もう一度舞台!(3)-カルチャー・センターに身を寄せる

で、N教室に入門出来るまでの「4ヶ月」という期限があるので、教室に入門するのはやめてカルチャー・センターのバレエ・クラスを探しました。無知な私は当時、フィットネス・クラブのバレエ・クラスというものの存在を知らず、今思えばそちらでも良かったのかもしれないですけれどね。

そして、比較的通い易い所にカルチャー・センターを見つけ、受け付けで相談するといくつかあるバレエ・クラスのうちの一つを勧めてくれました。で、さっそく見学に行きました。先生は外国のバレエ学校にも留学されたり、外国でも踊った経験のある、なかなか華麗な経歴の方です。

久しぶりの日本のバレエ・クラス…。見ていると身体が動いてしまって、先生も「あら、あなたやってらしたんでしょ? 是非一緒にやりましょう!」と言って下さり、そこのクラスに入ることにしました。

クラスはなかなか楽しかったです。この先生は別のところにご自分の教室も持ってらして、さらに他のカルチャー・センターでも教えてらして、そういうのを全部合わせると生徒さんの総数がとても多いみたい。で、あちこちでやってる教室の舞台に違うところで習ってる人も出して下さる…ということで、舞台の機会は多そうでした。

私が入った時も、レ・シルだったかジゼルだったか、「白い」バレエの練習中で、レッスンの最後の方にはその練習が入りました。出ない人も適当にポジションを与えられて練習させてもらいました。「良かったらあなたも出ない?」と言われたのだけれど、さすがに日本に帰国したばかりで生活の方も落ちついてないし、それは諦めました。

しかし、ここに籍をおいて「舞台に出まくる」という選択肢もアリなのだ…と思いました。ここにいれば「色々踊れるぞ~!」と思いました。

舞台の練習以外にもVaをレッスンに取り入れたり、そういうのもあって、ここでやってれば、本当に色々なことが体験できそう…そう思いました。

また、この先生は、外国で踊っていた関係もあるのか、ダンサーの知り合いも多く、「こないだ○○(ビッグ・ネーム)に会った時に…」などの話も出て、業界裏話…みたいなのもけっこう聞く機会があり、これはこれで面白かった・・。

で、ご自分が留学されてた国へのレッスン・ツアーの引率も頻繁にされていて、そこで習ってる人達もよく行ってたみたい。それもちょっと魅力ではあった。

でも、結局はここに留まることはしませんでした。一つには、カルチャーはやっぱりカルチャーなので(と当時の私は思っていた)、「教室に根をおろしたかった」ということがあります。

もう一つには、この先生、舞台が近くなってきて時間が不足してくると、バーを片側しかやらないことがあるの。私、これがどうしてもダメなんだよね。そういう「やり方」も「アリ」でしょうし、気にならない人もいるのだと思うし、そういう「やり方」をあえて採用することで、「別の物」を得るということはあるのだと思う。カルチャーは時間の制限が厳しいから、その枠内で「何かを捨てて何かを得る」しかないんだと思う。だけど、私はどうもそれは気持ち悪くて…。

そして、さらにもう一つは、有名人のウワサを含めた「業界裏話」は面白くないことはないのだけれど、私、「有名人と知り合い」というのをひけらかす人ってあまり好きじゃないの。

誰だって「有名人と知り合い」ってのはちょっと鼻が高い。で、「私、○○さんと知り合いなのぉ」って言いたいのは、それは私も同じ。「ちあきさんの出待ちしちゃったよぉ!ちあきさんとお話ししちゃったんだよぉ!」ってみんなに言いふらしたい気持ちはある。

でも、その時、その人が「何のために」その話をするか、というのがある。「ちょっと自慢したい」…これは私にもあるし、自然な感情だと思う。うれしくて、うれしくて、ついみんなにも聞いてもらいたくなっちゃう、それも自然。

その有名人のことが好きで、みんなにも、その人のこともっと良く知って欲しくて、「ちあきさんってこんなにステキな人なのぉ!」って叫びたい気持ち。多分それも自然。

でも、それを「そんな有名人と知り合いの私ってすごいでしょ?」という「自分の力の証明」に使っているかどうか…。その先生の場合、「有名人と知り合い」を「自分の力の証明」に使ってる気がした。

私、そういう人もダメなんだよね。「ちょっと自慢しちゃいたい」という「自然」な 「俗物根性」を越えて、「力のある人と知り合いである」ことを自慢する人…。「自分の力で勝負しろよ!」と言いたくなってしまうのよ。

ま、これは私の「深読み」かもしれないし、あるいは私自身の心にどこか「ひがみ」や「ゆがみ」のようなものがあって、先生のおっしゃることを「曲げて」取っていたのかもしれません。とても気さくな感じの先生だったし、先生を慕う生徒さんも数多く、先生のまわりには、幾重にも人の輪が出来ていたと思います。

結局それは「相性」のようなものですね。力もあるし素晴らしい先生だったのだと思うけれど、私が求めているものとどこかで少し違うような気がした。私にはどことなく「違和感」があった。もう少し長く付き合っていけば、また違ったのかもしれないけれど…。

…という訳で、あるいはそこに行ってれば、今ごろ幕物だって何回も出るチャンスがあったと思うし、ひょっとしたらアダージオなんかだってやらせてもらえてたかもしれなかったりはするんだけど(そこまで大人にやらせてたかどうかは不明だけど。でも、あの先生だったら、私、かえって気楽に「アダージオやってみたいんですぅ」っ て交渉できた気がするな)、結局、そういう道は選ばなかった…という訳であります。

結局、「相性」みたいなものですよね。私には「ちょっと…」という先生でも他の人には「素晴らしい」こともあるし、私には「素晴らしい」先生も他の人には「ちょっと…」ということもある。

そして、中に入ってみないことには分からないこともいっぱいだし、私はその先生のことは深く知るチャンス自体を「放棄」してしまったのだけれど、「第一印象」や「浅いつきあい」での印象というのは違ってることもある。

そもそも私自身、R先生に対してだって、「素晴らしい」とは思っていたけれど、助教の先生や生徒さん達の間でR先生がカリスマ的な存在になってるのには、当初は「違和感」があったの。先生のお人柄をより深く知るようになった今は私にとってもR先生はカリスマだけど。

だから、本当にあの選択(>カルチャーを選ばなかった)が正しかったかどうかは今も不明です。でも、私は、その時の「違和感」を大切にして、結局N教室に入門することに決めたのです。