イギリス・バレエ・ライフ (8)-タレント・ショウ

隣の教会の教室の子ども達が「タレント・ショウ」に出るから良かったら見にきてね…と、プリントをもらいました。イギリスのバレエ教室の「舞台」って是非是非見てみたいって思ってたので、行ってみることにしました。

これまた家からかなり遠いところだったので、地図をよぉっく調べて、Qを連れ、ちょうど来てくれていた弟のガールフレンド(今は義妹)にもナビとして一緒に来てもらいました。

いやぁ、「タレント・ショウ」って・…。日本で言うと「NHKのど自慢」をずっとださくしたみたいなやつ? 感じとしては、映画『サウンド・オブ・ミュージック』に出てくる音楽祭をもっとずっとださくした感じでした。歌だけじゃんくて、色々な出し物があります。

でもね、こういう催しが、ちゃんと「タレント(才能)」発掘の場所になっているし、「芸能人」を目指す人にとって、「○○タレント・ショウ」で入賞っていうのはちゃんとした「経歴」になっていくんだろうなぁ。

「芸能」の世界と言っても、そこにはすごく「階層性」があって、それこそローザンヌみたいなものから、こういう「地元密着型」のものまである。そして「芸人」の世界もロイヤルで踊るような人から、場末のミュージック・ホールで踊る人までいる。この「タレント・ショウ」は、そういうどっちかというと「下」の方の「芸人」発掘の場っていう感じがしました。

会場もだだっぴろい体育館みたいなところにパイプ椅子で、客層もあんまりミドルクラスっぽくない労働者階級風の人が多い。

教会の隣のバレエ教室も、通ってくる子ども達の親の階層は、ミドルクラスの中から下、さらにその下のワーキングクラスっていう感じなのかなぁ。で、NBTの子どものクラスのパフォーマンスなんかだと、日本のバレエ教室の発表会(ほどは派手ではないと思うが)のような雰囲気なんだろうが、こういう町の教室の子が舞台に立つとな
ると、ずっと違った雰囲気になります。

うちの教室の出し物は、小品を子ども達が踊るっていうものでした。衣裳もレオタードにちょっと加工した感じの簡単なもの。子ども達は一生懸命に可愛らしく踊っていました。

お金持ちの家の子のバレエとお金がない家の子のバレエ、純クラッシックな世界、あるいはコンテンポラリーにしてもアカデミックな感じの世界…。そういう踊りの世界とは別に、すごく「庶民」のレベルの「ごちゃごちゃした」「垢抜けない」踊りの世界がある。そこにはそこ独特の猥雑な活気もあったりはするのだけれど…。

イギリスのバレエの世界は、私はほんの垣間見ただけなので、よく分かってはないんですが、非常に階層性があり、旅行者としてオープン・クラスに出ているだけ、ロイヤルみたいな一流バレエ団の舞台だけ見ているだけでは決して見ることのできない、長くイギリスに住んでみないと「見えない」世界がある…って思いました。

次にイギリスに長期に住む機会があったら、ターム制の学校に所属して、子どものクラスなんかも見学させてもらったり(出来たら子どものクラスに参加させてもらったり)して、イギリス・バレエ事情をもうちょっとちゃんと把握してみたいなぁって思ってます。

ちなみに地図をしっかり調べたはずが、随分と道に迷い、あちこちで人に聞きながらようやくたどり着きました。で、帰り道、何度も何度もパッシングされて、弟のガールフレンドに「なんでかしらねぇ」と言うと「初心者だからってバカにしてるんじゃないですかぁ?」とのこと。きっと私の運転がトロいからなのね~と思ってたのですが…。

な、な、なんと! 実は、ライトつけずに走ってたのよ! こわいよ~! 道路には灯りがついてるから自分はライトつけてなくても困らない。後で友達にこのことを話すと、「あのさ、初心者はパッシングされたら、まずは自分に悪いところがないかよぉっく反省しようね」と言われてしまいました。

イギリス・バレエ・ライフ (7)-燈台もと暗し 

私達が住んでいた寮の隣は教会でした。私たちの寮がそもそも、その昔、その教会によって寄付された建物だったんです。

で、ある日なんでだったかいつもより早く家に帰ったんです。そしたらおだんご頭のレオタード姿の女の子たちがわらわらと教会から出て行く…。あらら? ひょっとしてお隣の教会でバレエ教室やってる?

イギリスでは教会ってコミュニティ・センターの役割も果たしているんですね。で、隣の教会で水彩画だのロシア語だの教えてるのは知ってたんですが、バレエを教えてるとは知らなんだ。

で、そうこうしているうちに、近くのスーパーに「大人のジャズ・バレエ教えます」の張り紙が…。イギリスでは、新聞の売店やらスーパーの売店の「掲示板」というのも重要な情報交換の場。不動産情報や車の売り買いの情報なんかもよく出ています。

それで、とりあえず行ってみました。そしたらね~、生徒が私1人だったのよ。で、「バレエの部」と「ジャズの部」に分かれてて、最初のバーはバレエ。フロアになるとジャズの動きが入るって感じだったかな? バレエの部分はなんとかついていけるんだけど、ジャズの方になるととたんに動けない…。

それはともかく、「生徒が集らなくてクラスが成り立たないかもしれないので、良かったら10代の子たちのクラスに来てみる。すっごく上級だけど…」と言われました。「すっごく上級」に恐れをなしたが、とりあえず行ってみることに…。

10代の半ばぐらいの女の子が2人という小規模クラスでしたが、とりあえず一緒に動いてみる。先生は「あら、あなたグレード○ぐらいはあるわ」と驚かれていました。多分イギリスで大人でバレエを始めて、グレード○(残念ながらなんだったか覚えてない)まで行くのって大変なことなんでしょうね。日本だったらそんなことないと思うけど。

ここはIDTAという、RADよりはワンランク下というか、あるいは目指してる物がちょっと違う協会のメソッドに基づく教室です。だからバリバリクラシックというよりは、もうちょっとマルチにダンスが出来る教師を養成してるって感じです。

クラスは本部から送られてくる「シラバス」に沿って進みます。ちょうど試験の直前だったので、ほとんど「試験対策」って感じで、バーも当日の試験で出るもの、フロアも試験で踊るアンシェヌマンでした。

女の子たちはバーからポアント履いてたので、先生が「すっごく上級」とおっしゃる通りに「上級」のクラスだったのかもしれません。でも、日本の10代半ばだったら、もっと踊るなぁ…という感じ。

ただ、日本の10代半ばの子たちが、「えいや!」と色々な技が出来ても、イギリスでやってるみたいに「ていねいに、ていねいに」同じパを「くりかえし」「きちんと」「モノにしていく」っていうような練習を(部分的にでも)重ねているかっていうと、必ずしもそうでもないかもしれない。きちんと積み重ね方式のところももちろん沢山あると思うけれど。

こういう「ゆっくり」の練習を重ねた上で、「身体の条件が良く、素質のある子たち」だけが、専門教育に入り、徐々に難しい技にもチャレンジしていく…それがイギリス・システムなのかしら。

2人いる子のうち1人は確かに「それなり」に上手でした。彼女はフルタイムの学校に合格して先生への道を進むようでした。もう1人の子は「3歳からやってる」にしては「ちょっとなぁ」とも思ったが、ま、日本でも「小さい頃からやってる子」みんなが上手な訳じゃないもんね。

ITDAの方がお月謝とか受験料も安いみたいで、RADの学校に習いに来る子供達の階層差というようなものも、あるいはあるのかもしれないです。RADの方は身体の条件もとても厳しいみたい。ITDAの先生は主要な専攻が「バレエ」じゃなくてむしろタップだったりコンテンポラリーだったりっていう人も多く、そのためっていうのもあるかもしれませんが、スタイル的にも必ずしも「バレリーナ!」って感じじゃない先生も多いんですよね。

実際、この教室を主宰しているア○先生も、助教授のヘ○ンも、バレリーナにしては、ではなく、普通人としても「太目」、というより「太い」だった。少なくとも日本人の基準からすれば・…。タップとかの場合、こういう体型の方がいいのか
なぁ…。そんなこともないと思うけど、いつだったかネットでレエ学校を探した時、バレエよりタップなんかの方が主流の学校の先生達の写真が全員「太目」でした。

でも、まぁ、この教室に出会ったことで、「かけもち」によって「なんとか週1回」をキープできるようになり、とりあえずは良かったです。

そうそう、この教室で助教をやっていたヘ○ンとは、後にMTSというやはりMにあるシアター・ダンス系の学校で再会することになります。バレエの世界って狭いですねぇ。

イギリスでは色々なことをグレードで計るので、たとえば、NBTのワークショップに出た時なんかも、バーやフロアのレベルを決めるために、まず、参加者のグレードを言わされます。で、私は、いちいち「大人から始めたんだけど、10年以上やってて、そこは大人から始めた限界はあり、ちゃんとは踊れないけど、そこそこは踊れます」
などとくどくどと言い訳がましく説明しなくちゃならないのね。なので、いずれグレードを取ってみるのもいいかなぁと思います。シラバスに沿って体系的に勉強してみるっていうのも、バレエを体系的に理解するのに役立ちそうだなぁって思います。

イギリス・バレエ・ライフ (6)-個人レッスンその後の顛末 

ところが、家に帰ると実は大変なことになってたの。

実はこの時Qは水疱瘡にかかってたんですが、これ、通常はなんていうことなくケロっと治ってしまう病気なんだけど(医者も3日もすれば治るって言ったし、保育園の先生も「あ、水疱瘡ね。3日くらいしたら出てらっしゃい」って感じだったので)、たま~に、「菌がいたずらするplay a trick」ことがあって、色々面倒なことになることがあるらしいのね。

元気だったし、ほとんど治りかけたし、たまたま母が遊びに来てくれている時だったので、「この機会に」と思って「遊んで」帰ったら、その日の昼間突然「おばあちゃん。ぼく歩けない」と言ったそう。でも、元気に床に座って自動車のおもちゃを動かしたりして遊んでいるし、本当かな?と思って立たせてみると立てない…。

母の方は大慌てで寮の中の他の部屋の人のドアをノックして助けを求めたそう。1歳の娘を連れて留学してる仲良しのパレスチナ人母学生が、「私は今から授業だから連れていってあげられないけれど」と時間が空いてるトルコ人を見つけだし「あんた、これこれこうなんだからこうしなさい!」と指図してくれて、そのトルコ人のお兄さ
んが医者につきそってくれました。(そのあ兄さんは後から「病気が治りますように」ってお守りもくれたりして、本当に優しい人だったなぁ。寮のみんなにも本当に助けられました)

で、近所の医者からは「熱のせいだと思うけど、明日になっても歩けなかったらまた来なさい」って言われたそうで、様子を見てたんですが、結局翌朝になってもQは歩けるようにならず(元気は元気だったんですが)、医者に連れていくと、すぐ大きな病院に紹介状を書いてくれ、その足でその病院へ。しかし、その病院では空き室がな
く、また別の病院に行ってそのまま入院することになりました。

結局、10日間ぐらいで歩けるようになり本当に良かったんですけれど、そんなことがあったので、「また来週」という個人レッスンは当然のことながらキャンセルし、「退院したらまた電話します」と言ったものの、その後そのまま立ち消えになってしまいました。ちょっと心残りです…。

「Qがこのまま歩けなくなったらどうしよう」って本当に心配でしたが、ほんと、たまたま母が来てくれてる時で助かりました(>私、悪運が強い女と呼ばれております)。水疱瘡なので「うつる」病気だし個室でしたが、費用はすべて無料で、「病気になった時お金の心配しないで治療に専念できるってなんていいんだろう」って思いました。枯れたりといえどもやっぱりイギリスは「福祉国家」です!

私も結局そのままQの退院までずっと病院に泊まってたんですが、家族用のシャワー室なんかもちゃんとあったりして、GNPだけでははかれないイギリスの「豊かさ」のようなものも感じました。

入院した日は近所の医者→近所の大病院→遠い大病院と移動したり、それぞれのところで検査なんかもあって、落ちついたのは夜の11時くらいだったんですが、「お母さんも疲れたでしょう?」って紅茶をいれて持って来てくれたり、そういうところの心遣いがとても細やかで、ホロリとさせられました。

他方で、「ひぇ~、ほんとか~!」と思うようなこともあったんですけどね。イギリスの病院の食事は子どもと言えど、ちゃんと「本人が」「チョイス」出来るんです。この点は「さすが!」と思いました。

でも、「今日のメニューは○○と・・…××だけど、どれとどれがいい? 2つ選んでいいよ」と言われてQが「チップス(じゃがいものフライです)とスパゲティ」と答えたら、「はいはい」とお皿によそってくれたんだけど、その「スパゲティ」はほんとに「スパゲティ」だけの「つけあわせ」のスパゲティで、「これじゃ、炭水化物ばっかじゃないか~! 栄養指導はしなくていいのか~!」と思ったんですけど、ま、この「自己責任」ってのが、イギリスなんですよね~。

うちはたまたま母が来てくれてたので、お弁当作って届けてくれたりして栄養補給できたけど(>いやいや、母にはほんとお世話になりました)、病院食でこんな栄養の偏ったもの出していいのか~!!!!(>イギリス!)

イギリス・バレエ・ライフ (5)-個人レッスンに挑戦! 

留学中は、毎週1回ある図書館に通ってコツコツと史料を読み続けてはノートを取っていたのですが、その図書館の隣にミュージック・ショップがありました。お昼を食べに出たついでなどに良くそこに立ち寄ってはバレエのビデオなんかを購入していました。

で、そこに「掲示板」のようなものがあり、色々な人が自分で作った「宣伝」を貼っていけるようになっています。プロ・ミュージシャンのオーディションのニュースなんかものっていますし、「ピアノ教えます」といった類のものものっています。

そんな中に「バレエの個人レッスンいたします」という宣伝をみつけました。バレエの先生としての資格や経験が書いてあって、自宅で「1時間○ポンド」で教えます…とのこと。いくらだったのかなぁ…。よく覚えてないけど、多分5~6ポンド。10ポンドはしなかったんじゃないかなぁ。当時のレートで1000円からせいぜい高くても2000円ぐらいだったような記憶です。

「この際、こういうのを経験するのも良いかも・…」と思い切って電話をかけてみました。まずは日時を設定し、道順を聞く…。丁度母が遊びに来てくれている時だったので、大学の帰りに寄り道して帰ることに…。

私は「若葉マーク」(イギリスでは緑色のL字マーク)ドライバーなので、地図と首っぴきで、道順を何度もチェックしてそのお宅に伺いました。

普通の住宅街の普通のお宅。そのお宅の前には駐車できず、適当にスペースを見つけて駐車したんですが、急な坂道だったので、ハンドブレーキを何度も確かめたのを覚えています。

先生は、40代か50代くらいかなぁ。物腰はバレエっぽかったけれど、服なんかはちょっとシャビー(薄汚れてるっていうかくちゃくちゃっていうか、あんまりパリっとしてない)な感じです。

レッスンはごくごく普通のお部屋にポータブルのバーを置いてやります。そのお部屋も物が床にごちゃごちゃと置いてあったりして(他人の家のことは言えた義理じゃないんだが)、イギリス人の家にもこういう雑然とした家があるのか~(普段は「およばれ」していくからちゃんと片してあるんだろうけどね)、とヘンな感慨を覚えました。

先生は、なんか「アンチョコ」っぽい本を見ながらバーを組み立てて行きます。う~む、ここでもやっぱ「アンチョコ」かぁ…。イギリスのバレエの先生と「アンチョコ」の切っても切れない関係ってのは、すごいもんがあるぞ!

個人レッスンは1対1だから、やっぱ疲れるわ~。細かい所はよく覚えてないんだけど、個人レッスンだと、普通のレッスンよりずっと「注意」してもらえるなぁと思ったような記憶があります。イギリスの「大人クラス」は個人的注意は「なし」っていう方が基本形だから。

「あなたはアチチュードがきれいだから、次のレッスンまでにアチチュードを沢山使ったアンシェヌマンを考えておくわね」「音楽も何かステキなのを探しておくわ。日本的なものなんかも取り入れてもいいわね」と言っていただいて、次回のレッスンの日時を決めて別れました。「私だけのためのアンシェヌマンなんて、ちょっとステキ」なんて思いながら帰路につきました。

イギリス・バレエ・ライフ (4)-怒り心頭に達す!!!! 

そんな訳でNBSとSMBSをカケモチしつつ、何とか週1回のレッスンを細々と続ける日々が続いていました。

しかし!!!!!

ある日レッスンに行くと、「今日はRADの子ども達の試験のことで忙しいからテープかけるからみんな自習してて。どうせいつも同じなんだから分かるでしょ?」と、先生はあたふたとテープをしかけて別室に消えてしまったのでした!

な、なに? これ?

バレエは「子ども中心」…。それは良い。それは仕方のないこと。

でもさ、これはないんじゃない? アンフェアだよ! たとえば、「来週は子どもたちのRADの試験のことで忙しいので、申し訳ないけれど大人のクラスはキャンセルさせてくださいな。もし、自習でも良いという方がいらっしゃればどうぞおいでください。テープをかけます」って、そういう風に言うならいいよ。でもさ、なんなのよ! これって!

そっちの都合でレッスンをキャンセルするんだから金返すとか、せめて「謝る」ぐらいしろよ~!

みんなで思いきり腹を立て、レッスンというより自習が終わって外に出てから輪になってぶ~ぶ~文句を言い合いました。「ひどい!」「アンフェア!」「金返せ!」 「許せない!」「バカにしてるよね!」って。

このクラスの大人ってほんと踊れる人が多かったの。だからよけい「ひどい!」って思った。こんなに踊れる人たちに「ちゃんと」教えないことにずっと腹を立ててたから。

「私けっこうあちこちで練習してるけど、大人でこんなに踊れる人の多いクラスってないよ。みんなこんな上手なのに、この扱いはひどい! もっとちゃんと教えてくれればみんなもっともっと上手になれるにに!」って私も思いきり言い散らした。そしたら、みんなは、”You are kind.”って言ってたけど…。(誉められたら”You are kind.”って言うのかぁ…って思ったりしたのだった)

で、このクラス時々、「時間ないからこれは片側だけ」って、バーも片側だけの時があったのね。私これもどうも気持ち悪くて…。

そんなことがあって「不愉快」だったので、もうこの教室は「更新」しないでそのままにしてしまいました。クラスのみんなは好きだったけど…。

「大人を教えたくなければ教えるな~!」「教えるならちゃんとやれ~!」と思いました。

ただ、ずっと後になって(2年間の滞在を終えて帰国してからずっと経って)、NBSが大人のクラスを閉じてしまった時、「どんなにひどいクラスでも(NBSのクラスはとても良かったけどね)、大人は教えたくない先生が教えるとしても、それでもやっぱりクラスがないよりはあった方が良いのだろうか…」とも思ったけれど。

でも、このクラスは私のバレエ人生「最悪のクラス」でしたね。大人に子どもと同じ情熱をささげなくてもいい。だけど、大人に「○%」のエネルギーと時間を割こうってきめたら、その「○%」の枠内で「100%」誠実にやってほしい。

どんな仕事でも全部を完璧には出来ない。だから、自分の時間やエネルギーを「配分」する訳です。その「配分」の中に「大人のクラス」っていうのを置くならば、それがたとえ全バレエ教育の0.1%であっても、その0.1%は「100%で」、つまり、0.1%をちゃんと0.1%に、決して0.05%とか0.01%とかにしてほしくない…。

それをやってもらえない教室には生涯二度と通うまい…。大人に「いやいや」教える教室には絶対に行くまい。大人を「バカにする」教室にはビタ一文払わんぞ!

…そう固く決心したのでした。

イギリス・バレエ・ライフ (3)-「週1回」という制約

そんなこんなで、NBSに週1回通っていましたが、週1回だと、たまたまその曜日にセミナーが入ったり、あるいはレポート提出の期限が近かったり、体調が悪かったりして1回あいてしまうと、2週間も間があいてしまいます。

それで、昼休みなどに大学から教職員用に開かれるヨガやエアロビのクラスなんかに出たりしました。エアロビは、私、どうも今一つ隙になれなくて、でも、ヨガの方は2タームぐらい通ったかな。こちらは、「ヨガと私」の方に改めて書こうと思います。

MPhilは1年間のコースなのですが、私は結果的には1年間では論文を書き上げることが出来ず、その後もライティング・アップ・ステューデントという身分で論文の完成のために勉強を続けました。本当は1年で論文を書き上げ、残りの1年は、大学院時代からの研究の蓄積とMPhilを元に「本」を書きつつ、新しいテーマへの挑戦を計
画していたんですけれどね。

それはともかく、週1回の授業というのは最初の1年間というか実質半年ぐらいで、もう出なくて良く、あとは論文の勉強のみ…ということになり、週1のレッスンを確保するために、もう1箇所どこかカケモチできないかなぁ…と探し始めました。

「結果的には」週1になってしまったとしても、週2回レッスン日を確保しておけば、ちょっと気が楽だなぁと思って。で、同じくRADのこちらは、「お教室」(SMBS)を見つけました。こちらも大人のクラスは週1回でした。このSMBSとNBSの2つをカケモチしながら、何とか週1回を確保していました。週2回やることはめったになかったけれど、勉強に卿が乗った時、体調が今一つの時、「あっちに行けばいいや」って思えるのは、ずいぶんと気持ちの上で楽でした。

SMBSの方はRADの「趣味のクラス」用のシラバスにそってレッスンが進みます。レッスンメイトは再開組が多いようで、「かなり踊れる」人ばかりでした。「踊れる」人が多いんだから、もうちょっと注意してあげればいいのになぁ…と思うこともしばしば。でも、あくまでも、「趣味~」って感じでレッスンは進んでいきます。

パもほとんど毎回同じ。テキストの中でバーもアンシェヌマンも「指定」されていて、それをRADから送られてくるテープに合わせてやるんです。だから、テープの中に「プリエ、○分の○、○小節」みたいなナレーションが入るの。で、先生は「ちょっと待って」なんて言って時々テキストをチェックする。「予習してこいよ~!」と思ってしまうこともあったなぁ。

先生自体は、多分自分も昔かなり踊れた人ではないかと思う。きっとどこかでプロだったんだと思います。身体もとてもキレイだし、動きがとても優雅です。顔も美人で華がありました。

このスクールも地元ではそうとう「プレステージ」のある学校です。RADの試験にも毎年大量に合格させています。このRADの試験の合格率を上げるのも、RADの「お教室」の場合、「至上命令」になります。

でも、まぁ、RAD本部が厳選した音楽と、専門家が考え抜いたバーやアンシェヌマンは確かに良く組み立てられていて、振り自体はなかなか楽しめました。

イギリス・バレエ・ライフ (2)-クラッシック・ダンス部 

さて、本格的に学生生活も始まりました。リサーチ中心の学生の必修の授業は週1回 しかありません。それも夕方から2コマ。これは、大学院にはパートタイムの学生が沢山いるからです。パートタイムの学生の多くは仕事持ちで、仕事が終わってから授業にかけつけます。パートタイムの学生はフルタイムの学生が1年かかってやることを2年かかってやる。そして授業料も半分。良い制度だなぁと思います。

そんなある日、スチューデント・ユニオンのビルのサークル用掲示板を見ていると、「クラッシック・ダンス部」のものがありました。この掲示板には色々なサークルが「お知らせ」を出しています。「フットボール」やら「ボート」っていうオーソドックスなものから、「環境問題研究会」などのお勉強系のものもあれば、「ブディスト・ソサエティ」などの宗教関係のもの、「インドネシアン・ソサエティ」など出身国別(あるいは地域研究?)のもの…さまざまな団体があります。

で、肝心の「クラッシック・ダンス部」の「お知らせ」は…と言うと、「活動はNBSの大人クラスへの参加で、メンバーだと言えば特別割引がある」というもの…。で、次回からは「クラッシック・ダンス部のメンバーです」と言って特別割引してもらってましたが、レッスンの場で「M大学のクラッシック・ダンス部の人はちょっと集まって」みたいなことも全くなく、レッスンに来てる人の中で学生さんっぽい人をつかまえて聞いてみたりもしたんだけど、なんだか「実体」は分からずじまい…・。

ま、安くレッスンが受けられたので良いのですが、このあたりの「サークル活動」のあり方もなんだかイギリスっぽいと言えばイギリスっぽい。要するに、「サークルだ」っていうことになれば、「特別割引」してもらえるんだから、「実体」はともかく「サークル登録」しちゃいましょ!ってことだったのかな?

イギリス・バレエ・ライフ (1)-NBSでのレッスン

1994年夏のM大学における留学生のための語学コース参加中の「良く学び、良く遊べ」な生活の合間にも、私の頭の片すみにあったのはいつもバレエのこと。Qとこちらで暮らすことになった時、どこでバレエを習えば良いのか…・。

ロンドンではパイナップルで何度かレッスンしたことがあったけど、地方都市Mのバレエ事情については全く知らない状態でした。

で、イギリスで何かお店を調べようと思ったら、まずは「イエロー・ページ」(職業別電話番号帳)。市立中央図書館に行って「イエロー・ページ」のバレエ・スクールの項目を探しました。するとNBSというフルタイムのバレエ・スクールで大人のクラスも開講しているらしいことが判明。次に同じ市立中央図書館の芸術関係の本の置いてあるフロアに行き、バレエ雑誌をチェック。その結果やはりNBSに大人のクラスがあるという情報がありました。

NBSはM大学からも近いし、RADの学校だということだし、「イエロー・ページ」やバレエ・雑誌に載ってる情報を見る限り、かなりしっかりした学校のように思えました。で、まずはアドレス帳にしっかりと住所と電話番号を書き入れ、英語コース中に電話もしてみました。しかし、丁度その時は夏休み中で、9月の半ばから週1回大人のクラスが開講されているということが分かりました。イギリスでは大人のクラスでもかなり長い夏休み(ほぼ2ヶ月)があります。クラスは、バレエ初心者クラス、バレエ中級クラスの他コンテンポラリーとジャズ(だったかな?)がありました。

とりあえず、それだけチェックして9月に帰国。3月末まで仕事して、いよいよ英国に向けて出発。夢に見た英国暮しです。心配した母が、「落ち着くまで」と最初の3ヶ月くらい一緒に来てくれました。(世の中で良く批判される「母親を単身赴任先に連れてくキャリアウーマン」ってやつですねぇ)

さすがに最初の半年は新しい生活に慣れるのに精いっぱいで、バレエどころではありませんでした。「子連れ」であること「母子家庭」であることを考え、住居は大学の寮にしました。運良く、家族連れOKの寮に空きがあり入居できました。その寮は 「ミックスト」というのがポリシーの寮でした。すなわち、シングル、カップル、 ファミリーという点でも、学部学生、大学院生という点でも、また学生の国籍という点でも、色々な人々を「ミックスト」する。

大使館への登録やら免許の書き換えやら、ロンドンに出てやらなければならない手続きもいっぱいあったし、最低限の家具は揃っていましたが、鍋釜の類や食器を買ったり、TVを買ったり、TVのライセンスを買ったり(イギリスではTVを見るにはライセンスを買わねばなりません。買わなくても映りますが、違法行為なので摘発される
と留学生だし面倒です)…。

Qも最初のうち保育園に行くのを嫌がり、保育園への曲がり角で私の手を引っ張って「お家帰ろう」と言うのが不憫でした。私の仕事は子どもにこんな思いさせてまでする価値があるんだろうか…と考えこんでしまうこともしばしばでした。でも、Qも少しずつ保育園にも慣れ、なんとか生活が軌道にのってきました。R先生には2週に一度、面接していただき、あらかじめ提出した原稿をもとに色々助言をいただいていました。

夏休みに夫が来てくれて、その間に自動車を買ったり、教習を受けたりしました。イギリスには「ラウンドアバウト」という日本にはあまりないシステム(日本で言うロータリー)があり、「日本人がイギリスで起こす交通事故の80%はここで」というほど、慣れるまでは難しいシステム。でも慣れてしまえば、なかなか良く出来てるシステムです。

車もゲットして、生活が楽になったので、9月半ばを待っていよいよバレエの再開です。私は、QもいるのであえてPh.Dのコースには入らず、MPhilというコースに入りました。論文主体のマスター・コースで取らねばならない授業の数も少ないコースです。9月からはそちらのクラスも始まるので、忙しくはなったのですが…。

NBSのクラスは、半年近くレッスンがあいてしまったので、最初は初心者クラスに行きました。でも、何とかついていけそうだっし、先生だったかレッスンメイトだったかに「あなたは中級の方がいい」と言われ、次の週には中級クラスに出ました。中級だと、ちゃんとは出来ない部分もあったけれど、雰囲気がとてもバレエっぽくて、やっぱりこちらに出ることにしました。

フルタイムの名のあるバレエ学校ですので(プロ養成が前提)、そういうところでレッスンしてるんだ…という感慨もありました。更衣室も学生さん達のキャラクター用のスカートがかかっていたり、ポアントが何足もかけてあったりして、「バレエ学校~!」っていう雰囲気です。掲示板にはオーディションのお知らせなんかもいっぱいあります。フルタイムの生徒さんたちと更衣室で一緒になることもあります。みんな美しい…。

スタジオは天井がうんと高く、とても広い。もちろんピアニストさんがつきます。先生はムーブメントがとても優雅。動きが少し大げさなので、RADって言ってるけど、先生自身はロシア風の訓練を受けた方なのかしら。ピアニストさんもとても音楽的な方で、音楽的にして、かつ踊りやすい演奏をしてくれます。そして、いつも踊ってる私達を気にしながら演奏してくれるので、ピアニストさんと心を通わせ通踊る…という、本来のバレエのあり方も体験することが出来ます。バレエって本来、音楽を演奏する人と踊る人の「相互作用」なものだもんね。

細かい注意はしてくれないけれど、バーの各ステップの注意やアンシェヌマンの前の注意はきちんとして下さいます。この注意をいかに「自分で」生かせるか…がイギリスでのバレエ・レッスンの「勝負」ですね。

バーやフロアの組み立ては、とても優れていると思いました。身体が徐々に開いていくように出来ている。フィジカルにも考え抜かれている上に芸術性のある、とても楽しめるレッスンでした。アンシェヌマンも一度終わった後に非常に的確な注意を「一般的に」ですが、して下さるので、2回目に踊る時には「改善」がちゃんと感じられる・・。

でも、いくら自分で注意してても、自分1人の力で「正しい」やり方を身につけることはむずかしい・…。先生に個人的に注意してもらってはじめて、実は自分が「そっている」とか「お尻が出ている」とか、そういうのに気づけるんですよね。