夢のような日々(10)-2回目の発表会

夢のように日々は過ぎ、また1年が経ちました。2回目の発表会の幕物は「くるみ」。私は中学生達と一緒にアラビアを踊り、花ワルのコールドを踊りました。

アラビアはヘソ出し衣装でした。まぁ、今よりはかなり若かったたとは言うものの、中学生と一緒にヘソ出しはきついよね~。ツボを持ってのセクシーな踊り。今回も私はバレエシューズでの出演です。

小品の方は、プログラムによれば、大人の人(たしか再開組)と一緒に2人で踊ったんだけど、記憶が定かではありません。この頃から時々大人(といってもせいぜい20代前半まで)が入ってはやめて行く…ということが少しずつあったように思います。

2回目の発表会もとても楽しかったです。アラビアの練習の時、大学生のレッスンメイトから、「やっぱり大人ですよね。中学生の踊りとは違うわ。色気が違うよね」って言われました。私ははっきり言って色気不足の方だけど、中学生の踊りと比べると、技術はダントツにペケだけど、大人には大人の「強み」があるのだ…と、この時も思いました。

夢のような日々(9)-初めての発表会

初めての発表会には、友達を沢山招待してしまいました。自分の踊りを見て欲しかったから…というよりは、恐いものみたさならぬ、「恐いもの見せたさ」っていうか、半分以上は「ジョーク」みたいな気持ちもありました。

「ねぇねぇ、私ってば、大人になってからバレエなんか始めちゃって、舞台にまで立っちゃうんだよぉ」っていうか…。「大人のバレエ」があちこちで少しずつ始まった頃だったのだと思うのですが、「大人のバレエ」は今みたいな「知名度」はなく、友達のまわりでバレエをやっている大人などは皆無…。

舞台については、自分自身、おおいに楽しみつつも、どこか「なんちゃって」な気持ちでした。

大人で始めたのに発表会にも出してもらって、しかも、私だけ「別枠」じゃなくて、幕物にも出していただけて、ちゃんと中学生と同じ振りをいただけて…。

何て言うか幸せすぎて、「マジメに正面から受け止めきれない」っていうか…。あまりにうれしい「現実」に、心の方がついていってなかったかもしれません。

舞台を見てくれた友達の感想は、「やっぱり大人だと思った」というもの。「たしかに脚なんかはちゃんと出来てない。でも上半身や腕は子どもとは違う『大人の動き』で、雰囲気があった」ということ。

そうか…大人のバレエには、大人の「強み」もあるんだ!というのが、その時私が思ったこと。

これが私なりの「自分のバレエ」の出発点になったかもしれません。「年齢を重ねているからこそ出来る」「自分のバレエ」…あるいは、他ならぬ「私ならではの」「自分のバレエ」…。

私がバレエの上で表現できる「個性」は、本当に「ささやかな」ものだけど、でも私は「私の」バレエを踊っていきたい…と漠然とその時思ったように思います。

そして、舞台で踊るっていうのは、本当に楽しかった。お化粧して非日常の世界に入るのもとても楽しかった。つけまつ毛をつけて変身しちゃうのも楽しかった。「みんなと一緒!」を感じながら踊るのはとても楽しかった。客席から見るのではなく、舞台の上でバレエを踊っているということが楽しかった。

「舞台」という「麻薬」に身体と脳の髄まで冒されてしまいました。私は今でも「舞台」が好きだけど、この初舞台が「楽しかった!」っていうのが、私の「舞台好き」、「舞台やめられない病」の出発点ですね。

この時、男性ゲストダンサーが何人か来てくださってましたが、そのうちの1人(当時某バレエ団のプリンシパル)が、今私が通ってるN教室のN先生です。ポーズの決め方、「見せ方」なんかがうまいなぁ…と思いました。そして舞台の上でもみんなを盛上げてくれて、コールドの私達を(本番なのに)、冗談で笑わせてくれたり(まぁ、ドンキだから、そういう場面なんだけど)…。ひゃぁ、バレエの舞台の上って、本番でもこんなことが起こっているのかぁ…って、そういうのも新鮮な驚きでした。

その時は後に自分がN先生の教室に行くことになるとは考えてもみなかったけれど、諸事情で教室を変ることになった時、色々な条件を勘案してN教室をメインの教室に選んだのは、この時の舞台でご一緒させていただいた時の強烈な印象ってのもあったと思います。

夢のような日々(8)-舞台前なのに髪を切っちゃった!

発表会の練習が始まってまもない日、私は4月からの就職に備えて髪を切りに行きました。で、ショートカットにして、レッスンに行くと、レッスンメイトたちが悲鳴をあげました。

「え~! 切っちゃったのぉ! あのね、発表会の時は全員おだんごにするの。で、前髪もぜ~んぶ、上にあげるのよ」「どれどれ」「あ、これぐらいあればつけ毛をすればなんとかなるわ」「そうだよね~、知らなきゃ分かんないよね~。言っておいてあげればよかったね~。もう発表会まで絶対に髪切っちゃだめよ~」

う~む、「知らない」ってこわい。そのクラスは私みたいな発表会未経験者は長らくいなかったから、私の行動は「盲点」だったんですよねぇ。で、発表会が近づくと、発表会の時に持って行くモノなど、いちいち親切に丁寧に教えてくれました。

「ピンクパンツとは何か」…とかね。「つけまつ毛はどこで買うか」とか、「つけ毛とはどんな形態でどこで売ってるか」とか、「おだんご作るためのネットとは何か」とか…とか。

別の教室に移ってから、「初めて舞台に立つ」という人がいると、なるべく親切にしてあげよう、と思うのは、自分自身、「知らない」ということで困った経験があるから。そして、この時、みんなにうんと親切にしてもらったから。

それにしても、ベリーショートにしないで本当に良かった。私は本当はショートカットの方が似合うし、好きだけど、これ以来、妊娠中・出産直後のバレエをお休みしていた時を除いて、髪の毛は常に自毛で「おだんご可能」の長さです。

夢のような日々(7)-「うれしい驚き」その1:発表会へのお誘い

イギリスから帰国してすぐのことだったと思います。T先生から「8月に発表会があるんですけれど、うちは全員参加が原則だからあなたも出てね」と言われました。

え~!!!! うそ!!!!

私、私みたいな大人は「別枠」で、発表会に出してもらえるなんて、考えてもみませんでした。青天の霹靂。でも、うれしい! うれしいビックリ。私も”one of them”の勘定に入れていただいてたのね~。

という訳でほどなく発表会の練習が始まりました。中学生以上の幕物はドンキ。私はコールドで、中学生低学年の子たちと一緒にコールド。ただし、私だけはバレエシューズでの参加です。

今思うと練習が始まった時って、バレエを始めて半年ぐらいだった訳で、よくついてったよなぁ…と思います。発表会の練習は楽しくて楽しくて、もう、なんだか夢の中をたゆたってるみたいな感じでした。多分、「客観的に自分のバレエを見る」というような目がまだなかったから(今もそうだけど)、自分がどの程度踊れてるか…なんて、あんまり考えずにやってたんだと思います。一緒に同じ踊りを踊る子たちは、みんな小さい頃からバレエを習ってる子たちばかりだから、私が「ずば抜けて」下手なのは、当たり前すぎる事実で、卑下する方がむしろ傲慢っていう状況でしたし…。

一緒に踊る中学生の子たちも、おばさんが一人入ってることをいやがるでもなく、良く教えてくれたり助けてくれたりして、そういう点でも孤独を感じたりすることもなく、「一員」に混ぜてもらってるうれしさがありました。よく出来た子どもたちだったなぁ。これは後になって引越しで教室を変ってから気づくのですが、当時、この中学生の子どもたちは、「私をかばって」踊ってくれていたんですよね。だから、そういう中学生のおかげで、私はいつも暖かさに包まれて踊っていました。自分自身でその暖かさが子どもたちから発せられているということを、当時の私には気づくだけの力がなかったんですが。

結局のところ、私は、そのクラスでは「一番年上の末っ子」っていうポジションで、みんなから甘やかされて大事にしてもらってたんだなあって思います。

幕物の他に、T先生が振りつけて下さった小品も踊ることになっていて、これは一人で踊るものでした。これも、とにかく舞台自体が初めての経験だったし(バレエの発表会というものも見たことがなかった)、私以外の人は、グランパとか、Vaとか、パ・ド・カトルとか、そういうレベルだったから、私と一緒に踊るレベルの人はいなかったし「そういうもんか」と何の疑問も持たなかったし、「一人で踊るなんて恥ずかしい!」みたいなことは、全然思わず、なんか平常心でした。

「知らない」ってすごいことですよね~。今振り返れば、「ウソだろ?」と思ったりしちゃうけど…・。何の気負いもてらいもなく、当時の私は、ただただ素直にすべてを「そういうもんか」と受け入れてました。

特に、ドンキの練習は楽しくて、「本物」のバレエに触れられる感動で胸がいっぱいでした。みんで踊るって楽しい!「ほんとの」(?)踊りを踊るって楽しい!「ほんとの」バレエ音楽で自分が踊っちゃうなんて! 

何もないところから、少しずつ作品が形になって行くのって楽しい! 最初はゼロ。そして、少しずつ区切って振りがうつされ、まずはそれぞれが自分の踊りを覚えて、全体を整え、他の踊りの人達との絡みも出てきて、ソリストやプリマ達の上手な踊りにうっとりして…。

日本バレエ協会からお借りした衣裳が来て、これをプロの方も着たのかなぁ(アマチュア用だったのかしら)…なんて思うと、それもすごく感慨深く、衣裳についた汗の しみすら、誇らしくいとおしい気持ちでした。衣裳に色々と飾りをつけたり、髪飾りを作ったり…そういうのも、みんなみんな楽しかった。

とにかくすべてのことが物珍しく、あっという間に日々が流れて行きました。

夢のような日々(6)-お金と時間

大人のバレエにとって、「お金」と「時間」の問題は、永遠に解決しない問題です。まれにどちらも持っている方もいらっしゃると思うけど、たいていは、どちらかに欠ける、あるいは両方に欠ける…という苦しい状況の中でみんなやりくりしながら頑張っているのだと思います。

私も、大学院の学生という身分でバレエを始めることが出来たのは、実は、翌年4月からの就職が夏に決まっていて、その就職先に秋から週3回9時-5時でバイトに行っていたからなんです。バイト代もそれなりにいただけるということだったので、バレエを始めても月謝を自分で払うことが出来る見通しが立ったのです。それ以前の奨学金と家庭教師のアルバイトで生活を支えてるっていう状態だったら、バレエを始めることは出来なかったでしょう。

だから、私にとって、バレエとの出会いは「丁度良いタイミング」だったとも言えます。もっと早く始めたかった!!!と思うことはしばしばです。でも、もっと早く出会ったところで、始める条件はなかった…・。私とバレエの出会いは、やっぱりあの時しかなかったんだと思うのです。

4月に就職してからは、とりあえず生活不安はなくなりましたが、フルタイムの仕事、家庭、そして転職のための勉強・…と、今度は時間との闘い・…。小5の時から面倒みてた家庭教師先の子の大学受験もあって、途中で投げ出す訳にも行かず、家庭教師の方も引き続きやってたし。まぁ、当時は子どももいなかったから、こういう忙しい生活の中でバレエも(かなり)やってましたが…。

時々、あの時バレエに使ったエネルギーと時間を自分の仕事のため使えば、もっとまともな仕事人になれてたかなぁ…とも思います。でも、バレエがなかったら、身体か心を壊していたかもしれません。

自分が目指した夢に手が届くのか、届かないのか…。仕事から帰って、あるいは仕事に行く前の1時間、2時間…。転職のための勉強をコツコツと続ける私にとって、バレエは心と身体のバランスを保っていく上で、欠くことのできないものとなっていきました。

夢のような日々(5)-ロンドンでレッスン&かけもち

そんな風に楽しく週2回レッスンを重ねていましたが、翌年の4月から就職することになりました。これは、私が希望していた通りの職種ではなく(関係が全くない訳ではなくて、キャリア・アップのワンステップにはなりそうな仕事でしたが)、その後も転職のための勉強を続けながら勤めなければならない…ということで、思い切って仕事のための勉強に、就職前の1ヶ月、イギリスに行くことにしました。それまでは、「時間よりはお金がない」生活でしたが、これからは「お金よりも時間がない生活」になるので…。

イギリスへは、日本で通っていた英会話学校のロンドン本校みたいな学校に「留学」(?)という形で行くことにして、ベッドシット(普通の家の各部屋に簡単な台所をつけて貸す)も英会話学校から予約してもらいました。専攻は違うけどやはりイギリス絡みの勉強をしていた夫も一緒に行きました。

私に「バレエは大人からでも始められる」と教えてくれた英会話学校のクラスメートに「ロンドンに行くんですけれど、大人でもレッスン出来るところってあります?」と聞くと、「あるある!」と、パイナップル・ダンスセンターの地図を書いてくれました。

T教室のT先生に、「ロンドンに行くので1ヶ月レッスンを休みます。でも、あちらでもレッスンしてきます!」と言ったら、「そうなの? でも、色々違ったやり方でやるとヘンなクセがつくことがあるのよねぇ…」と、あんまり海外でのレッスンを勧めない様子。

しかし、当時の私には「かけもち」問題の存在なんてことは、全く分かってなかったので、「でも、せっかく始めたのに、1ヶ月もレッスンがあいちゃうのイヤなんですぅ」と明るく言い切ってしまい、先生の言葉の含意など、考える余裕もなく、ロンドンでのレッスンに(あ、違った、ロンドンでの勉強に?)胸をはずませて出発しました。

ロンドンでは、朝から夕方まで図書館で勉強、夕方から週3回英会話のレッスン(3時間)へ…という生活。で、土曜日の午後パイナップルでバレエ、日曜日は観光…という生活でした。

日本でのレッスンでは大人の初心者は1人という状態でしたが、パイナップルには沢山の大人の初心者がいました、というよりクラス全員が大人の初心者でした。この時にレッスンをご一緒したおばさまの1人とは(当時もすでにかなりおばさまだった)、今でもロンドンにレッスンに行くとあちこちのクラスで一緒になります。

「イギリスって大人のバレエがさかんなんだなぁ」っていうのがその時の感想です。その時点では、イギリスの方が「大人バレエ先進国」だったんだと思います。

フォイルズという「世界で一番大きな本屋さん」でバレエの本も色々探しました。この本屋では各フロアにそのフロアで扱ってる分野の専門の勉強をした店員さんがいます。バイトもある程度その分野の知識がある人が配置されてます。バレエの本のコーナーには、自分も小さい頃からバレエをやってるという若い女性がいました。多分どこかのバレエ学校の生徒さんだと思います。

「バレエを始めたばかりなんですけれど、大人の初心者のための本はありますか?」と聞くと、「特に『大人のための』っていうのはないけど…」と本選びを手伝ってくれました。そして、「実はね、私の母も40歳でバレエを始めたのよ。すっごく楽しんでるのよ」と教えてくれました。

「そうかぁ、40歳で始める人もいるのね…」と、なんだか感慨深く思いました。29歳で始めるなんて、とんでもなく遅いスタートだと思ってたんだけど、もっともっと遅く始める人もイギリスではいっぱいいるのね~と思ったのでした。

「かけもち」問題については、その後、だんだんと、バレエ界におけるその「重要性」「複雑さ」「深刻さ」というのが分かってきましたが、これについては、またいずれ。

夢のような日々 (4)-バレエを愛する心

私は、教室との出会いって、「運命」だと思ってます。私がT教室と出会ったのも 「運命」。私がこの「運命」を何より幸せだと思うのは、最初に出会ったこの教室で、「バレエを愛する心」という一番大切なものを教えていただいたこと。

T先生は某バレエ団で踊ってらした方なんですが、現役時代は雰囲気のあるとてもステキなダンサーだったそうです。結婚してバレエ団を引退されてからもご自分の教室の舞台には立っておられたようですが、私が通い始めた頃は舞台の方はすでに引退なさっていました。野球で言うと長嶋みたいな、ちょっと天才肌の人で、若い頃は、「だからね、こうなの」と先生がお手本を見せると教室がふわ~っと独特の雰囲気に包まれて、みんな、見とれてぼ~っとしてしまうような、そんな方だったらしい。そして、みjんな何となく出来ちゃう・・・そんな感じだったらしい。

私が習い始めた頃は、もうかなりお年だったし、ご自身でお手本をなさることはなかったけれど、とにかくバレエが好きで好きでたまらない、踊ることは楽しくて楽しくてたまらないっていうオーラで輝いてました。そんなT先生のもとで、私もバレエが大好きに、踊ることが大好きになったんです。

夢のような日々 (3)- みんなが優しい

みんながポアントはいてる間に先生が私だけ「補講」して下さってる時って、子どもたちの前で「大人」なのに何もできない私が1人で「さらしもの」になってた訳なんだけど、そんなことも全く気になりませんでした。「踊れる」っていうことが幸せでたまらなかったから。そして、ポアントはきながら、真中で1人「基礎の基礎」をやってる私をなんとなく見ていたみんなの目が優しかったから。

ここの教室の先生達やレッスンメイト達は、本当に優しかった…。プリエが何かも知らない私、ゼロの私…。そんな私を知ってる人達に見守られながら、私はバレエの階段を一段ずつ上がって行きました。

先生もレッスンメイトも、ちょっとしたことで、よく誉めてくれました。私は腕は太いし(剣道やってたので)短いし、チビだし、バレエ向きのプロポーションじゃないんだけど、先生は「あなたは首が細くて長いからバレエに向いてるわ」とか「あなたは脚が外向きだから(つけ根は本当はそうでもない)バレエに向いてるわ」とか言ってくれて…。

レッスンメイトも、「少しの間にすごくうまくなったよ」とか、「あなたはうしろにそるのが柔らかいよね(後ろはマシっていう程度。前は超かたいので)」とか、色々声をかけてくれました。弱点だらけ、欠点だらけの私なんだけど、それでも一つまた一つと良いところを拾い上げては励ましてくれるんです。

中学生の子ども達とは、最初のうちはそんなに言葉をかわすこともなかったんですけれど(後にはおしゃべりもするようになった)、でも、きっとすっごくヘンテコな動きをしてた私を笑うような子は一人もいなかった。

それは何よりも主催の先生がバレエを好きで好きでたまらなかったから、先生の「バレエを愛する心」が生徒さんたちみんなに伝わってたから、だから「バレエを好きになった私」をみんなが暖かく受け入れて見守もってくれたんだと思うんです。

夢のような日々 (2)- 「出来なくてもいい」ということの幸せ

当時、自分の仕事上の「夢」に向かって歩いていた私にとって、仕事の修業は毎日が劣等感との闘いでもありました。その道で「プロ」になるには、「できない」は許されない…。まぁ、今となっては、本来は自分が好きな道だった訳だから、もっともっと楽しむことが出来たのに…と思いますが、若かった当時の私には、「楽しい」 ことより「苦しい」ことの方が多かった。

でも、バレエは「出来なくても」いいんです。趣味だし、みんなは子どもから始めてるのに私は大人から…。出来ないのが「あたりまえ」。このことは、まだまだ続く私の仕事上の修業を続けるにあたって(今も続いてます)、とても良い「精神安定剤」になってくれました。だから、当時の私には、バレエは本当に心が休まる時間、癒しの時間、心を開放できる時間でした。それまで、「出来ない」自分を責めて暮らしてきた時間が長かった私には、「出来なくてもいい」がとても新鮮でした

夢のような日々 (1)- 初レッスン

遠い昔の初レッスンの日、どんな風だったかは、実は、良く覚えていません。いきなり5番がキッチリ入ったので(といっても足首から先だけなので、これは「きっちり」とは言いませんね)、助教の先生が、「すご~い!」と誉めてくれて、そのことは覚えてます。今思うとみんなが「誉め上手」な教室だったな~。

 「だんだん慣れてくるから、前の人のを見てやってね」と言われて、とにかく見よう見真似でやってました。T教室には大人のクラスがなかったので、私は中学生以上の子どもたちの「ジュニア・クラス」に参加させていただいていました。そのクラスには高校生や大学生のうちの上手な子たちが所属する「高等科」の生徒や助教の先生
たちも参加していました。

 「とにかくやっちゃう」っていう感じ。バーもいきなりかなり複雑だったし、今思えば、フロアもいきなり複雑だったし、どうやってやってたんだろ????って思いますけど。でも、みんながポアントに履きかえる間なんかを利用して、T先生が私だけ「補講」をして下さり、だんだんパの名前を覚えて行きました。

私以外は全員が子どもの頃からやってた人ばかり。「大人で始めた」という人もいたことにはいたのですが、始めたのはみんな18歳くらいの時。私みたいに「本物」の大人になってから始めた人はいませんでした。大人からの再開組も何人かいました。

そんな環境だったから、「出来ない」ということにコンプレックスを持つこともなく、ただただ「バレエを始めることが出来た」ということが幸せで、毎週レッスンが楽しみで仕方ありませんでした。