発表会の練習が始まる直前、、「発表会も近いから出られる時には週2回出ておこう…」と、仕事でうんと疲れていたのにレッスンに向かう途中で段差を踏み外して捻挫してしまい、発表会の振りつけが始まる前はしばらくレッスン出来なかったし、レッスンが始まってからも、ジャンプで着地したりすると足首が痛みました。
疲れている時には休むに限ります。
さらに、最悪なことに、Qがおたふく風邪になり、実はおたふく風邪をやってなかった夫がそれにうつり、高熱で入院…。これで、しばらくレッスンに出られない時期が出来てしまいました。
泣きっ面に蜂。
練習になかなか出られない。出れば無茶苦茶直される…。振りはあいまいにしかはいってない…。
さらに、私、留学中に論文を書き終えられなくて、帰国してからようやく書き上げ、でもちょっとしたミスがあって(1ページ抜けてた)、再提出して、や~っと無事に卒業できることになり、苦労をかけたQや留学中助けてくれた母も連れて一家で卒業式に出るために発表会の3週間前に1週間イギリスにも行くことになっており…。
踏んだり蹴ったり。
でも、レッスンメイトの一人が、見るに見かねて「私が教えてあげるから紙に書きなさい」と言って、振りを教えてくれました。(>感謝)この紙を頼りに飛行機の中や宿で一生懸命復習をしました。(>ありがとう!)
で、別のレッスンメイトに「イギリスから帰ったら突然振りが入ってるので驚いてしまった」と言われるとこまではなんとか挽回。
とにかく週1回では、もうどうしようもない状態だったので、火曜日もベビー・シッターさんを頼んで週2回レッスンに行くことにしました。
そんなある日、レッスンメイトから「あのね、腕が縮んでるからあなただけお婆さんみたいよ」と言われて(>これ、好意で言ってくれたんですが。彼女に言われたことは今も私の課題です。これ言ってくれた人、私に振りを教えてくれた人だし。だからとても親切な人なんです)、ず~んと落ち込みながら家に帰ると、「保育園にカギが預けていなかったので私の家で面倒を見ています」というベビーシッターさんの置手紙が…。
何やってんだ、私。この日はQを保育園に送り、いったん家に帰ってから職場に出たのですが、本当はもう一度保育園に行って、カギを預けてこなければならなかったのに、「うっかり」してしまったんです。仕事とバレエと育児でくたくたになって、頭も限界だったみたいです。
なんでこんなにまでしてバレエがやりたいんだろ、Qにこんな迷惑かけてまで、なんで発表会に出る必要なんかあるんだろ、しかも、「お婆さんみたい」にしか踊れないのに…。
T教室でバレエをしていた時は「楽しい」だけでやってきた。でも、バレエを始めて、はじめて「辛い」と思いました。
ベビーシッターさんのお家でQは楽しく遊んでいたみたいなんですが、なにせ、10時からの練習が終わってから自宅に帰ったら置手紙…という状態でしたから、シッターさんのお家からタクシーで自宅に着いた時はもう夜中。こんな小さな子を振りまわして、なんていう母親なんだ!と、タクシーの中でも涙がこぼれました。
色々なことがあって、振りが入るのに時間がかかってしまったし、自信を持って踊れてなかったので、ちょっとしたレッスンメイトの言葉にも「それって、ひょっとして私のこと?」と疑心暗鬼になってしまったり、とにかくこの時の発表会は辛かったです。
初心者は教室にとって「手垢のついていない人」。すべての進歩はその教室に帰属するもの。
でも、中途採用(?)の人って、レッスンメイトにも「どれくらい踊れるのかしら」と値踏みするような目で見られているような気がして、そういう点でも、「無条件に」受け入れてもらえていたT教室とは違い、「遠巻きに値踏みされてる」ような居心地の悪さもありました。
まぁ、これはまわりの問題というより、多分に私自身の問題だったと思うのですが…。
これについては、後になって、りっくさんのHP
(http://www2u.biglobe.ne.jp/~rickey/)の掲示板で「新しく入って来た人はすぐにやめてしまうかもしれないから、しばらくの間は様子を見る」「いきなり仲良くはしない」というようなことがある、と知りました。
その後、N教室にしばらくいるうちに、この教室は「人の回転」が速いということがだんだん分かってきました。だから、「遠巻きにされている」ような感じというのは、実は、とても「自然」なことだったのだ…ということも分かりました。私も「いついなくなるか分からない人」だったんだと思います。
そもそも私は出席率もそれまで良い方じゃなかったので、「どんな人か分からない」人だったんだと思います。一緒に踊る人達も、私はいつも初等科のクラスに出てたけど、初心者クラスに所属の人もいて、レッスンでも顔を合わせることのない人もいたし。
だから、レッスンメイトの立場になって考えてみれば、ごくごくあたりまえのことだし、また、妙になれなれしくするのもかえって不自然なことだったのだと思います。
ただ、当時は、そういうことが分かってなかったので、とてもさみしい思いをしました。