ピアノと私 (3)-「教則本の進度」=「上達」という誤解 

昨今では「今バイエル○番をやってます」だの「今ツェルニー30番の□番をやってます」ということが即「ピアノの上達の度合い」…と思う人もいないと思いますが、昔のピアノ教育はほとんどの先生が同じ教則本を同じ順番で積み上げて教えていたので、今何という教則本の何番をやっているか…ということが、「ピアノの上達」と受け取られていました。

もちろん、これに「真実」がない訳ではありません。教則本を弾き進んで行くことは間違いなく「上達」の道を歩んでいるのです。

でも、本当のピアノの上達は「何という教則本の何番を弾いているか」ではなく、「何という教則本の何番をどんな風に弾いているか」ということの方にこそ表れるのだと思います。

で、親たちも「○ちゃんはもうツェルニー30番をやっている」とか「△ちゃんは×年生なのにバッハのインベンションに入った」とか、そういうことをウワサしあったりして、それが子どもの耳にも入ってくる。

今の私なら「けっ!」と思いますが、子どもの頃の私は、そういうウワサ話に「私って進みが遅いのね(>才能ないのね)」と、何となく「無力感」を植えつけられていました。

私のピアノは弱冠4~5歳のころから、常に「無力感」の中でただよっていた…という感じです。(>く、暗い!)