剣道と私 (3)―T先生の一言

私が、運動と無縁な生活から、運動部に入る「勇気」が持てたのには、もうひとつ大きな契機がある。

それは体育のT先生の一言だ。

私が、「出来ない」「苦手だ」と思い込んで、「思い切り」やってないのを見抜いたT先生が、マット運動の時だったか何だったか、ちょっと補助して下さって「ほら、出来るじゃない。あなたは本当は出来るのよ。出来ないって思い込んでいるだけ」と言って下さったのだ。

「出来ないって思い込んでいるだけ」・・・。そうなのかぁ、私の「運動苦手」は「思い込み」だったのかぁ・・・。

T先生にとっては、教師としての日常的な一言に過ぎなかったかもしれないんだけど、私にとっては、人生を変えた一言だったなぁと思う。

数年前に中学の同期会があり、その時、T先生とお会いすることが出来て、このことのお礼を言うことが出来た。T先生は何と!「大人のバレエ」をやってらっしゃり、そのことでも話がはずんだ。

このT先生の一言があってから、私は、「出来ないって決めつけないでやってみよう」と思うようになった。

剣道と私 (2)―キャリアを持つには・・・

私は、小さい頃、身体が弱かった。大きな病気で入院して「あきらめてください」みたいなことを言われたこともあるらしい。

で、これまた、今思うと、本当にそんなに弱かったんかぁ???と思ったりするが、「身体が弱かった」と言い聞かされて育ってきた。

たしかに、ちょっと弱い所はあり、特に扁桃腺が弱かったので、冬には高熱を出す風邪を引くことが多かった。胃腸も弱く、今でこそ、ベン○、下○なんてものは、ほとんど無縁だが、ペン○にもなりやすく、またお腹も壊しやすかった。

高校受験が近くなると、多少は将来のことも考えるようになる。当時の私は、将来何か仕事に就きたいと思っていた。ハッキリとした考え、シッカリとした考えはなかったのだけれど。

しかし、私は自分の体力が心配であった。「お前は身体が弱い」と言われて育ってきたので、こんな身体で将来仕事が出来るのだろうか・・・と思ったのだ。自分自身、自分の身体の「芯」のところでの弱さは自覚しており、今よりずっと女に厳しい当時にあって、この世の中を渡り歩いていくには「まず、体力」と思ったのだ。

で、高校に入ったら、なにか運動部をやろうと心に決めた。自分の将来を切り拓くには、まずは身体を鍛えなくちゃ!!!と思ったのだ。

運動能力に自信がなかったので、団体競技は他人に迷惑がかかるし、即消去。

テニスや卓球もちっとは考えたが、ボールゲームは自分には無理そうな気がした。

剣道だったら、そんなに運動神経必要なさそうだし(>と当時の私には思えた。実際そういう面もある)・・・激しくなさそうだし(>けっこうきつかったりもする)・・・個人競技だから、みんなに迷惑かからないし(>って団体戦ってのもあったのだけどね)・・・それに、曽祖父が剣道の先生だったってことは他の物よりは少しは素質もあるかしれないし(>って、他に何も出来るこがなかったので剣道の先生してただけだけど)・・・これなら私にも出来るかも・・・。

中学の頃、仲の良かったN君という男の子が(>付き合っていた訳ではない)剣道やってて、剣道の魅力をよく聞かされた、というのもあるかもしれない。

で、高校に入学して、思い切って剣道部に入った。

これは、私にとっては、人生における「革命」であったかも。自分的には、「最も向かない」分野に飛び込むことだったので。

剣道と私 (1)―運動音痴

私は子どもの頃、運動が苦手だった。

・・・というより、そう「思い込んで」いた。

生まれた頃、私は、母の実家に住んでいた。女の子の初孫だったこともあり、また同居している唯一の孫ということもあり、祖父母がめちゃくちゃ可愛がってくれた。未婚の叔父、叔母も同居しており、この叔父、叔母からも可愛がられた。

母が勤めていたので、昼間は祖父母が面倒を見てくれた。預かった孫にケガでもさせたら大変・・・と、私は、大事に大事に育てられたのは良かったのだが、危ないことはさせてもらえず、結果、同じ年頃の子どもに比べ、運動能力が低かった。

着物姿が可愛いと、着物を着せられていることも多く、それだと動きにくかったので、運動神経が育たなかったんだよ、ともよく言われた。

「女の子だから」というので、「運動が出来ないというのも可愛い」と思ったのか、「Q母は○歳になっても△も出来なかったんだよ」みたいに繰り返し繰り返し言われて、私は、自分には運動能力というものがないと思っていた。

なので、体育は苦手であった。というより、苦手であると思い込んでいたため、いろいろなことを「思い切り」やるということがなかった。体育は「思い切り」やらなければ、出来ないことばかりなのに。

とは言え、今客観的に振り返って見れば、実のところは運動能力が全くペケという訳ではなかったようで、徒競争なんかは、まぁまぁだったし、鉄棒も跳び箱もボールゲームも、そこそこにはこなしていた。

今思えば、客観的には、そこそここなしていたのに、自分の「意識」だけが「苦手」だった。

なので、運動部に入るなんていうのは、あんまり考えたことがなかった。

それでも、剣道にはなぜか興味はあったようで、中学の時、ちょっとだけ心を動かされた。

私の母方の曽祖父は、武士だったので明治維新で食い詰め、しかも幕府側だったので冷や飯状態で、まともな仕事には就けず、仕方なく剣道の先生をしてようやく糊口をしのいでいた。祖父も剣道が強かったという話を聞かされていたり、伯父も剣道が強かったりというのがあって、剣道というのは、なんとなく、私には親しみを感じる世界だったのだ。

なのだけど、私の中学の剣道部は、裸足で!学校の外をマラソンする、というのをやっていて、私はそれに「うぇー!!!」となってしまって、入らなかったの。あれが靴を履いてのマラソンだったら入っていたかも・・・。

惜しいことをした、と思っている。

私の中学の剣道部の顧問はそうとう強い人だったので、あそこで始めていれば、まだ女子剣道がそれほどは盛んでなかった頃だし、けっこう上まで行けたんじゃないかなぁと思うの。ちっ!!