舞台を重ねる (12)-4回目のVa大会:ふたたびキトリ

R教室のVa大会では、年齢の低い子どもたちは、ほぼ全員が同じ演目を踊る、という慣例があります。その演目としてよく取り上げられるのが「キューピット」と「青い鳥」。

お客さまは、10人も20人も続けて同じ踊りを見るので疲れるかとも思いますが、同じ踊りなのに、子どもによって、前々違った雰囲気で踊ったりするので、そういうのを見比べるのもまた一興です。

「物事には訳がある」…と、その時私は考えました。なぜ、R教室では「キューピット」とか「青い鳥」とかを、子どもの演目として採用するのか????? 特に「キューピット」は、最も頻繁に採用される演目です。

「キューピット」の秘密とは何か????

当時の私は考えました。「キューピットを踊ると上達する!」「キューピットには上達の秘密が隠されている」…と。「だから子どもにキューピットを踊らせるのね!」と。

そして、「ならば、私もキューピットを踊って上達しよう!」「子どもがこの踊りを踊って上達するように、私もそのラインをたどって上達するのだ!」と勝手に決心。

バレエ通のレッスンメイトも「あれやったら背中強くなるよぉ」と言ってくれたので、「よし!」と思って、自分の中ではほぼ「次はキューピット!」で気持ちが固まっていました。

まぁ、あれ、あんまり大人が踊る演目じゃないけど、Va大会は「勉強会」だし、私はチビだからいいだろ…と思っておりましたのよね。

で、いよいよ申し込みの時になって、A先生に「キューピット!」と申告すると、A先生は一瞬ぎょっとされて、「R先生に相談してみますね」とおっしゃいました。

で、R先生に相談の結果、「キューピットは子どもが沢山踊るのでお客様も飽きてらっしゃると思うので、キトリのもう一つのVaにしてはどうでしょう、とR先生がおっしゃってました」とのこと。

およよ…。

後に「青い鳥」を選んだ時には、「青い鳥」だって、子どもが続けて踊ることには違いないのに、「お客様も飽きてらっしゃると思うので」と却下されたりはしなかったので、これは、「真実」は、「キューピットをおばさんが踊るとヘン!」でありましょう。R先生はとっても細やかな気遣いをして下さる方なので、こういう言い方を選んで下さって、さらに、演目まで考えて下さって…。

「考えなし」の自分が恥ずかしい。A先生にもR先生にも余計な気遣いをさせてしまって…。(>R先生、A先生 申し訳ございませんでした)

で、R先生が助言下さったのですから、それはもう、キトリのもう一つのバージョン(フェッテして、6番パドブレでちょこちょこ)を踊るしかない!ですよね。これもとっても可愛い踊りですよね。

舞台を重ねる (11)-N教室での4回目の発表会:ついにポアント!

そして、N教室での4回目の発表会…。ついにポアント組になりました! うれしい!

長かった! 待つこと4年。

4年と言えば、小学校1年生が4年生を終えて、5年生にもなろうという、それだけの年月だ。ひらがなばっかりだった教科書にも難しい漢字が増え、中学受験をする子どもの場合は、受験勉強も「本格化」しようという時期だ。中学受験の問題は、「中学2年」くらいまでカバーしているという。だから、ランドセルの重さでヨタヨタしてた、その子たちが、「中学2年」の勉強をしちゃうくらいまで「成長」する、そんな年月だ。

中学校1年生が中学校を終え、高校1年も終え、そろそろ大学受験も意識しつつ、「遊べる最後の学年!」とクラブや友達との交流に精を出す、そんな時の入り口にさしかかる頃だ。初めてアルファベットを習った、その子たちが、過去形も未来形も現在完了も、かなり難しい文法事項を学び、辞書を使えば、そうとう難解な英文だって読めるようになってしまう、そういう年月だ。

ピアノだったら、まぁ、何歳で始めるかにもよるけれど、小学校低学年で始めれば、進歩が速い子なら、ソナタアルバムくらいは弾いているだろうし、まぁまぁ普通の子でもソナチネアルバムには入ってるだろう、そんな年月だ。

「大人のバレエ」なら、教室にもよるけど、私の場合で考えるなら、前の教室では、「プリエ」の「プ」の字も知らない状態から始め、すでにポアントで2回目の発表会を迎える…そういう段階だ。

もちろん、一口に4年と言っても、私の場合は、幼い子どもを抱え、フルタイムの仕事を抱え、そして、秋から冬にかけてはR教室の舞台のために、N教室の方は「超サボリ・モード」という、そういう4年だ。

私としては、仕事や育児をこなしながら、「必死に」駆け抜けている4年間なのだけれど、はたから見れば、「ゆったりのったり」な4年だ。

今になってみれば、私のその4年が「そういう4年だった」と分かる。でも、その時の私は「主観的には」「駆け抜けている」4年なので、自分がまわりから見ればいかに「ゆったりのったり」なのかが見えてない。「必死に」走っているので、自分の「まわり」が見えてない。まわりの人に映る「私の姿」が見えていない。それを考える余裕もないくらい必死というか、いっぱいいっぱいだったんだと思う。

1年間を通じて見れば、私は沢山の「オモリ」をぶらさげながら、いつだってバレエを頑張っていた。

だけど、N教室の人からもR教室の人からも、私は「ゆったりのったり」な人にしか見えてなかったと思う。まぁ、せいぜい良いところ「マイペースでバレエを楽しんでいる」人程度だろう。

だから、そんな私がポアントで舞台に出していただくのに4年かかったのは当然のことなのだ。先生の目から見れば、「熱心な生徒」ではなかったはず。やっぱり先生としては、定期的にレッスンに通い、自分の指導の下で、上達を自分の目で確かめ、「ポアントで出しても大丈夫!」となって初めてポアントで舞台に立つことを許可するのが当然だ。

そして、私のポアントの技術も、バレエそのものの技術も、「誰が見たってOK」レベルではなかった…という「厳然たる」事実がそこにはあったのだ。実は、私はR教室のVa大会ではポアントで出ていた訳で、T教室の時ほど、ポアントを履いている時間は長くないにせよ、「それなりには」履いていた。だけど、その「履いていた」事実は、N教室の先生の目から見た時、「絶対評価」として、○が出せるほど「確か」なものではなかったということだ。

自分の技術不足については、「頭では」分かっていたつもり。でも、やっぱり「別の教室だったらこの程度でもポアントで踊らせてくれるのになぁ…」みたいな思いは、心の底にはいつもあった。

不充分な技術で踊っても「みにくい」だけ。それも「頭では」分かっていたつもり。でも、「やっぱりポアントで舞台に出たい!」というのが本音の部分であった。

「バレエ=ポアント」ではないということ。それも「頭では」分かっていたつもり。バレエシューズで踊っても、美しく踊れば本当に美しいし、バレエシューズでも美しく踊ることは本当に難しい。それも「頭では」分かっていたつもり。

でも、やっぱり「心」は納得していなかったんだよね。

だから、メンバー表が貼り出され、「ポアント組」に「昇格」したのを見た時には本当にうれしかった。あぁ、長かった!と思った。

もう、かなり年齢渋目になってた私としては、この「4年間」って、本当に大きかったと思う。あと何回発表会に出られるのだろう…と思うと、気持ちも焦ったしね。

だけど、実際にポアントでの「作品」の練習に入ったら、やっぱりまだまだポアントで「踊れていない」自分を思い知らされた。やっぱり私は「まだまだ」なんだ…と思った。

やっぱりバレエは難しい。ポアントを履いて、パを「なぞる」だけならば、そんなに難しくないのかもしれない。だけど、「基礎に忠実に」「正しく」そして、その結果「美しく」踊ることは、本当に大変なことだ。

そして、ポアントで踊るのには「体力」が必要。同じことをやっても、バレエシューズよりずっと「体力」を要する。

4年待っても「この程度」の自分…。だったら、やっぱり「4年待った」のは「正解」だったんだなぁ…と改めて思った。

舞台を重ねる (10)-最後の最後まで諦めない…ということ 

Va大会でのキトリなんですが、実は、最後のピョコピョコしたところで、1回チョンっていうのはOKだったんだけど(きれいには出来ないけど、私はピョコピョコ系の方が得意)、チョンチョンって2回やるやつがうまく出来なかったんです。で、先生から「バーに掴まって何度も練習してね」って言われて、何度もやるんだけど、ど~もうまく行かない。

で、実は、前夜に「最後の研究」と思ってビデオを見てたんです。アナニアシビリのキトリだったかなぁ。で、「あれ???」と気づいたことがあった。

それは、実は、私パのやり方を勘違いしてたってこと。2回チョンチョンした2回目も足は床に置くのに、私、空中に置いたままだったの。そりゃあ、不安定だろうよ!「あぁ、勘違い!」っていうの、私、いっぱいあるんだけど、この時も…。

で、舞台当日の朝、ゲネの前に舞台でチョンチョンと2回目も床においてやったら、「あらら、らくちん!」。

ものの分かった人から見れば、「どうやったらそういう勘違いが出来るんじゃ!」と思われるかもしれないんですが、その時の私は、あぁ勘違い!野郎だったんですね。

舞台って、本番前夜まで、いや、本番の一瞬前まで、努力をやめてはいけないんだなぁってつくづく思いました。

あとで、A先生に「実は、本番前夜に自分が間違ってパを覚えていたことに気づいたんですよ」ってお話しすると、先生は、「ごめんなさい。間違っていることに気づいてあげられなくって」って。

「あ、そういうことじゃなくて、とにかくギリギリまで努力をやめちゃいけないんだなぁって学びました」と言うと、「そうですね。本当にそのとおりです」と。

私はA先生を責めるつもりなんかはこれっぽっちもなくて、単に自分の「発見」(>「ギリギリまで努力をやめない」なんて常識レベルの発見だけど)をお話ししたかっただけなんですが、A先生って、すごく謙虚な方なんだなぁって思いました。こういう時に生徒にあやまれる先生って、本当に実力があって誠実な先生なんだと思う。いい先生につけて幸せだなぁって、そう思いました。

舞台を重ねる (9)-3回目のVa大会:キトリのVa(「ドン・キ」3幕) 

前年、仕事にまぎれて出場しなかったVa大会、「今年は出るぞ!」と、そうそうに申し込み。

何を踊ろうかなぁ・・・と思ったのですが、「ドン・キ」にすることにしました。

こちらに「技術」や「目」が出来ていないと、どの踊りがどの程度難しいかっていうのは、分からないものです。私としては、色々なVaを、手元にある映像でチェックした限りで、「白鳥」なんかは派手なパもないし、いいんじゃないかと思ったんですが、「先生、白鳥はどうでしょう?」と聞くと、「白鳥は難しいですよ~」と、思い切り却下。

で、「じゃあ、ドン・キはどうでしょう?」と言うと、「あ、ドン・キはいいと思います」と即O.K.が出ました。

あ、O.K.が出たっていっても、「そのまま」踊れる訳じゃなくて、「簡単バージョン」なんですけど。だから、私が踊ったのは「キトリ」じゃなくて「キトリもどき」。最初の部分のグランパデシャもソデシャにグレード・ダウンしたものです。

そもそも、Vaの「オリジナル」って何?というのは、実は、そんなに単純じゃないですよね。バレエ団によっても少しずつ振り付けが違うし。だから、別に「キトリもどき」でもいいんですが、いつかは、世の中で良く踊られている振りを易しくしない「普及版」バージョンで踊れる力をつけたいものです。

しかしまぁ、「簡単バージョン」でも充分に難しく、かなりの苦戦。でも、キトリは「お得なVaだなぁ」と思いました。すごく良く出来た振り付けだなぁと。つまり、「みば」がいい、というか、「同じ技術」でも「派手」に、また「難しいことをやってるように」見え、また「見ごたえがある」んです。

ピアノでも、ピアノのメカニズムをよく理解してそれを最大限に生かすことの上手な作曲家とそうでない(>あるいはあえてそうしない?)作曲家がいます。ショパンなんかは、ピアノのことをすご~く良く分かっている。

逆にチャイコフスキーは、ピアノという楽器を生かしきれてないというか、すっごく弾きにくいのに、聴いてる側には「簡単」で「地味」な曲に聞こえてしまって、「苦労した割りには上手に聞こえない」っていう、アマチュアの発表会レベルの関心で言うならば、「ちょっと損」な作曲家です。

ただ、これも私のロシア人の友人に言わせれば(>ロシアのピアノ教育ではチャイコフスキーの曲をいっぱい弾かされるらしい)、「それこそチャイコフスキーが本物である証拠」ということなんだそう。「簡単そうに聞こえるけれど、本当はすごく難しい…。本当に良い物ってそういうものよ」と。

まぁ、これ、「好み」とか「相性」っていうのもあるんでしょうね。私はチャイコフスキーは聴くのは好きだけど、弾くのは今一つ「快感」が感じられない作曲家です。でも、Qはチャイコフスキーすごく好きで、とても「らしく」弾きます。

それはともかく、最後のピョコピョコやるやつの2回床をチョンチョンするところに(も)苦労しながら、自分なりにではありますが、踊りをまとめて行きました。ビデオを見たりして、キトリのイメージを膨らませたり…そういうのも楽しかったです。この時は、初めてネットの友達が舞台を見に来てくれました。

舞台を重ねる (8)-N教室での3回目の発表会:煩悩を乗り越えて(なかったかも) 

そんな訳で、3回目の発表会は、悩み深い発表会となりました。

でも、とにかく、「バレエ・シューズだって、きれいに踊るのはとても難しい」「バレエ・シューズだってきれいに踊れている踊りは本当に美しい」と「真実」、そして、「今の自分にはバレエ・シューズできれいに踊ることは出来ていない」という「現実」を、きちんと認識して、少しでもきれいに踊れるように頑張ろう!と思いました。

頭が納得しても、気持ちが納得しないところもあったけれど、とにかく、それが「正しいこと」で自分は「正しいこと」をするしかないんだ、というのは、自分でもよく分かっていました。

作品は、これまたN先生の振り付けで、可愛らしい作品でした。衣裳もピンクで可愛かった。

一緒に踊った人に、多分今の私の年齢ぐらいの方がいました。前向きにバレエを楽しんでらっしゃる方で、その方からも刺激を受けました。

今思えば、N先生の作品を踊れるというのはすっごく幸せなことだったんです。その次の年からはN先生は大人のクラスの振り付けはなさらなくなったし。ポアント組の振り付けは助教の先生だったし。だから1回多くN先生の振り付けを踊れたことはらっきぃ!だったとも言えます。

当時は、私はN先生の振り付けの素晴らしさというものがまだよく分かっておらず、今考えれば、もっともっと味わって踊れば良かった!という後悔が残ります。

舞台を重ねる (7)-ポアントという煩悩 

舞台を重ねる(7)-ポアントという煩悩

またレッスンを重ねているうちに少しずつ身体も戻ってきて、3回目の発表会を迎えることになりました。メンバー表が発表されてみると、私はまた「バレエシューズ組」でした。

はっきり言って落ち込みました。そりゃあ、先生の目から見て「客観的に」まだまだポアントで舞台に立たせる訳には行かない・・・・。自分の「技術水準」はその程度のものなんだろう・・・。

だけど、T教室ではずっとポアントで舞台に出ていたし、R教室のVa大会でだってポアントで踊った・・・。

私って、そんなにダメなんだろうか・・・。私ってそんなに下手なの????

ポアントで踊るだけがバレエじゃない・・・。それは、よぉっく分かっているつもり。頭では。

だけど、やっぱり「ポアントで踊りたい!」という煩悩に悩まされました。

特に、私より少し前に教室に入っていて、実際のバレエ歴では私より短い人が「ポアント組」で出場することになっており、そのことも私の煩悩を刺激することに・・・。

彼女達のポアントワークと比べて、私のポアントワークはそんなに劣っているのだろうか・・・。自分では、そんなに差はないと思うけれど、その「差」が見えないくらい私の技量って劣っているのだろうか。(>「違い」が分かるのも技量ですからね)

「大人から始めるクラッシックバレエ」の掲示板でも「人と比べちゃだめ」とアドバイスをもらったけど、やっぱり心の中は煩悩のうずまきでぐるぐる状態でした。

一方で、私より遅く入ってきても、上手な人はN先生の作品に誘われたりしている・・・。

基本的には「私がまだまだなんだ」と納得しようとするけれど、心は千々に乱れる。

「かけもち」してて、N教室に顔出す回数が少ないからいけないんだろうか・・・。そんなことも考えました。それでなくても、レッスン回数確保するのが難しいのに、「かけもち」してるから、ちょっと疲れていても、つい、「今日はやめておこう。明日R教室の方に行こう」(>逆もまた真なり)となってしまう傾向はどうしてもあったし、また、Va大会の練習が始まると、R教室の方を優先せざるを得ないから、N教室にとっては、当時の私は「発表会前になると突然来る人」という、バレエ教室における、「嫌われ者」の典型的なタイプの一つではあったんですよね。

「かけもち」しなきゃ、「私」というスケールで見た時、レッスン回数の確保は「かけもち」してる時よりずっと難しいし、結局そうやってレッスン回数確保してようやくコンスタントにバレエを続けていた状態だったし、前にも書いたけど、「私」というスケールで見れば、「私」はいつでも「頑張って」いるのだけれど、N教室の先生やレッスンメイトから見れば、そりゃあ、当然そうは見えないよね。

T教室での経験がなければまた、それはそれで、「そんなもんか」と受け入れることが出来たのだと思うんです。だけど、T教室で子どもと同じにやらせてもらってたし、とにかく舞台が楽しかったから、「なんでこんなに違うのかなぁ」ってなってしまうんですよね。

今となれば、教室は一つ一つみ~んな違う!っていうことが良く分かるんだけど。

この時は、今、思い出しても辛かったなぁ。今みたいにあんまり友達もいなかったし、それに、その数少ない友達はポアントで出るとなると、本人に「あなたと私とどこが違うの?」とも聞けないしね。

去年まで一緒にバレエシューズで踊ってた人たちが、ごっそり抜けて、一人だけおいてきぼりを食ったような、そんな孤独な気持ちでした。

舞台を重ねる (6)-初めてのミニオフ

「そっか、私はもっとバレエをやりたかったんだ!」と気づいた私は、「週2回を確保する手だて」を考え始めました。

当時は、特別にベビーシッターさんをアレンジしない限り(>って事情は今も同じだけれど)、火曜日の午前中、水・金の夜しかレッスンに行けませんでした。なので、その曜日にとびこみの仕事や残業が入ってしまったり、Qがカゼをひいたりすれば「あきらめる」しかなかった。水曜日はもともと残業になる確率が高かったので、水曜日は「行ければらっき~!」状態だったので、この3つの枠だと「結局週1」になってしまうことが多かったんです。

そんな中で、「大人から始めるクラッシックバレエ」の「掲示板」に職場から近いお稽古場の「体験レッスン」のお知らせが出たんです。あらま、こんなご近所に教室があるなんて知らなかった。ここのレッスンなら、水曜日のレッスン、N教室に行くとすると職場を6時に出なければならないけど、6時40分くらいまでOKだわ・・・。わずかな違いだけど、この違いが大きいこともある。

という訳で、行ってみました。そしたら同じ掲示板を見てもう一人体験の方がいらっしゃいました。で、そのカキコミをされた人と3人でレッスン後にミニオフ・・・。

いや~、楽しかったです。お料理もワインも美味しく、バレエ談義に花が咲きました。

ネットって、こんな風に地理的にはこんなに近い場所ですれちがっていて、ネットがなければ一生出会うこともなかった「バレエ好き」同士を出会わせてくれるんですね。すごいな~と思いました。

チケット制もあるということだったので、その教室にも何度か行きました。とても楽しく質の高いレッスンでした。ただ、途中でチケット制は廃止になったので、その後は行けなくなってしまったんですけれど。

実は、私、そこで強烈な「モダン体験」させてもらったので(>改めて書きます)、「入門」も考えたのですが、それじゃなくてもすでに「教室」を2つカケモチしてるのに、「教室」系をもう一つ増やすのは、事態があまりにも複雑になりすぎるので、諦めました。とても残念でしたけど・・・。(>今もちょっと後悔が残るのですが)

ちなみに、この時の体験レッスン・ミニオフに参加されたGさんは、この時に私と出会ったことがキッカケで、結局、R教室に入門されました。Gさん、この近所で教室を探していたんです。そして、この体験レッスンをした教室のスケジュールよりR教室のスケジュールの方がGさんの仕事との関係で都合が良かったので・・・。

Gさんとは今もR教室でレッスンメイトとして互いに励まし合いながらバレエを頑張っています。普段は別の日にレッスンしてるけど、時々、一緒になるとちょっとお茶して(>お酒?)帰ります。ネットが広げてくれた不思議ですてきな「縁」です。

舞台を重ねる (5)-ネットで広がる新しいバレエの世界 

りっくさんの主催するサイト「大人から始めるクラッシックバレエ」
(http://www2u.biglobe.ne.jp/~rickey/)は、今でこそ、毎日大変なアクセス数を誇るサイトですが、私が初めて訪問した頃は、もっと規模も小さく、訪問する人も限られていて、アットホームな感じでした。(>もちろん今もりっくさんがこまめに管理していらっしゃるのでアットホームであることに違いはないのですが)

で、私は、そこで、かなり自分の中の「うっくつした思い」をぶちまけさせてもらちゃったんですね~。実は、自分の中でバレエに対してかなりごちゃごちゃしていたんですよね。

やっぱり教室を変わって、T教室みたいにはみんなになじめなかったから孤独だったし、発表会のやり方もすごく違うし・・・・。

掲示板のみなさんから、本当に心優しいレスを沢山いただきました。

今思えば、差し障りもある内容も含むカキコミだったんですが、自分の中のやむにやまれぬ気持ちというか、そういうのがぐつぐつしてたみたい。

で、色々な方とのやり取りの中で、ある一人の方からいただいたレスで気づかされたことは(>自分のことなのに自分では気づいていなかった)、「私はバレエが好きで好きで今は仕事もあるし子どももいるしあんまり出来ないけど、本当はもっともっとレッスンがしたいんだ」ということ。

そうだったのか! 私の「うっくつした思い」の一番の根底にあるものは、「もっとやりたい!」だったのか!

自分のことって案外自分で「見えてない」ことがあるんですね。

で、「そうか! 私はもっとバレエをやりたかったんだ!」と、なんというか、そこが私の新たなる「原点」となりました。

それを契機に私はバレエにもっと「前向き」になっていきました。Qが少し大きくなったというのもあるかもしれないけれど、週1回がキープするのがやっとだったレッスンを、出来る時は週2回出るようにしました。

そうしたら、少しずつ色々なことが変わり始めました。

舞台を重ねる (4)-スランプ 

私とつきあいの長い方はごみなさんご存じなのですが、秋は仕事の繁忙期です。

2回目の発表会を終えて、秋の仕事の繁忙期に入り、残業が重なり、いつも予定している曜日になかなかレッスンに行けない状態になってしまいました。仕事のストレスや疲れも重なり、気力の方も落ちて来ていて、「今日は行けそう」という日でも「今日は疲れたから、まぁ、いいか・・・」となってしまっていた。

そんなこんなで、ふと気づくと2~3ヶ月レッスンが開いてしまい、せっかく前年はポアントでコッペリアに挑戦したのに、この年は冬のVa大会も出ずじまい。申し込み締切りがいつだったかも知らないまま・・・。

レッスンが開けば開くほど、ますます「敷居」が高くなるというか・・・・。それでも、ようやく重い腰を上げ、年末だったか年始だったか、細々とレッスンに復帰しました。

R教室の先生もN教室の先生も「しばらくレッスンを開けてしまった」ということで、「ゆっくり身体を慣らしていって下さいね」と、ゆっくりペースで指導して下さいました。ありがたいことです。

「大人のバレエ」界では言わずと知れた「大人から始めるクラッシックバレエ」(http://www2u.biglobe.ne.jp/~rickey/)のサイトに出会ったのは、そんなふうにようやくレッスンを再開した頃でした。

当時の私はネットのことが良く分かっておらず(>今もですが)、今振り返れば「ひやり」とするような危ないことも沢山していました。また、掲示板というものについても全然分かっていなかったので(管理人さんへのメールみたいなものかと思ってました)、初めてのカキコミの時は挨拶だけして「書き逃げ」状態で、掲示板でのカキコミにレスがついたり、そこで色々おしゃべりできるってことも分かってなかったんです。

私の最初のカキコミにレスをつけて下さった方もいらしたかもしれないのですが、本当に失礼なことをしてしまいました。(>ごめんなさい)

このサイトと出会って、世の中にはこんなにも沢山の大人のバレエ愛好者がいるんだ!ということを知りました。このサイトに背中を押されるようにして、「気を取り直し」、また定期的にレッスンが出来るようになっていきました。(>細々ではありましたが)

舞台を重ねる (3)-N教室での2回目の発表会

N教室での初めての発表会から、時は流れて、第2回目の発表会の「お知らせ」をいただきました。第1回目の時はとまどったけれど、今度は少し様子が分かったから大丈夫かな?

この時は夜の大人クラスからは2組出ました。 ポアント組とバレエシューズ組。私はバレエシューズ組。

発表会の練習に入ると、N教室では、ポアント組でない限り履かなくなっちゃうし、当時はN教室の舞台が近くなるとR教室にはご無沙汰、R教室の舞台が近くなるとN教室にはご無沙汰…となっちゃう状態だったので、N教室の舞台が近くなると数ヶ月ポアントを履かない生活になってしまっていました。

2回目の作品は、N先生の振り付けで、すっごくステキだった。私、この作品今でもすごく好き。最初、3角形に並んだ9人(だったと思う)が、夕日を見ながら、3角形のまま後ろに下がって行くところから始まります。照明も夕焼けっぽくて、衣裳も夕焼けっぽくて、音楽もまた良かった。

この作品はすごく好きだった。

ぽつぽつと話せる友達も少しずつ出来、初めての発表会の時よりは、教室になじみつつあったとはいえ、でも、やっぱりまだまだ最初にバレエを習ったT教室の発表会のような「一体感」からはほど遠く、自分が「みんなから浮いている」ような感じはぬぐえませんでした。

まぁ、これ、相変わらず、私の場合、所属クラスで普段一緒に練習している人と、発表会で踊る人のメンツが違っている(>普段初等科で練習してるけど、一緒に出る人は初心者クラスで練習してる人が多かった)という「物理的」な問題もあったとは思います。

そして、私自身まだ、「教室のしくみ」とか「雰囲気」とか「慣行」とか、そういうのがよく分かってなかった…。それでも、さすがに、「発表会前はレッスンを週2回にする」というか、「週1回」ということで入門したけれど、発表会前は「週2回」 のお月謝にしていただく、という風にだけはしました。N教室では、「今月は週3回で」とか、「今月は忙しいのでチケット制で」とか、そういう「融通」がすごくきくんですけど、そういう一つ一つのことも、「分かる」のに案外時間がかかるものです。長くいる人には当たり前のことでも、新人にはよく分からない。

Qもまだ小さく、相変わらず忙しい中での出演だったので、自分の心に「余裕」がない…というのもあったでしょう。この頃の私は、自分の回りを色々な物がざ~ざ~と流れていくのだけれど、日々の仕事をこなし、Qを保育園に送り迎えし、Qに食事をさせ、Qと遊び、眠らせ…という、そのことだけでもかなり「手一杯」で、自分の回りを流れていく物が「目に入らない」状態だったなぁと思います。

だから、きっと、教室のみんなや、一緒に踊った人からすれば「謎」の人だったと思う。

しかも、私、「私」というスケールで見れば、1年中コンスタントに週1をキープするためにすごく「頑張っている」んだけど、N教室の人から見れば、「秋・冬はほとんど来ない人」で、「発表会前になると突然来る人」だったんだよね。(>最も嫌われるタイプかも…)

秋・冬はR教室のVa大会の練習があったから、そっちに行くと、どうしてもN教室に顔を出す余裕がなかったんです。

そんな感じで、自分の方からも「壁」を作っていたこともあるし、まわりも多分私に不信感を持ってただろうし、この時の作品もとても大好きな作品だったけど、自分とみんなの間には、ベールが1枚かかっているような感じで踊っていたかもな~と思います。大好きな作品だっただけに、ちょっと残念…。

ただ、もう一つ言えることは、当時は、一緒に踊っていた人たちも「大人から」組が多かったので、「余裕がなかった」ということ。一緒に踊るって、「一緒に踊る技術」が必要なんだよね。一応、自分の振りは押さえた上で、まわりのことも「気にしながら」「感じながら」踊るって…。舞台経験もある程度重ねないと、そういう「技術」って身についてこない。

私にもそういう「技術」が不足していたし、みんなにもそういう「技術」が不足していた…というのもあるかなぁ…と思う。(>違っていたらごめんなさい)

たとえば、T教室の子ども達なら「自然に」身についている、「後列の人が合わせる」(後ろに目はないから)というようなことも、前列の人がちょっと間違った位置に立ってしまった時に後列の人が「調節する」ということはせず、「あれ? ここでいいんだよね!」「間違えたのは前列の人よね」というようなこと…。

今となれば、「そういうことを分かる」って時間もかかるし、それも「技術」なので身につけるのは大変なんだ(>もちろん私がそういうこと出来てた訳じゃないけど。そして今も出来ないけど)、と思うけど、当時の私は、けっこうそういう一つ一つに傷ついてしまっていました。

「大人のバレエ」って、そういうところにも隠れた「ネック」があるんだなぁと思う。