イギリス紀行 (5)-ダンディ:その1(2004年8月)

ダンディはスコットランドではかなり大きな町ですが、日本のガイドブックでは取り上げられていることは少ないかもしれません。ここは昔造船や麻織物工業で栄えた町です。

ここで私たちは「ディスカバリー号」というのを見学しました。「ディスカバリー号」は、アムゼン対スコットの南極点到達の競争で有名なスコットが、あの探検に出発する前に船長として乗り込んだ船です。出航は1901年のことです。

スコットとアムンゼンの過酷な南極点到達の競争については、GRのThe Coldest Place on the Earthにも描かれていますが(「英語快読100万語」の の文献です)、この「ディスカバリー号」はそういう「探検」的な目的というよりは、「科学」的目的のための南極渡航のための船でした。

船には多くの科学者が乗り込み、南極における植物や生物の生態、磁気のありようなど、さまざまな科学的発見がなされました。非常に寒い中での化学の実験なんかも行われました。

理科の教科書に書いてあるようなことって、こういう「営み」の積み重ねの結果、発見されたことばかりなのですよね。もっと感動しながら勉強すればよかったわ。

今でこそ、南極ってどんなとこだかかなり分かっているけど(>分からないこともまだまだいっぱいあるんだろうけど)、そもそも、南極ってどんなとこ?って、誰も行ったことなければ分からない訳です。どんな生物が住んでいるのかも、どんな植物が生えているのかも・・・。どれぐらい寒いの?ってことも、どれぐらい広いの?ってことも・・・。

そういういろいろなことを、今われわれがちょっと図鑑や事典を調べれば分かるってのは、すごいことですよね。

そして、そういう発見のためには、船員たちを運ぶ「船」も必要でした。まだ体験したことのないような寒さに耐えられる船・・・それがなければ南極大陸に到達することは出来ない訳です。その船を作ったのがダンディの人々であり、その船が出航したのがダンディの港でした。

「ディスカバリー号」は、ケープタウンを経て、ニュージーランドに立ち寄り、南極海に入ります。途中、氷に閉じ込められて動けなくなったりもしました。科学者の船員たちは、長い厳しい船旅の多くの時間を研究に割いていましたが、彼らの精神的肉体的健康のため、音楽やスポーツも奨励されました。船にはオルガンなどの楽器や、スキーなどのスポーツ用具も積み込まれていました。

食事もけっこう良かったみたいです。「ディスカバリー号」の一つの特徴は、上の位の船員も下の暗いの船員も同じ食事だったということ。しかし、大勢の乗組員のための長い船旅のための食料は相当の量にのぼります。胡椒や塩の入っていた箱なんかも、「こんなに沢山あった」というのが分かるように展示されています。生きている羊なんかも持っていったみたい。当然そのエサも必要ですよね。

燃料の石炭もすごい量が必要でした。そして、石炭を釜にくべる続ける労働は大変過酷なものであったようです。科学者たちの探究心もすごいけど、こんな大きな船を動かし続けるために、石炭を釜にくべ続けた船員の苦労もすごいと思います。