「続ける」だけが目標の日々(4)-初めてのVa大会

そうこうしているうちに、職場から海外研修でイギリスに派遣してもらえることが決まりました。若い頃から留学したかったけど夢が果たせずにいた私は、少し迷ったけれど、大学院の「学生」の身分で留学することにしました。「客員研究員」の立場で研修に行くことも出来たんですが、あえて「イギリスで教育を受ける」という体験をしてみることにしました。

どこの大学院にするか、ということも、あちらに行く時に2歳半になっているはずの息子の保育園の受け入れ状況などとの兼ね合いも考えながら選ばねばなりません。海外研修の話が出る2~3年前にイギリスから客員研究員として日本に招聘されたロンドン大学のT教授が主催するワークショップでペーパーを読ませてもらった、という縁を利用して、T教授に留学先の相談に乗ってもらったりもしました。いくつかの大学と指導教授の候補をT教授があげて下さり、結局、ロンドンは避け、地方都市MにあるM大学に留学することになりました。

受け入れ先が決まってからは、車の免許を取ったり(いや、苦労しました)、奨学金に応募したり(イギリス政府の奨学金がいただけました)、あわただしい日々でした。1994年4月から留学予定でしたが、1993年の夏に開講されたPre-session English Courseにも6週間ほど参加しました。このコースはすごく楽しく、結局留学中はこのコースで出来た友達にずいぶん支えられました。妊娠・出産・育児と続きしばらく遊んでなかったので、Qを日本に置いての久々の一人暮らしで、思い切りはじけてしまい、いや~、よく遊んだ!。もちろん勉強もすごくしたけどね。

このコースで一緒だった友人たちは10月から本来のコースに入っていきましたが、私は一たん日本に帰りました。3月末まで仕事をして、また4月に今度はQと一緒に(夫は日本において)渡英する予定になってました。

という訳で、英語コースから帰国してからも、まだまだ色々とばたばたしてたんですが、その最中に12月に開かれるVa大会の「お知らせ」をいただきました。今考えれば「大胆だったなぁ」「無謀だったなぁ」と思うけど、当時指導して下さっていたY先生に「大人も出ていいんですか?」とお聞きすると「どうぞどうぞ」とのことだったので、出場することにしてしまいました。レッスンだって週1がやっとの状態だったのにね~。

しかも、その頃は大人は今みたいにはVa大会に出てなくて、結局大人クラスからの出場は私だけでした。レッスン回数も少なく、入門して日も浅かったのに…。かなり赤面かつひんしゅくものだったかも。でも、「やっぱり舞台に出たい!」という思いは強く、無理矢理出てしまいました。

踊ったのは、「白鳥の湖」の1幕のパ・ド・トロワの第一ヴァリエーションです。「何か踊りたいVaを探してらっしゃい」とのことでしたので、まぁ、主役は無理だろう…とソリストのVaをビデオなどで見まくって決めました。私がバレエを始めるキッカケを作ってくれたRADの先生やってる友人にも相談しましたが、「何が得意? ジャンプ? 回転? アダージオ? アレグロ?」と聞かれて、「うっ」と詰まり、「得意なものは何もないなぁ」と答えるしかなかった私…。その時、「いずれ得意なものは○○です」と言える私になろう…と固く決意しましたが、未だにないかなぁ。強いていえば「アレグロ」なのかなぁ。

当時は大人はレッスンでポアントを履かなかったので、私はバレエシューズでの出演。しかも、大人はレオタードに巻スカート(可)ということだったのに、私は、巻スカを買いに行く時間がなくて、結局レオタード1枚での出演という、まことになんというか今思い返すと「冷や汗もの」の出演でした。

Qも小さかったし、当時は本当に時間がなかったんですよね。身体も今思えばいつも疲れていたし。で、本番当日夫に西○スポーツの中に入っているバレエショップに巻スカを買いに行ってもらったんですが(いやいや、夫もさぞや恥ずかしかったことでしょう)、子ども用のしかなくて、とりあえず夫がそれを買ってきてくれたんだけど、先生に「これでもいいですか?」とお聞きしたら、「やっぱりヘン。なしで踊りなさい」ということになってしまって…。

実はすでに当時地元にもチャ○ットがあったんだけど、私はそのことを知らなくて、渋谷まで買いに出なくては…と思いつつ、その時間が作れなかった…。本当に思い返せば、「なんでそこまでして」「なにやってたんだかな~」という感じだけど、なんだか必死で夢中で駆け抜けてしまいました。留学前に一度舞台に立っておきたかった
んですよね。「怖いもの知らず」ですねぇ。R教室のVa大会の本番を見たこともなかったのに出演を決めてしまったし。まぁ、見てしまったらかえって出られなかったかもしれないんですが。上手な子どもたちのオンパレードですから。

英語コースで6週間ほどイギリスで一人暮しする前までは、私、激ヤセの影響が残ってて細かったのよね。でも、このコース中にしっかり元に戻ってしまいました。あの時気をつけて自分の体重のセットポイントをあのまま維持していれば、バレエ的にどんなに良かったろう…と思います。

その太くなっちゃった身体でレオタード1枚だからさぁ…。かなりお見苦しかったと思います。(>観客のみなさん ごめんなさい)

Y先生もきっと大変だったと思います。私が「出る」と言ったこと自体も、あるいは「え~!!!」っていう感じだったかも。だって私クラスで出席率一番悪かったと思うし…。自分でも振り返れば我ながら「え~!!!!」っていう感じですが、当時は無我夢中で周りのことなんか、全然見えてませんでした。「舞台に出たい」ただその一心で突き進んでました。私みたいなヤツが今自分のそばにいたら「なんだコイツ」って思うかも…。

大人の場合、R先生は生徒自身を(あまり厳しく)怒ることはないけど、生徒の出来が悪いと助教の先生が後で叱られるらしいし、Y先生が私のせいでいっぱい叱られちゃったんじゃないかと、申し訳なく思っています。Y先生には、ずい分と細かく指導していただき、また本番の時も袖で(心配そうに)温かく見守っていただき、本当にありがたく思っています。(>Y先生 ありがとうございました)

「続ける」だけが目標の日々(3)-たとえ月1回でも

R教室に通い始めたものの、乳児の世話はやはり大変で、レッスンには「超細々」通っていました。週1回なんて夢のまた夢。月1回も行けないような状態でした。それでも「ゼロよりマシ」と通い続けた日々。

レッスンに行けば、それはもちろん楽しい。あぁ、今日も来て良かった!と思います。

R教室は、基礎をすごくしっかりと見て下さる教室。そして、大人は大人のクラスがちゃんとある教室でした。オープンやカルチャーの「大人のクラス」に行ったことはあるけれど、「自分の教室」で「大人のクラス」に所属するのは初めてのことでした。

T教室では「えいや!」と難しいこともさせてもらっちゃっていたけれど、R教室では大人は丁寧に基礎を重ねていきます。「目からウロコ」のことも多く、それまでの自分のバレエが「力づく」であったことを思い知りました。

それらは、T教室にそのまま通い続けていても、いずれは気づいたことだったかもしれません。基礎を重ねて上手になるか、「とりあえず」やってしまって後から矯正するか…。

これは多分両面作戦で行くしかないのだと思います。どちらのやり方にもそれぞれの良さがあるように思います。

R教室の丁寧なレッスンを受けるうちに、少しずつ自分の筋肉が意識できるようになっていきました。脚も以前よりは上がるようになり(といっても今でも他の人よりずっと低い)、また上げ方も以前よりきれいな動きで出来るようになった気がします。

夫にもよく「見て見て、こんなに上がるようになったよ」と見せてたんですが、「R教室に行ってから上手くなったね」と言われました。

私は教室との出会いは「運命」だと思っています。私がT教室でバレエを始めたことも「運命」。そして新たにR教室に出会ったことも「運命」。そして、その後2年間のイギリス留学を経て、再びR教室と出会うんですが、きっとそれも「運命」だったのだと思います。

この時は夕方のクラスに出ていたのですが、お茶するような友達も出来ず、その点ではT教室がなつかしかったです。そりゃあ、月1しか行けないんじゃ、友達も出来ようがないよね。それでも、淡々と、細々と通い続けていました。

「続ける」だけが目標の日々(2)-断乳とバレエ再開 

妊娠・出産はきわめて順調だった私ですが、授乳でつまづきました。出産前日まで自宅で働いていたこと、退院したその日から自宅で仕事を再開したこと…が悪かったのかもしれません。原稿の締切りや顧客のお世話や…というのがあって、原稿書きや顧客の提出する書類チェックと顧客との電話でのやり取りというのを、すぐさま始めてしまったのです。

出産は重労働。やっぱり無理がたたったのかもしれません。乳腺炎というのになりました。夜中に突然寒気がして体がガタガタ震えだし、止めようと思っても止まらないんです。医者が見過ごしたけど胎盤が残っていたのか? このまま死ぬのか(胎盤が体内に残っていると死亡する)?と思いました。体温計を脇にはさもうにも痛くては
さめない状態。多分熱は42度とかそれ以上だったんじゃないかと思います。

翌朝、母乳マッサージをやっている所に行ってみると「乳腺炎」とのこと。乳房という身体の中のほんの一部、そして乳腺という細い細い腺がつまっただけで、あんな身体中がガタガタするほどのすごいことが起きてしまうんですね。

で、翌日からしばらくの間は毎日マッサージに通いました。医者に行けば即手術で母乳も止めなければならないケースだったんじゃないかと思います。マッサージの方のお話しによれば、今の人は栄養が良すぎて母乳も(乳?)脂肪分が高く、どうしても乳腺がつまりやすくなってしまうとのこと。乳腺ってそれまで使ったことのない腺だ
し細いので、通りも悪いんだそうです。

で、母乳の質を良くするために…ということで、「粗食」を勧められました。私はあの突然の「おこり」状態の恐怖が忘れられず、母乳がつまるのは高カロリー・高脂肪のものを食べるせい、と言われて、「食べる」のがこわくなってしまい、一種の拒食症状態になってしまい、ご飯(これはお薦めらしい)、白身の魚(を少し)、野菜類(とくに根菜類がお薦めらしい)というような食事。いや~、母乳出してる時ってカロリー消費量がすごいし、それなのに食べない状態なので、みるみる痩せていってしまいました。激ヤセ状態でした。この時は森下洋子さん並の体重になりました。

苦しかったです。でも、授乳自体は楽しく、マッサージのおかげで何とか乳腺炎ももちなおしました。「圧抜法」という「おっぱいに呼吸させる」方法があるのですが、これを2時間に一度くらいしてるとあまり乳が張らずに済みます。この「圧抜法」のおかげで産後8週間で職場復帰した後も、生後10ヶ月まで「働きながら母乳育児」を続けることが出来ました。

この乳腺炎のことがあったので、断乳まではバレエの再開はひかえました。運動で体温が上がるのが恐かった…。丁度Qが10ヶ月ぐらいの時にタイ出張が入っており、母乳マッサージの人からは「圧抜法してれば大丈夫よ」「1月以上の外国出張を圧抜法で乗り切って帰国してから母乳育児を続けた人もいますよ」と言われたんだけど、やっぱり恐くて断乳しました。

まぁ、現代医学的には断乳に丁度良いとされる時期で、お医者さまからは「これ以上は母乳も栄養がなくなるし、今やめるのが一番良いタイミングです」と言われました。

「まだまだ出てるものを止める」ということで、これはこれで大変で、3日間くらい高熱に苦しみました。が、まぁ、無事断乳に成功し、晴れてバレエ再開できる身になりました。

で、秋を待ってバレエ再開しました。Qが産まれてしばらくして職場のそばに引っ越したため、以前のT教室には通いきれないし、子どももまだまだ小さい…ということで、「一番近い」というのを最大の理由に(R教室のような立派な教室に対しずい分失礼かもしれないのだけど、その時は仕方なかった)R教室を選びました。事前に発
表会はチェックして、「絶対イヤ!」という教室じゃない…ということだけは確認しておきました。

大人のクラスの踊りについては、「幾何学的」な振り付けだなぁ…というのがその時の印象。でも、スッキリした良い振り付けだと思いました。

R教室とのつき合いは、だから実はすごく長いんです。Qの年齢とほとんど変りません。

「続ける」だけが目標の日々(1)-妊娠・出産とバレエ 

「夢のような日々(19)」にも書きましたが、妊娠が判明した段階で、レッスンをお休みすることになりました。妊娠中も続ける方もいらっしゃいますが、私の場合は、先生が「ダメ」という方だったので。その代り、「ヨガと私(5)」に書いたように、ヨガを続けていました。

妊娠・出産はとても面白い体験でした。妊娠中はいつも「謎の生物」をお腹の中に「飼ってる」みたいな感じで、すっごく不思議な感じ。「謎の生物」は私の感覚では「金魚」っぽくて(羊水に浮いてるから?)、なんとなくお腹の中で金魚が泳いでるみたいな楽しい感覚でした。

つわりもなく、体調は普段より良いくらいでした。妊娠中ということで「無理のない」生活を心がけていたのが良かったのでしょう。

出産も「痛くなかった」とは言わないけど、面白かったです。出産って、母子の初めての共同作業かも…。子どもの「出よう!」っていう意志、動きと、母親の「いきみ」のタイミングを合せる…。順調に進んでいたお産が途中一端進まなくなって、「少しお休みしていてね」と分娩室に置いていかれてしまったんですが、その間Qに「ちょっと休んだら息を合せて頑張ろうね!」と話しかけてました。

産まれる瞬間は、突然「ぶわ~!!!」と温かい奔流が体内から出てきた感じで、気持ち良かったです。その奔流に私自身も流されているような感じ。「お互い頑張ったね~!」っていう連帯感もあって、お腹の中にいる時からQのことは好きだったけど、私の中から出てきた瞬間からもっと好きになりました。

その後、看護婦さん(助産婦さん?)が、Qを洗ってから私の横にQを寝かせてくれて、「おっぱい含ませてみます?」というので、おっぱいを出してみると、Qは目も見えないはずなのに、「ぱくっ」とすごい勢いで乳首に食いつきました。「こいつは生命力が強い。きっとたくましく生きてってくれる」と確信しました。

私はマル高出産だったので、病院で産む選択をしました。産院で産む場合、自宅で産む場合は違うかもしれないけれど、病院で産む場合は、脚を固定されてずっと脚を開いてなくちゃならないんです。で、分娩台の上で思ったことは、「バレエやってて良かった~!」。身体の固い私は、もし、バレエやってなかったら、そうやって脚を開
き続けることもきっとキツかったと思うんですよね。バレエやってたおかげで、バレエやってるみんなよりは固いとしても、「バレエやってなくてその年になった私」よりはずっと柔らかくなってたはずなんですよね。

それにヨガをやってたのも良かったです。色々なポーズをすることは直前にはもう出来なかったけど、腕をひねるとか、そういう基本動作は直前までずっとやってたし、何よりも呼吸法が役立ちました。お腹の赤ちゃんに何よりもダメージを与えるのは貧血による赤ちゃんの酸素不足なんだそうなんですが、妊娠中は、仕事の合間にヨガの
深い呼吸をしたりってことを意識的にやってたので、血液の中にも酸素がいっぱい入ったんじゃないかなぁ…と思う。