ピアノと私 (4)-「ピアノ≠音楽」という公式 

小学校1年生の時、引越しをすることになり、U先生のもとを離れました。次についたのはU先生にご紹介いただいたY先生。

このY先生のもとには、後に小学校5年生の時に「M新聞音楽コンクール」で全国優勝を果たすことになるSさんがいました。彼女は私より1歳年上。発表会の時、1つ上にとてつもなく上手な子がいる。年齢が1つしか違わないのに、とんでもない「差」がある。子ども心にも「ピアノが弾けるってああいうことなんだ」と自分との「違い」を感じていました。

このSさん、お勉強の方もものすごく出来て、偏差値は75とかそういうレベルで、大学受験の時は、「T大でもG大でも合格確実」と高校の先生におすみつきをもらい、お勉強の道に進むか、ピアノの道に進むか、迷った上でピアノの道に進まれました。(結局G大には進まれず別の音楽大学に進まれ、今母校で教授をしておられます)。しかも美人で天は「ひいき」する人には二物も三物も与えるのね~という感じですね。

発表会の時には「○年生の××さん」とプログラムに名前が出るので、私としてはもう、1歳年上の人がこんなに上手に弾くんだなぁ…と、これまた「無力感」の中で、ピアノを続けていました。しかも、このSさんの妹さんのNさんもとても上手で、このNさんは私より2歳年下だったのだけど、これまた、私よりはるかに上手で、「2歳年下の人がこんなに上手に弾くんだ…」と、いう感じ。このNさんも音大に進まれました。卒業後は音楽の道には行かなかったようでしたが。

そして彼女たちの上手さは、単なる技術的な上手さではなく、ちゃんとした「表現」の出来る本物の上手さでした。だから私はこの姉妹の演奏は好きでした。それぞれに個性のある演奏でした。そう、それは、ちゃんとした「演奏」でした。そして「芸術」でした。

「競争心」を抱く、あるいは「比較する」なんてこと自体が「間違い」なくらいこの姉妹は上手かったしステキな演奏をしていた。まあ、そもそもピアノは「競争」ではなく(>そういう面が全然ないとは言わないけど)、「その人その人の音楽を創っていく」ということだったりはする訳ですが、当時の私にはそういうことは分からない。

本当は「喜び」を持って弾くことが出来たはずのピアノ…もっと楽しめたはずのピアノ…。

でも、子どもの頃の私はそれに気づくこともなく、ただ無感動に不感症気味にピアノを弾き続けていました。

ピアノと私 (3)-「教則本の進度」=「上達」という誤解 

昨今では「今バイエル○番をやってます」だの「今ツェルニー30番の□番をやってます」ということが即「ピアノの上達の度合い」…と思う人もいないと思いますが、昔のピアノ教育はほとんどの先生が同じ教則本を同じ順番で積み上げて教えていたので、今何という教則本の何番をやっているか…ということが、「ピアノの上達」と受け取られていました。

もちろん、これに「真実」がない訳ではありません。教則本を弾き進んで行くことは間違いなく「上達」の道を歩んでいるのです。

でも、本当のピアノの上達は「何という教則本の何番を弾いているか」ではなく、「何という教則本の何番をどんな風に弾いているか」ということの方にこそ表れるのだと思います。

で、親たちも「○ちゃんはもうツェルニー30番をやっている」とか「△ちゃんは×年生なのにバッハのインベンションに入った」とか、そういうことをウワサしあったりして、それが子どもの耳にも入ってくる。

今の私なら「けっ!」と思いますが、子どもの頃の私は、そういうウワサ話に「私って進みが遅いのね(>才能ないのね)」と、何となく「無力感」を植えつけられていました。

私のピアノは弱冠4~5歳のころから、常に「無力感」の中でただよっていた…という感じです。(>く、暗い!)

ピアノと私 (2)-「才能があるかも」という誤解 

私がピアノを習い始めた頃は「音感がいい」(「音当て」が上手。聴音が得意)=「音楽の才能がある」という「誤解」がはびこっていた時代でした。

で、私はこの「音当て」というのが大変得意だったんですね。M先生の次につこうとしていたU先生は、「この子の音感は私なんかよりずっと良い。本当にうらやましい。私が教えるのはもったいないからもっと良い先生についたらどうか」と両親に勧めたのでした。

でも、私のところは母親が働いてたし、「良い先生」のとこまで電車に乗って連れていくことなんかは物理的に不可能だったので、そのままU先生のところでお世話になりました。

で、私最初のころはガンガン練習してガンガンものすごい勢いで教則本を飛ばしてたんですね。ところが飽きてきたのか、息切れしたのか、曲が難しくなってきてそう簡単には弾けなくなってきたためなのか、自分で思い出して見ても理由はよくわからないのですが、突然の「減速」。

「才能あるかも」から突然「普通(>普通以下?)」の生徒になってしまったのでした。「3歳で神童、4~5歳で凡人」ってあまりにも悲しくないかい?って感じですが。

この経験は私にとってもけっこう「心の傷」になってたりはします。

先生や親が「がっかり」してるのも何となく子ども心に感じて、でも、じゃあ、「再び心機一転頑張ろう!」というのでもなく、なんとなくだらだらとそのままピアノを続けてました。「4~5歳で挫折!」ってのも随分と「早熟」であったりはしますが、これが私の人生最初の挫折かな?

ピアノと私 (1)-「結婚」という「キャリア」の罠

私がピアノを習い始めたのは3歳の時。最初は近くの若い女性のM先生に習いました。とても優しい先生でピアノを習いに行くというより、ピアノで遊んでもらうために行くっていう感じで楽しく通っていました。

…ところが!!!!

M先生が「結婚」される…ということで、お引越しもされることになり、その教室は閉鎖になってしまいました。突然放り出された私…。

まぁ、この後別の先生につくことにはなるのですが、私の幼い心の中には、「女性の先生は信用ならん。いつ結婚してどこかに行ってしまうとも限らん」という、「おやじ」あるいは「PTAのうるさい教育ママ」みたいな不信感が根付いた面があったりします。(>この後、5歳の頃、英語の教室にも通ったのですが、それも先生の結婚で閉鎖になったのでした)

「結婚」されたことは、その後M先生がピアノの先生を続けていらっしゃったとすれば、M先生の音楽を深めたという面もきっとあったでしょうし、続けてらっしゃらないとしても、M先生が個人として幸せになられたというたいへんお目出度い出来事ではあったのですが、「一生徒」としての当時の私にとっては子ども心に「見捨てられた」みたいな気分があったかも…。

M先生の長い一生の「キャリア」の中では「結婚」と「引越し」はほんの小さな「一こま」にすぎないのだけれど、それぞれの生徒にとっては「先生がいなくなる」というのは「大事件」だったりはします。