さてさて、鈴の作業は続いております。
右側(上手側)のチョークだった石積みの模様も仕上がってきてますねえ。
だんだんと石で出来た橋の様にみえてきましたね~(*^-^*)
うぉぉ~!龍かっこいいじゃないかっ!感動~。
きゃあ~(@0@)☆ ちょうちょかわいい♪
じゃあ、左側はどうかな…
うぎょっ!!! どっどうした!?妹よっ!
そういえば、
(鈴)「残す鳳凰の部分に悪戦苦闘しております。」…って言ってたなぁ。
(鈴)「まだまだこれから(><)期限も間近、あぁ大変」…って。
白いチョークの下書きは…
ほっ…炎と石のとこだけじゃないかっ!!
大丈夫かっ!?妹よっ!
どうやら何度も書き直している様であります。
…ちょっと我らは休憩しましょう。
お茶でも飲みながらいっぷく…
”吉屋チルーさん”
いろいろ検索してみました。
いろいろな説はありましたが、昔沖縄で一生懸命に生きた、若くてせつない女流歌人さんの
物語なんだ…ということがわかりました。
いろいろ調べて余計にちんぷんかんぷんになった頃、妹と愛知県にある知立文化会館のプロデューサーの
品川さんから「助け船メール」がやってきました(^o^)=3
時は元禄(1688~1704)、遙かむかしのお話だそうです。
沖縄本島の北「ヤンバル」といわれる片田舎…
富豪の農家にチルーちゃんは生まれたそうです。
(ふる)「富豪なのになんで…?」
お父さんが公金を使い込み、夜逃げ同然でふるさとを追われるはめになったのだそうです。
この時チルーちゃんは8歳。
生活はさらに苦しくなり、一家の苦境をみかねたチルーちゃんは自分から「那覇の花の島」(遊郭)に
行くことを決意したのだそうです。
那覇につづく嘉手納との間にかけられた大きな橋(←この橋を我が妹が製作中なのかな?)
この大きな橋は、私を渡そうとばかりに架けたものに違いない。…と思って歌うのだそうです。
「♪恨むべきは比謝橋よ、きっと情けのない人が私を渡そうと思うばかりに架けていたにちがいない…」と。
ふるさとを離れ、花の島のきびしい修行…
チルーは年頃をむかえそれはそれはチュラカーギ(美人な)娘さんになり、
チルーを我がものにしようと遊郭へやってくる…
そんな日々の中でもチルーは純真な恋をしたのだそうです。
身分の違いでけっして結ばれることのない恋…
そして自由にならない我が身を嘆き悲しんだ。
ぼろぼろになったチルーは客もとらず…
自分の運命を恨み、何も食べず、病に伏してしまう…
そんな病床の夢のなか、チルーはお母さんの夢をみるのです。
この時チルーは19歳…せつないですね…
19歳でこの世を去ってしまう…
19歳になるまでにたくさんの歌をうたった
吉屋チルーという女流歌人のお話なのだそうです。
…せつない。
詳細>>
番外編「沖縄女流歌人 吉屋チルー物語」
…おっと、一服してるうちに妹の鳳凰はどうなったのでしょう?
ほ~っ♪チョークで下書きが…(^-^)
そして…
うわぁ~~♪すごい!
鳳凰が出来上がりました(*^o^*)~♪
かっこいい。
石橋の左半分(下手側)はどうなったでしょう??
わくわく♪わくわく♪
うひょ~~~♪♪♪
ブラボ~~~~~!
其の三は、鈴のインタビューと石橋全体の仕上がりぐあい、などなどお伝えしたいと思います。
=続=
吉田勘緑さん(人形浄瑠璃文学座技芸人)のHP
http://www.katch.ne.jp/~kenyumekayo/index.html
品川さん、いろいろとご協力ありがとうございます。
知立市文化会館(パティオ池鯉鮒)
http://www.katch.ne.jp/~patio/
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