案内をしてくれた大学生は、毛羽立った赤いガウンを着てました。これ、大学と修道院がほとんど同義であったような時代、セントアンドリューズの修道僧が着ていたガウンのデザインをそのまま取ったらしい。
セントアンドリューズ大学の学生は、いずれ宗教上の指導者になるということで、ある種「特権階級」でもあったので、「赤いガウンを着た学生を轢いてはいけない」みたいな法律が出来、それが今でも生きているとか・・・。
それはともかく、このガウンをめぐっては「アカデミック・ストリップティーズ」というのがあるんだそう。セントアンドリューズ大学は、3年間で修了するイングランドの大学と異なり、4年制です。
1年生は、ガウンを首のとこまでピッチリと締めて着る。2年生は首のとこでちょっと緩めて着る。3年生になると、文科系の学生は左肩を出して着る。その心は「文科系の学生はマルキスト(>左翼=レフト)になるから」。理科系の学生は右肩を出して着る。その心は「科学者はいつも正しい(>ライト)から」。そして4年になると両肩を出してだらしない感じにだら~っと着る。
この習慣は今でも残っているらしく、今ではミサに出る学生の数は減ったとは言え、日曜日などのミサでは、みんなガウン着用で出てくるので、誰が何年生なのか一目で分かるとのこと。
その昔は、学生にとって教会のミサに出ることが「義務」でありました。セントアンドリューズ大聖堂は海岸にあるんですが、そこにはかなり長い桟橋があります。そして、ミサに出た学生はその桟橋の上を端まで歩いてまた帰って来なければならなかったそうです。
その理由は諸説あるらしいのですが、一つには、学生に桟橋の上を歩かせれば、大学当局がミサに出た学生の数をそこで勘定できるのでそのため、というもの。また別の説では、当時、学生は宗教の「修行」をしてたので、酒を飲んではいけないことになっていたのですが、強風の吹く細い桟橋をガウンをはためかせながら歩くと、前夜
酒を飲んだ学生はバランスを崩して落ちてしまう。それをチェックするため、ということになってるそうです。規則があれば破るものが必ずあり、海の上に赤いガウンがプカプカと浮く・・・。
セントアンドリューズ大学は3つのカレッジが15世紀だったか16世紀だったかに統合されて出来たそうなのですが、それらのカレッジの一番古い物の庭には、なんだかの木(>名前聴き取れませんでした)が植えられています。その木は、「これがあると爆弾があたらない」というジンクスがある木とのことで、第二次世界大戦中にウィン
ストン・チャーチルが、イギリス全土のあちこちに植えるよう命令したそうな。(> ほんまかいな?)
そのおかげで、このカレッジも爆撃を受けたんだけど、爆弾は庭に木を植えておいたおかげで、建物をわずかにそれて落ちたんだとか・・・。
戦争というのは洋の東西を問わず、人を非科学的にするとも言えるし、明日の命をも知れない状態にある時、人はどんなことにでもすがりたがるとも言えます。
セントアンドリューズ大学では、男子学生と男性スタッフの3分の2が命を落としたとその学生は言っていました。(>かなり多すぎる気もします。私のリスニングが間違っているかもしれません) そして、大学所属のセントマーガレット教会には、第二次世界大戦で命を落としたセントアンドリューズ大学ゆかりの人々の名前を記帳し
たものがあるんだけど、なんと、それは厚さ4インチ(12センチぐらい?)にもなるという・・・。
学業半ばにして戦争に行き命を落とした学生がイギリスにも沢山いたのですね。もし、戦争がなかったら、彼らの人生はどんなものになっていたのでしょう。