ピアノと私 (2)-「才能があるかも」という誤解 

私がピアノを習い始めた頃は「音感がいい」(「音当て」が上手。聴音が得意)=「音楽の才能がある」という「誤解」がはびこっていた時代でした。

で、私はこの「音当て」というのが大変得意だったんですね。M先生の次につこうとしていたU先生は、「この子の音感は私なんかよりずっと良い。本当にうらやましい。私が教えるのはもったいないからもっと良い先生についたらどうか」と両親に勧めたのでした。

でも、私のところは母親が働いてたし、「良い先生」のとこまで電車に乗って連れていくことなんかは物理的に不可能だったので、そのままU先生のところでお世話になりました。

で、私最初のころはガンガン練習してガンガンものすごい勢いで教則本を飛ばしてたんですね。ところが飽きてきたのか、息切れしたのか、曲が難しくなってきてそう簡単には弾けなくなってきたためなのか、自分で思い出して見ても理由はよくわからないのですが、突然の「減速」。

「才能あるかも」から突然「普通(>普通以下?)」の生徒になってしまったのでした。「3歳で神童、4~5歳で凡人」ってあまりにも悲しくないかい?って感じですが。

この経験は私にとってもけっこう「心の傷」になってたりはします。

先生や親が「がっかり」してるのも何となく子ども心に感じて、でも、じゃあ、「再び心機一転頑張ろう!」というのでもなく、なんとなくだらだらとそのままピアノを続けてました。「4~5歳で挫折!」ってのも随分と「早熟」であったりはしますが、これが私の人生最初の挫折かな?