは、まぁ、別にちょっとは言いにくくても、恋人のサンヒョクに「隠す」ほどのことじゃないだろが…と思うんだけど、それを言わないので誤解が誤解を呼んで、なんだかややこしいことになっていく。

なんだかなー。「おいおい、なんで言わないかね」「肝心なことを言えよ」、とQと「おしゃべりタイム」に何度も画面に向かって叫んだのでありました。

まぁ、そこで正直に言ってしまって「すれちがい」が生じなければ、ドラマがドラマとして成立しないんだけどさ。

韓流にはまる (3)-濃いかもなー

韓流ドラマはなかなか濃いかも…。『冬のソナタ』は、ユジンとチュンサンの高校生時代の「淡い恋」がとてもすがすがしくステキだったけれど、あの最初の2話だけで完結しても、それはそれできれいな物語として成立するように思う。

それが、その後、これでもか!これでもか!というくらい話の展開の嵐が押し寄せる。

はっきり言って、韓国ドラマは一話見終わるとけっこうぐったりする。なのに我々は、ついつい続きが気になって、一度に二話見てしまったりすることもしばしばあり、一時期は、とっても疲労が重なっていたかも。

今(2005年6月)、『オール・イン』を週1で見ていますが、「韓国ドラマは週1が丁度いいペースだね」と話し合っております。これを越えると、「濃さ」についていけず、疲労がたまるかも・…。

私に「韓流を見なさい」と勧めてくれた元同僚は週に5本くらい見ているらしく、彼はすでに60代なのに(>大変渋くて素敵なジェントルマンです)全くタフです。

韓流にはまる (2)-母子で『冬のソナタ』&おしゃべりタイム

私が『冬のソナタ』を見ると、言うと、Qも見てみると言う。なので、2人で見ることにしました。(>我が家は夫が単身赴任なので平日は母子家庭)

いきなり、はまってしまいました。「えー、うそー」「ありえないー」などと言いつつも、次が気になってついつい見てしまう。ドラマの展開が激しく、ジェットコースターに乗っているようにスリリングで、1話見終わるとけっこう頭がグリングリンしてしまう。

『冬のソナタ』を見出して、まず、我々が思ったのは、ストーリー展開が速い割りに、シーン展開が遅いということ。ずーっとセリフのないシーンが続いたりする。で、その間に、我々は「あーでもない」「こーでもない」と茶々を入れる訳であります。韓国ドラマは、「家族が話し合う」「おしゃべりタイム」をちゃーんと取ったドラマ作りになってるのかな?

で、そうやって「家族が話し合う」から、ドラマを見ることで「家族の絆」が強まる。家族を大切にする韓国らしいドラマ作りと言えるのかもしれません。

これについては後に「謎」が解けた思いがしたことがあります。中国史を専門にしている人に「最近韓流にはまってるんですよぉ」とお話しして、この「家族が話し合う時間」について言及したら、「中国の映画もそうですよ。中国では映画は一緒に見てわいわいそれについて話し合うのが楽しいんです。だから中国の映画館はうるさいんです」とのこと。

おぉ、そうだったのか! これは東アジア文化圏のドラマ作りの基本なのか? 最近の日本のTVドラマは、家族がちょっと話しかけると「あぁん、話しかけるから分からなくなっちゃったぢゃん!」というくらい、一生懸命見てないとついていけない作りになってるけど、そもそも歌舞伎なんかは、物を食ったり、役者についてなんのかんのと言いつつ、「よ、中村屋」とか声をかけたりしながら楽しむものだもんね。

日本は東アジア文化圏から勝手に抜けてしまって、だから、最近家族の絆も弱まっているのかもしれません。

韓流にはまる (1)-流行りもの&『冬のソナタから考える』

巷では韓流ドラマが流行っているという。元同僚(>♂)で、韓流にはまりまくっている(>♂は珍しい?)人がいて、彼と食事した時に、さんざん韓流の魅力について聞かされ、「我々はサーヴィス業なんだから、流行りものには一応目を通しておかないと…」と助言された。

「ふーん」と思ったが、なんとなくそのまま日は過ぎていったが、マスコミでは中年女性のヨン様ブームが取り上げられ、なんだかすごいことにはなってるなーとぼーっとブームを眺めていた。夫が時々「冬のソナタ」を見ていたけど、私は途中からだったので脈絡が掴めずなんとなく、ちょっとそばで見ては台所に立つ、という感じで、ほとんど訳が分かっていなかった。

が、ある日、本屋で『冬のソナタから考える-私たちと韓国の間』という岩波ブックレットを見つけた。ほぉ、天下の岩波書店(>我々の業界では権威ある出版社)が、冬ソナですか…とふと手に取ってみた。パラパラとページをめくってみると、なかなか面白そうだ。岩波ブックレットだから薄いし…と購入した。岩波ホール支配人だった高野悦子さんへのインタビューも収録されている。

読んでみると、なかなか興味深い内容だ。まずは、なんだって、このドラマがこんなに中年女性に受けているのか?ということを、NHKに寄せられた視聴者からの手紙で探っていく。このブックレットによって実は、多くの日本人がこのドラマで癒されたということを知った。一番印象的だったのは、嫁として妻として、自分を押し殺して夫の親を介護してきた高齢の女性の話。彼女は色々なことをガマンして生きているうちに、いつも自分の感情を押さえ込むようになってしまっていたそうだ。だが、このドラマを見ている時に「涙を流している」自分に気付き、「あぁ、私にもまだ感情が残っていたんだ」と、蘇生した思いがしたそうだ。

また、このブックレットでは、『冬のソナタ』の日本語の吹き替えが流行の理由の一つだと分析している。つまり、ここで使われている日本語がとても正しく丁寧で美しく、現代の私たちが、忘れてしまっている日本語本来の美しさを教えてくれるというのだ。視聴者からも、「日本語がこんなに美しい言葉だったということを改めて認識した」というような手紙が寄せられているそうだ。ドラマの主人公たちは、お礼や謝罪をきちんと言う。当たり前のことなのだけど、そういう当たり前のことを忘れて突っ走っている現代の日本人が、このドラマで改めて「失ってきたもの」を見直しているのかもしれない。

日本人女性が韓国の男性に夢中になるのを白い眼で見ている男性も多いけれど、実は、昔、日本人男性が韓国女性に夢中になっていた時代がある、と高野さんは言う。そんな女性の一人が、韓国の舞姫、崔承喜という人で、高野さんはそのダンサーの映画を作ったそうだ。高野さんが映画を作っていた当時はまだ今ほど韓国と日本の文化交流は盛んでなかったので、高野さんは韓国の人から「なんで日本人が韓国人の映画を作るんだ!」と疑惑の目で見られたそう。高野さんは小さい頃にこのダンサーの踊りを見たことがあり、それが忘れられなかったのと、自身石井漠さんのところで踊りを習ったことがあり、崔承喜さんも石井漠の門下であったことから、同門ということもあるのだ、ということをお話ししたそうです。でもってその時に「あなたは韓国舞踊に詳しいのか?」と聞かれ「70歳の手習いで始めようと思っている」と答えたそうなんですが、それが韓国の新聞に載ってしまい、引っ込みがつかなくなり、実際に韓国舞踊を習い始めたそう。

そして、その70歳の手習いの韓国舞踊を、韓国でのこの映画の上映会の時に披露することが出来たとか。高野さんは一時身体を壊されており、この韓国舞踊が、健康回復の上でもとても役だったのだとか。まぁ、もちろん幼い頃、踊りを習ってらしたというのも大きいのだろうけれど、写真に写っている高野さんの韓国舞踊を踊る姿はなかなかにサマになっている。

高野さんのまわりの韓国の友人たちは、『冬ソナ』ブームにとまどいながらも、これが日韓交流にとって良い影響を与えると歓迎しているそう。

・…と、なかなかに興味深いドラマかも…と思って、とりあえず『冬のソナタ』を私も見てみることにしたのでありました。